♪第4幕♪

「その、私にはよく分からないのだけれど、魔術? 的にも大丈夫なの?」

 ひと段落ついたところで、ゆらのは尋ねる。

「前に持ち主がいたというのが信じられないくらいまっさらな状態だよ。星の中から掘り出されたと言われた方が、納得できるね。まるでユラノのためにここにあるみたいだよ」

 ゆらのは、「ふうん」と事も無げに返した。彼のややオーバーな物言いには慣れている。

 だが、やはり嬉しかったのだろう、ゆらのの口角が少し上がっていることは、誰が見ても明白だった。

「それなら、良かった。あたしも、この子たちの良さを消さないように、頑張るね」

 それから、ゆらのは、命宝みょうほうから視線を移す。元より、命宝の方はそれほど心配しなくてもよいだろう、とは思っていた。

(問題は、こっちよね……)

 その視線の先には、今回も大活躍した、二本の万年筆がある。特にゆらのが心配しているのは、桜華おうかの方だ。

「さっきもちょこっと話したけれど、《統木すばるき》を発動させた時に、思わずペン先を突き立てちゃったのよね……大丈夫かしら」

 魔力をかの木に流し込むには、あれが一番いい方法だった、とは、今でも思っている。とはいえ、それが言い訳にしかならないことも、ゆらのは十分に承知していた。

 桜華と宵菫しょうきんのキャップを取る。

(……ほんと、エディがいなかったら、どうしていいのかさえ分からなかったわ)

 そんなことを思う。口にすれば、それこそオーバーなリアクションと共に大喜びするから、言わないのだけれど。

 だからゆらのは、エディの指先が桜華に触れるのを、ただじっくりと眺めるに留めた。

「宵菫もまだ調律は必要ないね。桜華は……うん。ゆらの、余り手荒なことはしちゃいけないよ。I feel sorry for this」

 少し厳しい顔をした調律師見習いに、ゆらのは首をすくめた。

「はぁい」

 苦笑したエドワードは、部屋の奥に向かって、鋭く手招きをするような仕草をした。

 それに応じて、雑多に見えた棚から、するり、するりと、ルーペ、鉗子かんし、細い針、フィルムなどがエドワードの前にやって来てかしずく。

 ルーペはエドワードの右目の前で前後し、自動でピントを合わせる。鉗子にはエドワードがぶつぶつと言葉をかければ、空中でぴたりと固定された。

 エドワードは慣れた手つきで桜華を分解し、ペン先をペン軸から離す。鉗子はペン先を捕まえて固定し、エドワードはまず、滑らかな質感の布巾で丁寧に撫でる。

 ついで、エドワードが指先に力をこめると、その布巾は凍り付いたように固まった。そのまま、エドワードはペン先の歪みを補正していく。

 ゆらのは、目の前で行われていく調律を、申し訳なさそうな、かつ興味に満ちた目で見つめている。

 見たところで作業の内容が分かるわけではない。だが、自分の仲間とも言える万年筆が、丁寧に整備され、磨かれ、また生き生きとし始めるのを見るのは好きだった。

 時折、音を立てないように、そっとつばが飲み込まれた。それ以外、ゆらのが身動きをすることはなかった。

 簡単なようだが、彼の指先では、板金が再度されている。わずかな熱と圧力で、金属を疲労させずに形を整える、高い技術力が求められる作業だ。二度、三度と力点の場所を変えて指を押しこんだ。

 その次は、フィルムがプラスチックの板に当てられた。ゆらのにはわからないが、このフィルムは柔らかいヤスリなのだ。

 エドワードはそのフィルムでペン先を一なでする度、ルーペ越しに状態を睨み、眉にしわを寄せる。

 たったの三度。エドワードが桜華のペン先を研磨した回数だ。ただし、その三回の間に、時計の長針は半周していた。

 最後に、エドワードはペン先に針を通し、布巾で丁寧に拭った。

 ペン軸やコンバータ、胴軸も布巾で拭い、専用のブラシで洗浄して、組み立てていく。

「Thank you for your waiting.お待たせ、ユラノ。これで終わりだよ」

 ぼうっと眺めていたゆらのは、エドワードの言葉でようやくはっとする。

「……あ、ええ。ありがとう、エディ」

「your welcome.どういたしまして。でも、やっぱり未言書きの調律は疲れるね。気高いから、なかなか弱みを見せてくれない」

 エドワードは目をもみ ほぐし、体を背もたれにゆだねた。だるそうに腕を振れば、道具は自分から棚に戻っていく。

 感謝の言葉の代わりに手を軽く振ってから、ゆらのは「そうなの?」と目をしばたたかせる。

「私には、この子たちがとてもリラックスしているように見えたわ」

 つう、と桜華をなぞれば、それはひとひらの花弁を吹き出した。濃いピンク色をしたそれは、ゆらのの顔のあたりまで上がり、花火のように消える。

「それは乱暴なユラノに怒っていたのかもね」

 エドワードの英国ジョークを、真に受けたゆらのは「うわっ、えっほんと?」と慌て出す。

「ご、ごめんね、今度は丁寧に扱うから! 多分!」

 わたわたと手に取れば、桜華に同調するかのように、宵菫から紫色の花弁が飛び出す。ゆらのの額に軽く触れてから、ゆっくりと空中に溶けた。

「で、でこぴんですか宵菫さん……?」

 全く痛くも痒くもないだろうに、涙目のゆらの。

 エドワードは口もとを隠して、くっくっと笑った。

「嫌われないように、Be careful,気をつけないとね」

 ゆらのが、むう、と頬を膨らませる。

 エドワードの笑みに満ちた目元が、あくまで密やかな、俗っぽさのないものであることが、なおさらゆらのを悔しがらせた。だが反論の余地もなく、ゆらのは口をとがらせるほかない。

「もう。こうなったら、ずっとエディにはあたしの未言書き達を見てもらうんだから! それがこの子達にとってもいいでしょうし!」

 思わず口走る。

 エドワードが、ほんの一瞬だけ、固まった。

 だが、それが表情になるよりも早く、彼はココアのカップをつまみ上げた。最後の一口を飲み干すようにして、彼の顔はゆらのから見えなくなる。

 ゆらのは頬を膨らませたまま、むん、と腕を組む。だが、しばらく経ってから目が泳ぎだした。気恥ずかしくなったのか、クッキーを二、三枚、かじる。

「……それで、よろひいかし、ら?」

 何だか変な口調になっていた。

 天井では、蛍のような光がいくつか舞っている。

 エドワードが目を細めた。

 彼は、「もちろん、生涯をかけて看るとも」と、笑う。見る人によっては、泣き出しそうな笑みにも見えたかもしれない。

 だがゆらのにとっては、聞きなれた、少しキザでオーバーな言葉のひとつを受け取ったに過ぎなかった。イギリスの人って、みんなこんな感じなのかしら、なんて苦笑する。

光斗こうとさんもイギリスの血が入っているらしいし。ああ、でも、光斗さんから「生涯をかけて」なんて言葉を聞いたら、くらくらしちゃうわ。倒れちゃうかも。エディだからこそ、素直に受け取れるセリフよねえ)

 ゆらのは、そんなことを思いながら、口端をあげた。

「うん、よろしく」

「ああ、誰にもこの立場には手を出させないよ。It is my most desire 」

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