∞第41幕∞
しかし、そこで動きの止まったゆらのを、とはゑは不思議そうなまなざしで見つめる。
「……とはゑ、あの、もう一回、さっきの詩を詠み上げられる?」
いくら感動して胸をたたくものだとしても、その一字一句全てを一回耳で聴いただけで書き上げられるのは、まぁ、だれだってむずかしい。
ましてや、逆に感動の波にほんろうされたからこそ、ゆらのは揺さぶられた自我では言葉の意味をたどることなんて、できていなかったのだ。
とはゑは、未言草子をかかげた姿勢のままで、軽くまぶたを閉じ、そのまま自分の命の奥を探りながら、自らの詩をすらすらと詠み上げる。
〈黎明に未だ世は暗く
雲は薄く空を覆いて、まさに夜を顕して朝に障る
太陽はまみえず
ただ
「待って待って! 早い早い! もっとゆっくり!」
とはゑの口に、ゆらのの筆はとてもついていけなくて、待ったをかける。
とはゑはじぃっとゆらのを見つめ、ゆらのは
「一文字ずつ、ゆっくり、おねがい」
ゆらのの返事を受けて、とはゑは一拍の間を置いた後に、また口を開いた。
「れ、ぃ……めに」
「ええと、れいめいに……もしかしなくても、レイメイって漢字?」
こくん、ととはゑは当たり前のようにうなずいた。
「ええ……レイメイって漢字どんなだっけ……?」
ゆらのに聞かれても、とはゑも改めてそのむずかしい漢字をイメージするのはできなくて、こて、と首を肩にたおした。
「しばらく待たされそうだの」
とはゑは、どうにもやりにくくて、むぅ、くちびるをとがらせた。
そしてとはゑは、ゆらのの背中に回り、えい、と体をのしかけてきた。
「え、なになに? どうしたの?」
急におぶさってきたとはゑに、ゆらのは大いにとまどった。
とはゑはゆらのの背中にぴたりと体をくっつけて、ゆらののわきから手をのばし、未言草子が彼女の前に来るようにする。
そして耳の後ろにくちびるを寄せて、詩を紡いだ。
〈黎明に未だ世は暗く〉
「ぴぃゃっ!?」
とはゑの
けれど、その跳ね上がるような驚きを越えて心がクールダウンしてくると、とはゑの詩心がそのまま、ゆらのの脳に文字として結ばれる。
「あれ……? わかる?」
とはