∞第7幕∞

 正午の鐘が鳴ったら給食の時間だ。今日は給食を食べたら、それでおしまい、とはゑたちは下校になる。

 みんなが班同士で机をつき合わせるのを、とはゑの氷銀ひぎんの目がメガネ越しにぼんやりと見つめている。

「ほら、とはゑ。机を班にして」

 自分の机を九十度動かしてとなりの男子と向かい合わせにしたゆらのが、ちょいちょいと手まねきするのに、とはゑはこてんと首をかたむけた。

 そんな二人を背景にして、給食当番の生徒たちが白い給食着をかぶって教室を出て行く。

「いや、首かしげてないで、こう。さっきも班学習でやったでしょ?」

 座ったまま動かないとはゑの机を、ゆらのはひょいと持ち上げてお誕生日席の位置にくっつけた。五人班でとはゑの席はとなりが欠けた一番後ろだから、机の向きは変わらずに班の島に合体する。

 ぽつんとイスに座ったままのとはゑだけが所在なく残されていた。

 じっとゆらのに動かされた机を数秒見つめた後に、とはゑは座ったままずりずりとイスを引きずって机の元に納まった。

「……うーん、まぁ、いいけど」

 ゆらのは言葉とは裏腹におぎょうぎがわるいと言いたげだ。

 テーブルクロスを手にした望美がそんな二人のやり取りに苦笑いしている。

「はい、クロスかけるよ。とはゑちゃん、ここ持って」

 望美にテーブルクロスのはしっこを差し出されたから、とはゑは言われた通りにきゅっと小さな手でにぎりしめて手のひらの中でしわくちゃにする。

「とはゑ、座ったままだとしわになっちゃうから、ちゃんと立って」

 かたんと、ゆらのにイスを引いてもらって、とはゑは足踏みしながらゆったりと立ち上がった。

 ばふばふと反対を持った望美がテーブルクロスを上下させて机に合わせていく。

 それを見たとはゑもうでを上下させると、テーブルクロスは波打ってちっともたるみが取れなかった。

「と、とはゑちゃんは動かさないで持っててほしいかなぁ?」

 ぴたり、ととはゑはうでを止めて、つぶらな瞳をゆらのに向けた。

「え、なんであたしを見るの?」

 ゆらのになんでと聞かれて、とはゑははてなを頭に浮かべながら首をたおした。なんとなく見ただけらしい。

 そんなことをしている間に、望美がキレイにしわをのばしたテーブルクロスを机の上に着地させた。

 でもとはゑが手を離さないから、テーブルクロスをはゆるやかに坂を作っている。

「とはゑ、もうクロスを机に降ろして。ね?」

 ゆらのに言われて、とはゑはこくんとうなずいて静かにテーブルクロスを机にふれさせて手放した。

 それまでのちぐはぐな行動がうそだったみたいに、テーブルクロスはとはゑがにぎりしめていたところを抜かして、のりを当てたように真っ平になった。

 とはゑはゆっくりと教室の他の班を見回して、これ以外にやっておくことがないのを確認するとイスにすとんと腰を降ろした。

「向こうの学校じゃ、テーブルクロスをしなかったの?」

 同じように席に着いたゆらのが、とはゑの顔をのぞき込んできた。

 とはゑは、ん、と天井にまりを向ける。そこからまた二呼吸分固まった。

「なか、った。あと、ばらばら」

「バラバラ? 机を班にしなかったってこと?」

 ゆらのが問い返すと、とはゑはあいまいにうなずいて見せた。

「それじゃ、みんなとおしゃべりできないじゃない」

 ゆらのは自分が知らない給食の様子に目を丸くした。

 そんなゆらのに、とはゑは机にかぶせたテーブルクロスみたいに真っ平な表情を向ける。

「ごはん、の、とぃ……おしゃべ、ぃ、めっ」

「それは……たしかにそうかもしれないけどさ」

 好きな料理があまった時に、おかわりじゃんけんで相手を殴りたおさんばかりの勢いで声を張り上げてしまうゆらのは、ばつがわるそうに、とはゑから顔をそむける。給食の後に他のクラスの友達からもめっちゃ声がひびいていたと報告されることもよくあったりする。

 なんなら、ゆらのが名乗りを上げた時点にビビったクラスメイトがすごすごと引き下がったりもする。そんな中で達也や美佳とはじゃんけんなのにガチなケンカみたいなやりとりになるのだけども。

