∞第11幕∞

 とはゑはていねいに、芽言めことから教えてもらった歩き方をなぞって、またにこゑの背中を追いかける。

「異常気象。吹雪。寒波」

 とはゑの耳に、雪の世界に染み込んで、鈴が響くように渡ってくる声が届いた。

 とはゑは目を見開き、歩調を速め、そして何度も雪に足がはまって、さっきまでよりも進むのが遅れだす。

「世界を閉ざす。呑み込む。白。春を、阻む……終わらない、冬」

 それでも、とはゑはその背中を見つけた。

 リュックを背負って、雪と闇、星だけが瞬く空の下で、一人立つ少女を。

 聞き逃すこともない、見間違えるはずもない、たいせつなともだちを。

「冬。冬の再来……いいえ、冬の全て!」

 ざわり、ととはゑの肌が毛羽立った。

 何枚も重なった服を貫いて、寒さが肌をなでて、心臓まで手を伸ばされた、そんな恐怖がとはゑに追いすがった。

 そしてその恐ろしさが、ゆらのに絡みついてそこから吹き出しているという直観に、とはゑはなによりも怯えと怒りを抱く。

 ゆらのの右手には、菫色に浸されて染まったような無垢の万年筆があり、そこから飛び出したインクが穢れのない白へと変わりつつある。

 あとは、ゆらのが未言を定めるだけで、神秘は起こる。

「〈冬尽ふゆつ――」

「ゆらのちゃん!」

 だから、とはゑは、叫んだ。

 叫んで、ゆらのの結論を押し留めた。

 ゆらのは、とはゑの声に振り返り、おどろきの表情を見せて、詠唱を中断させて。

 中途半端に浮かんだインクの魔力は、行くあてを見失って端から凍り付き始めて。

〈冬尽くす〉

 そして差し挟まれた穏やかな詠唱が、ゆらのが展開した魔力を奪い去った。

 ゆらのを真ん中に置いて、台風がそうするように風が渦を巻いて吹き荒び、雪が視界を埋め尽くしてそれでもまだ凝結し続け、冷気は命全てを奪い去るのではないかと思う程無慈悲に、或いは慈悲深く、辺りに広がり与えられていく。

「とはゑ!」

 ゆらのは真っ先に、今起こった暴走にとはゑが巻き込まれていないか確かめ、雪の中を物ともせずに駆け付けた。

 ゆらのは、その動きについていけてないとはゑの手を両手で握り込み、鼻がぶつかりそうな勢いで顔を近付けてまくし立てる。

「だいじょうぶ!? 寒くっ……暖かそうね、その服」

 一しきり心情を沸騰させてから、やっととはゑの様子を見る余裕ができて、ぬくぬくという擬音もまとっていそうな衣装に目を止めた。

「へくちっ!」

 そして吹雪のど真ん中にいて冷やされた体がやっとそれに気づいたのか、ゆらのがくしゃみをした。

 とはゑは手袋をしたゆらのの手を、自分の素のままの手で包み返し、息を吹きかける。

 もれた呼気で靄目もやめになるとはゑの眼鏡を見て、ゆらのはのどの奥から笑いがこぼれてきた。

「あはは、あたしもだいじょうぶ。それに、手袋の上から息吹きかけても仕方ないってば」

「危機感を抱かないのは結構だが、何が起きたのか確認くらいしようと思わないのか」

 和やかになりかけた雰囲気を、声変わりをもう終えている落ち着いた声が引きしめ直した。

 とはゑがその声の通り道をたどって視線を持ち上げると、雑に伸ばして雑に切りそろえらえた黒髪の男性が雪の上に浮かんでいた。

 浮かんでいるんだと思う。だって、とはゑよりも背が高くて体重もあるはずのその体が、少しも雪をへこませずに、靴の底だけを雪の地面に触れさせているのだから。

 その右手には、金属製の懐中時計が浮かんでいる。以前見たのと別物だけど、きっとあれも未言に関わるものだと思う。

 だって、彼は前もゆらのから未言を奪った人だし、それに彼の後ろには、とはゑとゆらのを見て、にこにこと幸せそうに笑うキレイな女性がいたから。

 シュミーズ・ア・ラ・レーヌ、白い木綿仕立ての、マリー・アントワネットが好んだという白いドレスをまとい、空の水分を凍り付かせて宝石のように着飾っている、そんな未言巫女だ。

