♪第8幕♪
「……絶対に正解までたどり着ける方法とかって、ないのかなあ……」
ゆらのがそうつぶやいた 頃には、すっかりおやつの時間になっていた。
解いては見直し、解いてはやり直し、を続けるうちに、ゆらのの計算スピードは少しずつ速くなっていった。
とはいえ、その分、小さなミスも増えていく。
元々、ゆらのの頭の回転は速いほうだ。ただ、その量が多くなると、頭がパンクしてミスが起きやすくなる。少数や分数が混ざったり、数が大きくなったりすると、こんがらがってしまう。
前回の勉強会で、光斗にもそれが分かったらしい。教科書の簡単な問いを解き終えたゆらのに、オリジナル問題と称して出す問題は、小学生にとってはかなり難解なものだった。
(ええと、一引く二分の一、じゃないわ、先にカッコの中の二分の三足す四分の三をして、そのあとに四十二と三を……ああ違う、かけ算が先だわ!)
むむむむむ、とうなり声をあげるゆらのの目つきは、完全に獣と戦うときのそれだった。
光斗は時折「慎重にね」「本当にそれでいいのかな」と声をかけながら、ゆらののズレを正していった。ゆらのの視線の鋭さに若干引いていたが、ゆらのは気づいていなかった。
そうして今、ゆらのの前には、いくつもの正解を表すチエックマーク がある。
しかし、その半分ほどは光斗に助けてもらったもので、結局自力で完璧に解けたものは片手で数えられる程度だ。
光斗は、「そりゃ、いきなり完璧にできたら、練習なんていらないさ」とキッチンからスコーンの載った皿を持ってくる。オーブンで軽く焼き直したおかげで、湯気が立っていた。
テーブルにはすでに、ブルーベリーといちごのジャム、それからマーマレードのビンが並んでいる。これも、ゆらのが家から持ってきたものたちだ。
そこに加えられたゆらのと母の手作りスコーンは、甘く香ばしい匂いで部屋を包んだ。
コップの中の氷は溶け切ってしまっていて、光斗に新しい氷を入れてもらう。
ゆらのは、薄くなってしまったオレンジジュースを一口飲んだ。冷たくて瑞々しい感覚が、のどを通り抜けていく。
一旦ノートと教科書を閉じ、場はおやつタイムになる。
スコーンの外はさっくりとしていて、中はしっとり柔らかい。元々ジャムを添えることを前提としているらしく、味はプレーンだ。
いちごのジャムを、これでもかと乗せながら、ゆらのは頬をふくらませた。
「でも光斗さんって、めったに間違わないじゃないですか。この間のテストだって、算数も英語も、ほとんど満点だったって聞きました。確かに私よりずっと勉強しているから、当然かもしれないけれど……」
「そんなことないさ。僕だって間違えることもある。むしろ練習中は、間違えたほうがいい。だから僕もたくさん問題を解いて、たくさん間違えるようにしている。……そうだな、でも、失敗してはいけないところでは、絶対間違えないように努力はしている、かな」
光斗は、ゆらのの隣に座ると、他と比べてほんの少し不格好なスコーンを手に取った。マーマレードを乗せると、一口かじった。少し目を見開いて、「おいしい」と呟く。
(そ、それ、あたしが型抜きしたやつだわ! うまくいかなかったから、詰める前に他の皿に避けておいたはずなのに……!)
焦るゆらのを知ってか知らずか 、光斗は「さすがだね」と残りのかけらを口の中に放り込む。快い音が、ゆらのの耳にも届いた。
「外側のさくさく感がいい。食べやすい大きさだから、勉強のお供にぴったりだ」
もう一つスコーンを手に取り、今度はブルーベリージャムのビンに手を伸ばす光斗。
その薄桃色の唇の端には、スコーンの滓がちょっぴりくっついていた。
ゆらのは大きく息を吸い込んで、何とか心を落ち着ける他ない。
(そうよゆらの、あなたは勉強に来たの……ここでたくさんアドバイスをもらって、テストでいい点を取って、光斗さんにほめてもらうんだから……)
短く強く息を吐きだしたゆらのを、光斗はちらりと見た。
「…………」
泣く子も黙りそうなその形相を見た上で、気がつかなかったふりをすることにした。口の端のスコーンを指で落としてから、スコーンをかじる。
ゆらのは氷鈴鳴るコップを傾けてから、「さっきの話ですけど」と話を戻す。
「『間違えない』って、結構難しいことじゃないですか。特に、テストのときとかって、緊張しちゃうし、時間も限られているし。テスト以外でも言えることだけれど、『ここ!』ってときに限って、うまくいかないんです。本番に弱いっていうか……」
言葉がまとまらないのは、話している内に、
結果的には、とはゑとうまく上光をしずめることができたが、ゆらのはその前に、戦う意思のない上光を攻撃している。
(上光のことを知らなかったからとはいえ、あの行動は失敗だったわ。でも、あの場面ではどうしようもなかった、とも言える。相手が先制攻撃してこないとも限らないし、実際、それで誰かが傷つきそうになったことも、たくさんあった。でも……でも……)
エドワードに話した、自身の字のこともそうだ。その時は「これが一番正しい」と思っていても、後から見るとうまくいっていないことが多い。
喉を通ったオレンジジュースはひどく甘くて、むしろゆらのの喉を渇かせる。
(……もっと、いろんなことを知らなくちゃいけない。勉強して、頭がよくなって、とはゑみたいに深く考えられるようになったら。エディみたいに、冷静な判断ができるようになったら。光斗さんみたいに…… )
ゆらのはコップを勉強の邪魔にならない場所に置くと、自身のスコーンの皿を遠ざけた。
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