♪第4幕♪

 学校を出た二人は、住宅街をのんびりと歩く。

 他学年だろうか、背中の方から元気のいいあいさつが聞こえては、青空にそのまま溶けていった。

 雪の多く残る歩道側をぽてぽて進むとはゑは、どこか危なっかしい。

 まだ大きい、ライトブルーのランドセルは、ほとんど中身が入っていないにも関わらず不安定だった。ぴったりとサイズの合った靴の先は、迷いなく踏む先を決める。しかし、その速度が人よりも圧倒的にゆっくりなせいで、一人だけスローモーションのようにも見える。

 車道と歩道を分けるコンクリートブロックには、先日の大雪の残骸が、氷の塊となってこびりついている。それらと溶けた雪、土の混じった錆雪さびゆきは、あまり見られたものではない。

 ゆらのにとっては見慣れた光景だけれど、九州からやってきたとはゑにとっては物珍しいものだ。

 特にとはゑの住んでいた地域では、雪が降ること、ましてや雪が積もること自体が珍しい。降ったとしても昼には跡形もなく消えてしまうはずのそれらを、とはゑは穴が空くんじゃないかというくらい見つめている。

 ゆらのはしばらく考えてから、不規則に揺れるとはゑの手を握った。ついでに、なぜか右に曲がろうとしていた小さな体を、まっすぐ前に向ける。

「ふぇっ」

「陸橋くぐって、駅をそのまま突っ切るよ。そっちの方が早いし」

 武家屋敷と似た雰囲気を持つ駅舎を横目に、とはゑは一度軽くうなずいた。うなずいてから、じ、と白色の壁を眺める。

 昼間とだけあって、人通りはまばらだ。

 散歩中らしきおじいさんや、何やら急いだ様子の青年が通りを歩いていく。青年の方は、あっという間にゆらのたちの横を通り過ぎた。

 青年が後方の公共トイレに入ったあたりで、二人は事情を察する。とはゑと視線が合い、ゆらのは肩をすくめた。

 駅前には木が一本立っている。その周囲は雪屍ゆきかばねを抱いている。わずかに見える土は、水を吸って黒々としている。

 その光景に、とはゑの視線が移る。建物、人、雪と、じっくり眺めては次に興味が移る。

 とはゑのただでさえ小さな一歩が、さらにゆっくりになる。

「…………」

「……とはゑ?」

「みゅい?」

 明らかによくわかっていない未声みこゑに、ゆらのが握る手の力をちょっとだけ強める。

 そしてそのまま歩き出せば、とはゑは何ということもなくついてきた。

(……これ、あたしが手を引いてないと、いつまでたっても家にたどり着かないやつだわ)

 タクシー乗り場を左に見ながら、駅を抜ける。ここから先は、線路の横を歩いていくだけなので迷うことはない。

 しかし、とはゑの様子を見る限り、ゆらのは気が抜けなかった。

 小さい子をみちびくように、さりげなくゆらのは歩道側に寄る。

 車がほとんど通らない車道よりも、雪の多く残る歩道側の方が危険性は高い。

 それに、二つ目の踏切の先には、用水路があった。

 去年も何人かの生徒が落ちたから、気をつけなければならない。ちなみに、達也もその中の一人だったりする。朝からずぶぬれになって教室入ってきたときは、あきれてしまった。