「やっぱり〈冬尽くす〉、あなただったのね!」

 ゆらのが、犯人を推理した探偵みたいに、びしりと人差し指を悠の後ろに立つ未言巫女に突き付けた。

 でもとはゑは、ゆらのがわざわざ呼び起こした未言だと知っているから、ゆらののピンと伸びた腕に手を置いて、ゆっくりと降ろさせ、ふるふると首を振ってみせた。

「え、なに、とはゑ。違うって違わないわよ。ほら、だってそこにいるじゃない」

 ゆらのは、どうしてとはゑが自分の行動を止めるのか分からなくて、混乱した。

 とはゑも、どうして自分の言いたいことが伝わらないのかと、むーと押し黙ってしまう。

 芽言も、とはゑの肩であきれ顔して首を振っていた。

 そこに、柏手が一つなった。

 とはゑもゆらのも、手を打ち合わせたにこゑに、耳控みみひかえられる。

「未言が出てくるのは、これからということよ。未言の美しさは、この程度ではまだ足りないって、どうしてゆらの、貴女こそが分からないのかしらね?」

 悠然と歩み寄るにこゑは、少しだけのからかいと、それから大部分を失望の悲しみで作った笑顔で、ゆらのに向けた。

 ゆらのも、にこゑの堂々とした立ち振る舞いに気圧されて、反論が口まで出て来てくれない。

 けれど、ゆらのは視界に入って来たものに、不満を通り越して焦った。

「にこゑさん、前!」

 悠の後ろにいた冬尽くすの未言巫女が、胸を抑え、そして内側から世界を凍り付かせて、氷の棘を突き出した。

 それは悠だけは通り過ぎて、まず真っ先に距離の短った地面に突き刺さって雪を巻き上げ。

 何本も伸びるそれの一つが、ちょうどにこゑ目がけてせまって来ていた。

 ゆらのは、とはゑの乱入から気を取られて、未言書きの準備ができていなかった。

 せめて、にこゑを押し飛ばしてしまおうと、腕を伸ばす。

 そうすれば氷の棘はゆらのに突き刺さるだろうけど、当たり所さえ悪くなければ、気合で耐えられると判断した。

 とはゑはまだなんの反応もできていない。きっと彼女が事態を把握するのは、だれかの血が飛び散ってからになるだろう。

 そして。

 にこゑは、ごく自然に、冬尽くすの伸ばした棘に手を置いてそれを押し留めた。

「ぴぃっ!?」

 ゆらのは、余りに訳がわからなくて、伸ばした手を途中でたわめて、情けなく鳴いた。

 とはゑは、恐ろしい棘が姉に伸びているにやっと気づいて息を飲み、そしてその状況に気絶しないようにするのがやっとで思考が真っ白に凍り付いていた。

 だから、にこゑだけが、なんの気もなしに手に力を込めて、冬尽くすの氷を手折った。

「悪いけれど、貴女は此処で出て来る必要はなかったのよ。そんな不完全な状態でいるのも据わりが悪いでしょうから、もう還りなさい」

 にこゑは優しく、そしてささやくように告げて。

 彼女の手元から、冬尽くすの氷がくずれて霧のようにさらさらと風にさらわれていった。

 崩壊は氷だけでなく、未言巫女本体にまで及ぶ。

 冬の終わりに相応しく、音もなくきらめきながら、その姿は砂よりも小さな粒になって、まぼろしみたいになかったことになった。

 それはキレイだからこそ、なんだか悲しくて、とってもさみしい気持ちに、とはゑはなった。

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