∞第2幕∞

 エディはひらりと左手を振って、するりと自分の席に帰っていった。

「ええと、じゃあ、みんなそれぞれで永久会さんに自己紹介をしていってね。今日はこれからレクをするけど、なにかしたいことはある?」

 國分先生は気を取り直して、ぱんと手を打ち、話題を切りかえる。

 生徒達は次々と手を上げながら、指されるのを待たずに声を上げた。

 ドッジボール。

 フルーツバスケット。

 鬼ごっこ。

 いろいろと子供らしい希望が上げるけれど、一番多い声は、百人一首だった。

「それじゃ、百人一首にしましょう。周りの人と十人でグループ作って、机を合わせてね。今日は五色全部使いましょう」

「はーい!」

 クラスのみんなが國分先生に元気よく答えて、てきぱきと百人一首大会の準備をしていく。

 ゆらのは、とはゑのつくえと自分の机をぶつけて、首をのばしてきた。

「とはゑ、百人一首やるよ。やりかた、わかる?」

 きょときょとと、みんなの動きにまばたきをしていたとはゑだったけれど、ゆらのに問いかけにこっくんとうなずいて髪を跳ねさせた。

「よかった。國分先生ね、授業が早く終わったりすると、百人一首やってくれるの。それで、勝つと上の段に上がっていくんだよ 」

 とはゑが、ふしぎそうに目をまるくするのをかたわらに、クラスのみんなはすっかり準備を終わらせていた。

 四つのつくえが合わさってできた舞台に、青、ピンク、緑、黄色、オレンジの五色に縁が分けられた取り札が散らばっている。

 とはゑは、ぱちぱちと、まばたきをして、最初の配置をながめた。

「源平合戦、じゃ、なぃ?」

「ん? とはゑ、なにか言った?」

 とはゑは、つぶやきを聴き拾ったゆらのに、ふるふると首を振って髪を踊らせた。

 ゆらのは、一息分だけ、とはゑを注視して、その心情を探ろうとして。

「よし、三栗! 今日こそはお前に勝つ!」

 それが果たされる前に、威勢のいい男子の声に思考が引っ張られた。

 とはゑとゆらのが、そろって大きな声のほうを向く。

 短く髪をかった頭をした少年が一人、ゆらのに向けて人差し指をつきつけていた。

 そのクラスメイトに、ゆらのがめんどくさそうにため息をはきだした。

「達也くん、去年一回もあたしに勝ててないじゃない」

 ぽつりと今までの勝敗をゆらのがこぼせば、達也と呼ばれた少年は顔を真っ赤にふっとうさせた。

「うるせー! 今日は勝つったら、勝つんだよー!」

「はいはい、段はリセットされたし、一緒にやってあげるわよ」

 ゆらのが勝負を受けると見て、達也は意気込むが、とはゑの視線がじっと注がれているのに気づいて鼻白んだ。

「な、なんだよ、転校生、文句でもあるのか」

「いや、達也くんだって、去年転校してきたばっかじゃない」

「なんだよ、俺だってもうこのクラスになんじんでるだろ!」

「なんじんってなによ。なじんでる、でしょ」

「なぁ! かんだんだよ、わるいか!」

 ゆらのと達也が言い争いするのを、周りは苦笑いとかなまぬるいまなざしを向けて、見守っている。

 達也がつっかかって、ゆらのがいなすのは、本人が言う通りもうクラスではお決まりのやり取りになっている。

「ねぇねぇ、とわえちゃん、そこで、わたしのためにあらそわないでー、って言ってみてくれないかな? かにゃ?」

「んぅ?」

 とはゑたちと同じつくえに集まっていた女子の一人が、とはゑに耳打ちをした。

 よくわからなくて、とはゑは一度首をこてんとたおすけれど、すぐに首を元にもどした。

「わたしのために、あらそわないで?」

 上目づかいに、舌足らずで、しかし、読み上げであるからつっかえずに、そのセリフはとはゑのくちびるから放たれた。

 言われた通りに素直に言葉をつむいだとはゑのかわいらしさに、ゆらのが胸をおさえてのけぞり、達也がぴしりと凍り付いた。

「やばいやばいやばいやばい」

「くっ……いや、まて、俺はちょろくない、ほれっぽくなんかないぞ、だって俺は」

 様子のおかしくなった二人に、とはゑは不安になって体をゆする。

 その横で、とはゑに二人を撃沈させたセリフを言わせた女子は、かいてもいない汗をぬぐうように、うででひたいをこすった。

「いやー、うちってばいい仕事したな。ごちそうさまです 」

「自分の欲望満たすために人を犠牲にするなよ、この愉快犯」

「葵くんってばひーどーいー。うちは二人がケンカになるのを止めたかっただけなのにぃ」

「だけじゃないだろう、だけじゃ。あとひどい棒読みやめれ」

 葵と呼ばれた男子は、すらりと背が高くて、とはゑは、くっと 首をそらして見上げないと顔がちゃんと見れなかった。

 大人びた顔立ちに、嘆息の名残がただよっている。

