第2話 ゆらのととはゑと白銀夜会

♪第1幕♪

「ハロー、エディ。来たわ」

「ユラノ、Welcome」

 重い木製の扉を開けたゆらのに、一人の少年が、黄金こがね色の髪を揺らして振り向いた。

 流ちょうなイギリス英語は、ゆらのにも聞き取りやすいよう、ややゆっくりと発される。

 彼女が訪れたのは、チューナー家の工房だ。

 幼馴染のエドワード・チューナーは、「調律師」見習い。

 それも、ただの調律ではない――魔術物品の、調律だ。

 ゆらのの持つ万年筆「未言書みことがき」や、とはゑの「未言草紙みことそうし」といった、主の魔力を通すことで力を発揮する道具たち。それらは、使い続けているうちに、不具合を起こすことがある。

 そのため、チューナー家のような「調律師」に、時折メンテナンスをしてもらう必要があるのだ。

 ゆらのは、この工房に入るたび、深い息を漏らしてしまう。

 ――そこには、ありとあらゆる道具が詰め込まれていた。

 ドライバー、六角棒レンチ、ニッパーなど、ゆらのの家にもある簡単なものから、名前もしらない工具までが、全て同じ棚に突っ込まれている。

 ある程度整頓はされているが、あまりに物が多いために乱雑さは否めない。

 隣の棚には、鋼やルビーなどの原石類、理科室にあるような実験器具、様々な言語で書かれた本、見たこともないお札などが、やはり雑多に並んでいる。

 対して、テーブルの上はある程度片付けられていた。どうやら、ゆらのが来る連絡を受けて、せめても、と整理したらしい。白いカップと、同じ色のシュガーポットは、すでにその場に出ている。

 カップの近くに置かれた陶器のポットからは、湯気が吹き出している。コンロやバーナーのたぐいは見当たらない。それにもかかわらず、ポットのふたがカタカタ動いているのは、それ自体が魔術物品だからだろう。

「とても大変なことがあったみたいだね。 You'll be all right? 大丈夫かい?」

 エドワードが口を開く。

 彼と繋がっているのだろうか。天井の、ぼんぼりのような電灯から、蛍のような小さな光が飛び交って消えた。

 ゆらのは、コートを脱ぎながら「そうなのよ!」と答えた。

「ああ、でも、大変、ってわけじゃないの。それは、いつものことだから。あなたも知っている通り、ね。それで、あのね、あたし以外にもいたのよ、未言少女が!」

 やや興奮ぎみに話すゆらののコートを受け取りながら、エドワードは首をかしげる。淡いグレーのセーターが、彼の上品さを際立たせていた。

「ミコト、ショウジョ? ……うん、まずは座って」

 そう言いながら、テーブルの椅子を引いてみせる。

 ゆらのは「ああ、それもそうね」と頷いた。

木製の椅子は、座部にクッションが敷かれていて、ゆらのの心を少し落ち着かせる。

「なにか淹れよう。紅茶がいいかい? それともココア?」

「そうね、ココアがいいわ。今日は、甘いものが欲しい気分」

「All right. 任せて。すぐにお持ちしますよ、Princess」

「うん、お願い。あなたがくれる飲み物って、なんだって美味しいんだもの」

 ゆらのの言葉に、お世辞はない。それを知っているエドワードは、にこりと微笑んだ。

 それから、つい、つい、と、何かを招くように軽く指先を何度か振った 。

 カタカタ音を立てていたポットの音が止む。

 代わりに、空の片手鍋とスプーン、市販の牛乳のパック、それから黄色の缶が、それぞれ宙を飛んでやって来る。

 片手鍋もまた魔道具なのだろう、その外見は、やけにシンプルなものになっている。銅製のそれは、おしゃれな電灯の光を反射して、きらりと輝いた。

 エドワードは、やってきた片手鍋に、ココアと砂糖をスプーン二杯分ずつ入れ、 牛乳を少量加える。パチン、と指を鳴らしたのは、それが片手鍋に熱を加えさせる合図だからだ。スプーンでよく練れば、それらはペースト状になった。

「……ひょっとして、エディは紅茶の気分だった?」

 ひとりでに浮かび、部屋の奥へ去っていくポットを見ながら、ゆらのはたずねる。

 確かに、役目を果たせなかった上品な花柄のポットは、どこかしょげているようにも見えた。

「Don’t worry about it. そんな事ないさ。あの子はあの子で、またの機会にお茶を淹れるときに役立ってもらうさ。それに、僕も、甘いものが飲みたいところだったんだ」

 牛乳を少しずつ加えながら、エドワードは軽く返す。

 それを聞いて、ゆらのは「そう」と答えた。ポットには、軽く手を振っておく。

 はじめの頃、彼のお姫様扱いには、ゆらのも戸惑った。ゆらのの気持ちに寄り添うように話す彼は、何かを隠しているようにも見えた 。

 だが、今となっては、もうそれも慣れたものだ。丁寧で、物腰の柔らかい彼は、ゆらのにとって良い幼馴染になっていた。エドワードが未言の存在を知っていることもあって、なかなか人には話せない相談を持ちかけることもできた。

 やがて差し出されるカップからは、上品な甘い香りが漂う。お茶菓子は、やはり部屋の奥から飛んできたボックスクッキーだ。

 お礼の言葉を言ってから、ゆらのはカップに口をつける。程よい温かさを持つココアは、外からついてきた寒さをあっという間に追い払った。

 「おいしい」と言う言葉が、自然と出る。生クリームもシナモンも必要ない、ただそこにある、シンプルな甘みだ。ゆらのは、もう一口飲んでから、またおいしい、と呟く。

 エドワードは、その反応を十分に楽しんでから、視線で先程の話の続きをうながした 。

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