 ぎゅ、手をつなぎなおす。

 とはゑはこてん、と首をかしげたが、特に何を言うこともなく歩き出す。

「ねえ、とはゑ。朝もあたしと一緒に登校しようか」

 さも当然と言わんばかりに、こくん、ととはゑがうなずく。

 その横を、暖かそうなトレーナーを着た少年たちが駆け抜けていった。

 青や黒、淡い紫のランドセルが軽い音を立てる。どうやらお昼ごはんを食べたらすぐに遊ぶ計画らしく、にぎやかな会話が風のように通り過ぎる。

「待ち合わせ場所、は、とはゑの家の前でいっか。七時十分くらいでいい?」

 こくん。

「さっきから思ってたけど、それはイエスでいいんだよね?」

 こくん。

 近くに中学校もあるから、アパートや家が多い。しかし、人通りはほとんど見られなかった。

 昔からある、ゆらのがずっと漢字を読めないでいる病院や、新しく建った白い壁を見ながら、二人は歩いていく。

「……タカキ……いつか調べようと思って、いっつも忘れちゃうのよね。とはゑは読める?」

 「鍼灸院」の字を指さしながらたずねたが、とはゑからの返事はなかった。きょとん、とした顔でゆらのを見る。

 まあいいわ、言おうとしたところで、近所の人とすれ違う。

「こんにちは」

 車いすの女性と、それを押す男性だ。二人とも若く、薬指には指輪が光っていた。

 あいさつをした女性に続いて、男性がにこやかにおじぎをする。

 女性はおしとやかな雰囲気で、大きなつばのついた帽子をかぶっていた。

(シンコンさん、かな?)

 春休みにテレビで見た言葉を、頭の中で使ってみる。シンコン、という響きは、どこかかわいらしくて、ゆらのは少し頬を赤らめた。

 女性の足は靴が隠れるほどの長いスカートで隠されていて、よく見えない。治りかけなのかもしれなかったし、ひょっとしたら、結構ひどいケガなのかもしれなかった。

 でも、どちらにしても、女性と男性がそれを気にしている様子は全くない。

 雰囲気はなごやかで、二人の仲のよいことがよく分かる。

 二人が十分に離れたのを確認してから、ゆらのはこっそりとはゑに言う。

「なんか、いいよね、ああいうの。らぶらぶ、って感じだわ」

 きゃ、とつないでいない方の手を頬に当てるゆらのに、とはゑが目を何度かしばたかせる。

「いつかー、あたしもー、ふふ」

 ゆらのの顔がゆるむのを見ながら、とはゑは二つ目の高架下をくぐった。

 陸橋の下は影になっていて、他の場所よりも多く雪が残っている。

 ふたりの腰の高さほどもある雪の塊がいくつも転がっている光景は、とはゑの目を引き付けるのに十分すぎるほどだ。

 道路の真ん中では、小さなスプリンクラーのようなものが絶えず水を吐き出し続けている。じ、と見てから、とはゑはそれが雪を融かすためのものだと気がつく。

 ゆらのにとっては見慣れた光景だが、とはゑにとっては見慣れないものばかりだ。

 とはゑは左右をそれぞれじっくりと観察してから、次の一歩を踏み出す。

 ついでに一瞬後ろに回って、歩道側に立った。

 思わず立ち止まるゆらの。

 不意打ちに反応できず、少し頬をゆるめたまま固まる。

 目の前には、危険地帯こと用水路がある。

 雪で道との境目が分かりづらくなっていて、気をつけなければすぐ落っこちてしまうだろう。

 とはゑを見れば、「この場所はゆずらない」という意思が見えた。

 言葉にしなくても、顔には出ずとも、はっきりと分かる。

 ゆらのも、同じ気持ちだからだ。

 子どもにだって、ゆずれないものの一つや二つ、ある。

 それも、どうでもよいことほど負けたくないものだ。

「…………」

「…………」

 しばしの沈黙。

 ゆらのがまず動く。持ち前の運動神経で、チョウのように軽く車道側に立とうとする。

 む、と無表情で手を握ったのがとはゑだ。

 当然、手をつなぎ直さないと位置交代はできない。ゆらのはよろめくことなく、その場にとどまった。が、その足はまだ車道側にある。

 口をとがらせるゆらの。

 きょとん顔のとはゑ。

 今度は、ほぼ同時に二人の手足が動いた。

 結果的に、両手でお互いの手をつかんで一回転することになる。

「…………はは」

「…………」

 くる、くる、くるり。

 まるで舞うように、二人は手をつないで回る。

 やがてとはゑが雪の塊につまずいて転ぶまで、ゆらのととはゑは踊り続けた 。

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