「どうも。僕は葵智之 。こいつは坂本瑠衣るい。まぁ、詳しい紹介は追々で。三栗さんとはよくつるんでるから、よろしく頼むよ」

 ゆらのと仲良しと知って、とはゑは、葵と瑠衣にぺこりとおじぎをした。

 そのお人形みたいなしぐさに、瑠衣が指をからめて手を組み、顔を輝かせる。

「やん! なにこれ天使? 天使は実在した? 二次元のカベを超えてきてくれたよ、お持ち帰りしたい」

「だめ!」

 興奮した瑠衣に詰め寄られる前に、とはゑの体はがばりとゆらののうでの中にうばわれた。

 表情のとぼしいとはゑが、ゆらのに抱きすくめられておとなしくしている。

「とはゑは、あたしが一番の友だちなんだから! おとまりするなら、うちが先だよ!」

 とはゑは、ゆらのの鼓動を背中に聞いて、ぼんやりとゆらのちゃんのお家におとまり楽しそう、と思った。

 そんなとはゑのまりの中で、瑠衣が鼻を押さえて身をふるわせている。

「やっば、尊い……尊死の危機がリアルで得られるなんて、ここはすなわちエデン……」

「死んじゃ、ぅ、のは……だめ、だよ?」

「ぐはぁ!」

「すごいな、無自覚に留めさしたよ、この天然さん」

 葵が胸を押さえてうずくまる瑠衣を冷たく見下ろすのを、とはゑも視線でたどる。

 もしかして、体が弱いのかな、ととはゑの心に心配がうたぐむ。

響乃ゆらのさん達ー。先生、そろそろ札の読み上げ始めてもいいかなー?」

「はっ! ごめんなさい、すぐに準備します!」

 國分先生に名指しで指摘を受けて、ゆらのがぴしりと背筋をのばした。

 達也も葵も、それから床にくずれ落ちていた瑠衣も、それまでのじゃれ合いがまるでなかったみたいに、しゃんと立ってつくえの上の札に視線を落とす。

「ユラノ、しかられちゃったね」

「もう、エディ、エーコクシンシなら、そこはなぐさめてくれるところじゃなくて?」

 するりと、とはゑと反対のとなりにやってきたエディに、ゆらのはおどけて肩をすくめた。

 そんな気安いやりとりに、とはゑは仲良しでうらやましいな、なんて思う。

 ゆらのとエディの会話を最後に、ぴんとしじまがクラス全体に張り詰めて。

「これ――」

 國分先生が最初の札を読み始めた。

 たし、ととはゑが一つの札の上に手を置いた。

「え?」

 ゆらののとまどった声が、とはゑの耳をなでる。

 達也はつり目をゆすって、百枚の内の一枚を探している。

 他の何人かは手をせり出していた。

「――やこの、ゆくもかえるもわかれては」

 國分先生の読みが進んで、はいっ、と勢いのいい声が一つひびいた。

「しるもしらぬもおうさかのせき」

 下の句まで読み上げられて、もう一つの声が上がった。

「しるもしらぬもおうさかのせき」

 國分先生が最後にもう一度、下の句を繰り返す。

 その頃にやっと、つくえを囲んだ全員の視線が、とはゑの白い手とその下の黄色い縁取りをされた札にそそがれる。

「うそだろ」

「え、早すぎない? まじで?」

 とはゑの立つグループのメンバーだけがざわついた。

 みんな、一年間ずっと百人一首を競ってきたから、強い弱いはすぐに分かる。

「とはゑ、手、あげてくれる?」

 ゆらのは、札を見せてという意味でそう言ったのだけど、とはゑはぴんと天井に向かって札を押さえていた右手を上げた。

 そうして現れたのは、しっかりと蝉丸の下の句がひらがなでつづられた札だった。

 誰かが息を飲んだ。

 ゆらのを始め、このグループにいた何人かは決まり字が頭に入っている。

 蝉丸の歌は、内容のわかりやすさもあって、上級者の取り合いになる札だった。

 ゆらのがほほを引きつらせて、顔を青くする。

 だってゆらのは、そういうみんなで取り合いになる札を、持ち前の反射神経と運動能力でうばっていって、上位に君臨していたのだから。

 そんなゆらのが手をのばすよりも早く、のんびりと手を置いたとはゑが札を取ったのだから。

 とはゑは、きょとんとしたまなざしをゆらのに向けて、もううでを降ろして取った札を自分のものにしていいと言われるのをじっと待っている。

 次の札は。

「きみが――」

 國分先生が三文字読んだところでとはゑが手を置き。

「なんで!?」

 決まり字の半分も聞かずに正しい札を取ったとはゑに、みんなが目を見開いた。

「んぅ? だって……わかる、よ?」

 ふしぎそうに、とはゑはみんなにそう返して。

 そんなことが続いて、終わってみれば。

 とはゑは七十八枚もの札を自分のものにして、堂々とグループで一番を勝ち取った。

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