「で、でも! オンナにはゆずれないときがあるのよ、とはゑ! わかる!?」

 ゆらのがかみつくような勢いでほえるけれど、とはゑはよくわからないからすなおに、ふるふると首をゆらした。

「ゆらのちゃん、女をかけるのはそういう時じゃないよ」

 そして望美からものんびりと指摘を受けて、ゆらのはついに口ごもった。

 そんな話をしていたら、廊下からがちゃがちゃと重たそうなブリキの音が近付いてきて、とはゑはそちらに耳控えられた。

「来た。いい、とはゑ、順番に並ぶからね。うちは六班だから最後だけど……給食はなくならないからね」

 ゆらのに言い聞かせられて、とはゑはこくんとうなずいた。

 教室の前の黒板の方に出された台の上に、給食の入った容器や食器が置かれていく。子どもにはどうしても重たいから、何人かはがちゃんと音を立ててしまっている。

 そんな中で、美佳はごはんの四角い容器を余裕の顔で一人で抱えて、綾斗はお汁の入った寸胴を歯を食いしばりながら一人で運んで来ていた。

「あやとー、別に嫁が見てるわけじゃないんだから、ムリして一人で持つなってー」

「そうだそうだ、こぼしたら許さないからな」

「うるせ、ちゃんと持って来れてんだろ」

 クラスメイトにはやし立てられるのに言い返しながらも、綾斗はエディからお玉と食器を受け取ってお味噌汁を取り分けていく。

 そんなやり取りを見て、とはゑは不安の色を目にゆらして、ゆらのをじっと見つめた。

「え、なに、どうしたの、とはゑ?」

 ゆらのは氷銀のまなざしにまっすぐに見つめられてどきまぎしてしまうし、とはゑがなにをうったえているのかもわからないしで大いにとまどった。

 それでも、とはゑは、うー、と未声みこゑでうなるばかりだ。

「んー、もしかして、とはゑちゃんは綾斗くんみたいに重たいのを一人で持つ自信がないって言いたいのかも」

 二人の様子を見ていた望美があごに人差し指を当ててとはゑの気持ちを想像してみた。

 それは当たりで、とはゑは力なくうなずいて見せる。

「あ、そういうこと? だいじょうぶだよ、とはゑはあたしと二人で持とうね」

 別に給食を運ぶのに一人で持つ必要なんてないんだと、ゆらのはとはゑに伝える。

 それで安心したのか、とはゑはほっと息をついた。

 未言みことのことはひょっとするとゆらのよりもわかってしまうのに、こんな当たり前のことがわからないで不安がるだなんて。そんなとはゑのことが、ゆらのはちょっとかわいく思えて、やっぱり自分がめんどう見てあげないとと決意を新たにする。

 そして今まさに、にこゑからもしっかりと頼まれている『とはゑのめんどうを見ないといけない』事態がせまっている。

 とはゑの食事は、ある意味で……いいや、いろんな意味でおそろしい。

 先生やクラスメイトに不審がられずに、とはゑに捧餉ささげを与えるだなんて、常識をしっかり持ったゆらのには難易度の高いミッションだ。それでも、とはゑのため、そして自分の心を守り、このクラスの給食を守るためにもゆらのは全力を尽くさなければならない。

 知らず知らずのうちに体のわきで、きゅっとこぶしをにぎるゆらのを見て、とはゑも手を胸の前でにぎってゆらのをはげました。

「ええ! まかせて、とはゑ。あたし、がんばるから!」

「ぅん!」

「え、どういうこと? あと給食だけなのに、なんでそんな戦いにいくみたいな雰囲気なの?」

 目の前で蚊帳の外になっていた望美が二人のただよわせるおかしな空気に気圧されてちょっと身を引いている。

「それはね、望美ちゃん、これからまさに戦いが始まるからだよ」

「ゆらのちゃんはいったいなにを戦うの……?」

 遠い目をしながらも強いまなざしを見せるという器用に奇妙なこと をしてみせたゆらのに、望美はいっそう不安をあおられる。

 ともかくやっと六班が並んでもいい順番になって、三人連れそって給食を受け取りに行く。

「綾斗くん、そんなに満杯なの食べれないよ。そっちのちょっと少ないのちょうだい」

「ええ? 遠慮すんなよ。俺より背高いんだからよ」

「いや、本当に無理だってば、もう」

「あ、じゃ、それとはゑにちょうだい」

「え?」

「え?」

 明らかに他のよりも入っている味噌汁が多い器をやり取りしていた幼なじみ二人が、割り込んできたゆらのに全く同じタイミングで丸くした目を向けた。

 それで先に行動を復帰させたのは綾斗の方だった。

「は? いや、三栗、お前じゃなくてそっちのちっこいのにか?」

「ええ、そうよ。とはゑの分、その多いのにして」

 ゆらのにはっきりとそうだと言われて、綾斗は首をかしげながらもゆらのの背中にひっそりと隠れているとはゑのお盆になみなみついだ味噌汁を乗せた。

 その時に、心なしか輝くとはゑの視線が手元に注がれて、綾斗はひりりと焼けるような痛みを感じた気分になる。

 ゆらのはごはんもサラダもとはゑの分を多く分けてもらい、鶏の照り焼きも大きめのものを見きわめてとはゑのお盆に乗せた。

 そして給食当番全員にとまどいを与えながらも、とはゑはみんなよりちょっとだけたっぷりの給食を用意してもらえた。

「とはゑちゃん、だいじょうぶ? 私だったらどれも残しちゃいそうな量だけど……」

 まさかゆらのがとはゑにいじわるとしているとは思わないものの、クラスでもとりわけちんまりとした体のとはゑに見合った量にはとても思えなくて、望美は心配していた。

 それでもとはゑから返ってくるのは頼もしさまで感じるようなうなずきだけで、それ以上望美からなにか言える空気ではなかった。

「とはゑ、少ないかもだけど、へいき? お味噌汁とサラダはちょっと残ってたけど」

「ん。がまん、できる、よ」

 それどころか、これでも足りないみたいなゆらのととはゑの話が聞こえてくる始末だ。

 この三人が給食を取るのは最後で、あとは給食当番が給食着を脱いで席に座るのを待つだけ。

 みんな席に着くと、一班で一緒に給食を食べるのにおじゃましている國分先生が立ち上がって、給食を持って行ってない生徒がいないか最後にもう一回見回した。

「はい、皆さん、目の前に給食はありますね。 それでは、いただきます」

 國分先生が手を合わせるのにクラス全員で唱和して、一斉に食べ始める。

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