∞第10幕∞
とはゑは、家の窓にべったりとへばりついて外を見ていた。
窓に触れた手のひらから、ひんやりと体温が失われていくけれど、真っ暗な夜を裏にした窓は、そうやってくっついて見ないと鏡みたいにとはゑの姿を
街を真っ白に飲み込んだ吹雪はとはゑがお夕飯を食べている間に止んでいて。
今は真っ白な雪でふわふわと街に覆い被さっている。
夜の闇に雪は静かに眠っていて、布団のように気持ちよさそうで。
街はぽつぽつと家の明かりと街灯だけが見えて、だれも歩いていない。きっとみんな寒いから、もうお家に帰っているんだろう。
とはゑはそんな冬の終わりに訪れた眠りを、じっと見つめていた。
「とはゑ、こっちにおいでなさい」
そんなとはゑを、にこゑが呼びつけた。
とはゑは、くるりとだいすきなお姉ちゃんに振り返って、ぱたぱたと足音をフローリングに鳴らしながら駆け寄った。
「いい子ね」
にこゑに一なでされて、とはゑは気持ちよさそうに、猫みたく目を細めた。
そんな妹の服のエリに、にこゑが手をかけて、するりと脱がしていく。
とはゑは、なんの抵抗もなく、姉の手で着ていたものを取り払われて、暖房の効いた空気に素肌をさらした。
それから、また姉の手で、新しい服を着せられていく。
それは何枚も何枚も重ねられて、とはゑの体にずっしりとのしかかった。
白の薄い下着に、薄い水色、その上に
それから氷銀の地に青く風花が刺繍された裳をはかされる。
暖かい部屋の中だと、じんわりと汗ばんでくるくらいに厚く重なったその服は、中国の宮廷衣装を真似て作られている。もちろん、にこゑのお手製だ。
にこゑは、鈴のついたかんざしでとはゑの髪を結い上げると、満足そうに一つうなずいた。
とはゑの姿は、仙女のように可憐に仕立てられていた。
「最高にかわいくて、素敵ね」
お姉ちゃんにほめてもらえたのがうれしくて、とはゑは暑くて上気した頬にもう一度朱を足した。
「それじゃ、行きましょうか」
大きなバッグを一つ肩にヒモをかけて抱えたにこゑは、とはゑの手を取って、玄関までみちびいた。
どこに行くとも聞いていないけれど、とはゑは、いつだって、どこへだって、お姉ちゃんと出かけられるならうれしいから、若草色に塗られた木の靴にちょこんと足を入れた。
まだ月は山の向こうから顔を出していなくて、ただ星だけが雲の過ぎ去った空にきらめき、そして雪がその光を映して瞬いている。
けれどその光は辺りを染めるにはとても足りなくて、景色は海の底みたいに深く静かに暗い。
とはゑが足を踏み出せば、降ったままだれにも汚されていない雪が、しゃくりと音を立てて沈んだ。
靴と裳の隙間から、足をせり上がってくる冷たさが気持ちよかった。
なんだか、その冷たさをまとって、自分がきれいになるような気がした。
そして二歩目を踏み出して。
それでとはゑは、両足が雪にとらわれて動けなくなってしまった。
まなじりを下げて、お姉ちゃんの顔を見つめる。
「ふふ、自分で雪を踏み締めて道を作るのは、とはゑにはまだ早いみたいね」
本来の足の幅を何倍にも増やしてくれるブーツをはいたにこゑが、すり足で歩み、二本の線を描いてとはゑの前に道を作った。
とはゑは慎重に足を持ち上げて、にこゑが描いてくれたレールへと降ろす。
ぎゅっと、雪は沈みながらもとはゑの足を押し返してくれて、とはゑの視線が少しだけ持ち上げられた。
「ゆっくり歩きなさい」
とはゑがこくりとうなずくと、振り返っていたにこゑはまた前を向き、ずりずりと足跡を線にして進んでいった。
きれいに縁どられた道をたどって、とはゑはその背中を追いかける。
いつもと違う歩き方で、いつもと違って大きな荷物を背負っているのに、にこゑの歩みは彼女の髪の一条も揺らさないほどに整っていた。
とはゑは、今はまだマネできないけれど、いつかお姉ちゃんみたいにきれいな姿勢と振る舞いで歩きたいと、ちょこちょこ足を動かす。
「とはゑは雪の上を歩くのに慣れていませんのね。体重を足に落とさずに、お腹の辺りで持ち上げるようなイメージで歩くといいの」
道行く人はだれもいないと判断して、とはゑの漢服のエリから
とはゑの肩に乗ると、耳元で歩き方を教えてくれる。
とはゑはがんばって実践しようとするけど、ちょっとイメージが難しかった。
時々、逆に力んでしまって、ずぼっと足が雪を踏み抜いてしまう。
「膝を曲げちゃだめですの。足は余り上げずに、雪面に足の裏を擦るように前に出して、ああ!」
芽言が説明してくれている途中で、とはゑはまちがえてひざを曲げてしまって、体重のかかった軸足が落とし穴にはまったみたいに落ちた。
がくりと、体勢をくずして転びかけてとはゑを、あわててわきの下に飛び込んだ芽言が支えてくれる。
「あ、ぃ、がと」
「どういたしましてですの。慣れてないと新雪を歩くのは難しいですの」
芽言は、雪がめったに降らないし、降っても積もらない熊本でずっと過ごしていたとはゑが、歩くのに不便しても仕方ないをなぐさめてくれた。
それから芽言は、ぐるりと首をめぐらせて、同じ土地でずっと生きてきたはずなのに、なんの不都合もなく雪の上を進むにこゑを見て、沈黙する。
「なんであっちは、あんなに上手に雪の上を歩けるんですの?」
現代にして新しく生まれた神秘である未言の化身からしても、にこゑの態度は大いに不思議に思えたらしい。
そのつぶやきが聞こえたのか、にこゑは立ち止まって、くすりと笑う。
「年の功よ」
「貴女、四十六億年くらい生きている魔女なんですの?」
芽言が思わずぼやいたのは、未言屋店主が自分の母親に向かってよく言い放っていた台詞だった。
「おね、ちゃ……中学、せぃ、だよ?」
でもそんなことを知らないとはゑは、大まじめな瞳で芽言を映して、姉の年齢を告げた。
重苦しい沈黙が、芽言の体に何秒かの間、のしかかった。
「冗談ですの。気にしないでほしいですの」
芽言はなんとかそれだけ伝えて、とはゑの足を後ろから頭で持ち上げて、雪から脱出させた。
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