∞第3幕∞
レクリエーションが終われば、今日はもう下校時間だった。
國分先生がいなくなった教室では、とはゑが十数人のクラスメイトに囲まれて、ちょっとしたさわぎになっていた。
「すごいね、すごいね! 小川さんも前の学校で百人一首やってたの?」
ふわふわとした髪の毛を揺らす少女に、とはゑは、こくん、とうなずいて見せた。
それから、右手の人差し指をピンと立てて天井に向ける。
「ん? どうしたの、とはゑ?」
ゆらのは、とはゑが見せたふしぎなしぐさの意味が判別できなくて質問した。
けれど、とはゑはその指をよく見えるようにゆらのの目の前に持ってくるばかりだ。
「うえ?」
ふるふると、とはゑは首を振って黒髪を散らした。
ゆらのは、自分の人差し指でひたいをとんとんとたたく。
「んーと、じゃあ、いち?」
こくん、ととはゑがうなずいた。
しかし、ゆらのは、一ってなんだろう、とよけいに頭を悩ませる。
「もしかして、いちばん、ってこと?」
とはゑに百人一首の経験者なのか聞いた少女の言葉に、とはゑはまた、こくん、とうなずいて見せた。
「マジか。いや、でも、一番って、どの範囲で一番なんだ? 前のクラスで一番ってことなのか?」
とはゑやゆらのの後ろに立っていた葵が、おどろきつつも、より詳しい情報を得ようと質問を重ねた。
とはゑは首だけをくるっと後ろに向けてから、くりくりと頭をゆすって否定した。
「ああ、でも、そうか。うちだって國分先生だから百人一首クラスでやるけど、普通はクラスで順位とか競わないか」
葵はそんな自己完結をしつつも、答えを得られないまま眉を寄せる。
「じゃあ」
とはゑの正面にいるふわふわ髪の少女が身を乗り出した。
「おい、
しかし、彼女はドアに向かう少年に呼びかけられて、質問を続けられなかった。
「あ、ごめん、
望美と呼ばれた少女は、二つのランドセルを持った少年に返事をして、とはゑに頭を下げた。
そして綾斗と呼んだ少年のところまでふわふわと足を急がせて、自分のピンクのランドセルを受け取る。
綾斗は望美にほほえみかけられながら、連れ添って教室から出て行った。
「くぁあっ。いつもながらの熟年夫婦の貫禄、ごちそうさまです!」
二人の後ろ姿を瑠衣が手をこすり合わせておがんでいる。
とはゑはその姿をじっと見て、自分も手をこすり始めた。
「……とはゑ、ルイちゃんのマネしなくていいから」
「んぅ?」
とはゑは、きょとんと目をまるくして、ゆっくりと手のひらを離していく。
それから、ぐっぱ、ぐっぱと手をにぎったり開いたりして手のひらを見つめる。
「こっちもとうとい……ありがたや、ありがたや、うちの学生生活は金の時代をむかえたっ」
瑠衣が今度はぐるりと、とはゑに向き直って、同じように手を合わせる。
とはゑはそんな瑠衣をじっと見つめて、女神のように両手を広げて、人々を迎え入れるかのようなポーズを取る。
周囲から見ると、カリスマをたてまつる信徒みたいな構図になった。
「やめて、とはゑ、ほんとにやめて」
ゆらのがとはゑのこしに抱きついて、泣きそうにぬれた声でうったえ出した。
「ほんっとうに、情操教育に悪いな、このオタク」
葵がその横で疲れた顔を見せて頭を振った。
「ルイ、金の時代だと、その後、銀、鉄とだんだんランクが下がっていくんだよ」
「なんとっ!?」
エディが苦笑しながら、ギリシャ神話としての用語を正しく解説すると、瑠衣のけぞって、いやいやと頭を両手でかかえた。
「瑠衣とゆらのが発狂してて、なかなかヤッバイ絵面になってきてるんだけど」
けらけらとポニーテールをゆらして少女が笑う。
「でも、ボクもゆらのも瞬発力には自身があるのにさ、まるで歯が立たないなんて、くやしいなぁ!」
彼女はくやしがりながら両手を胸の前でにぎりしめて、ぴょんと跳ねた。さらさらのポニーテールがその勢いで、一瞬だけ天をつく。
「ミカも負けずきらいだね」
「当然だよ! 勝負は勝たなくちゃ!」
美佳はエディに勢いをつけて食ってかかり、その拍子にまたポニーテールがしなった。
とはゑはその表情豊かな髪の動きに目を輝かせる。
「ゆらのだってそう思うよね!」
「え、なにが? あたしはとはゑに変なこと教え込まないでほしい」
「……え、キミ、いつからそんな末期の恋愛患者みたいな思考になってたの?」
ゆらのと美佳の会話にはさまれて、とはゑは視線を行ったり来たりさせていた。その途中で、ぱちりとゆらのと視線が合ったから、とりあえず目元だけで笑ってみた。
「とはゑがかわいい……」
「かわいいは正義だよ、ゆらのっち」
「つまりとはゑはセイギ……」
「おい、瑠衣、どさくさに紛れて洗脳するな」
「ユラノ、キミも気をしっかり持って。Be sane」
葵とエディというお世話係が、瑠衣のささやきに飲み込まれないように、ゆらのの意識を引き止めた。
ゆらのは、ぷるぷると頭を振って、ほほを両手でたたいて気付けをする。
それを見て、とはゑも自分のほほに向けて、手のひらをかまえた。
「いや、だからマネしなくていいんだってば。痛いよ」
とはゑは、美佳に両手をつかまえられて、未遂に終わる。
「おーい、三栗! みんなでドッジボールやろうぜ!」
そんなところで、ゆらのを呼びつけたのは、達也だった。うでとこしの間にボールをかかえて、今にも走り出したそうにしている。
「え、やだ。あたし、とはゑと帰るから」
「んなっ!?」
ゆらのに、すげなくことわられて、達也は蛙がつぶれたような悲鳴を上げた。
動きを止めた達也を、二人の少年が肩をたたきながら茶化して、教室から走り去っていく。
「なんでだよ! 百人一首で勝負つかなかったんだから、ドッジボールで白黒つけるんだよ!」
「いや、百人一首とドッジとか、全然関係ないし、とにかく今日はもうとはゑと帰るから。とはゑ、お腹空いたでしょ?」
ゆらのに問いかけられれば、とはゑはすなおに、こくんと、うなずき、それからそのお腹もタイミングよく、くきゅるると鳴いた。
お腹をさするとはゑを見て、ゆらのがやわらかく目じりを下げる。
「うっ……くっ、母性溢れるまなざし、プレイスレス……もはや命をささげるしかこの尊さを讃えるすべはない……」
とはゑは、胸を押さえてしぼんでいく瑠衣を心配そうに目で追った。
「な、なんだよ! お前、転校生がそんなにだいじなのかよ!」
「うん、すごく大事」
「なっ」
ゆらのが打てば響くようにとはゑを優先するものだから、達也は言葉を失って、わなわなとふるえ始まる。
葵が頭をかき、エディが肩をすくめる。
「く、の……そうかよ! もう知らね!」
達也はそんな捨てせりふを残して、教室から逃げ出してしまった。
とはゑは、ぼんやりとその後ろ姿を見送る。
「いいよ、とはゑ。ドッジボールはまた今度やるから」
とはゑは、なんでもないように言うゆらのを見上げた。
「な、なに?」
とはゑがじっと見つめ続けると、ゆらのは戸惑いで声を上ずらせる。
その声に、とはゑはすっとまぶたを降ろして。
「……おな、か、すぃ……た」
空腹をゆらのにうったえた。
その言葉に、ゆらのは笑いをふき出した。
「そっか。うん、帰ろっか」
とはゑは、大きくうなずいて、ぎゅっとゆらのの手をにぎるのだった。
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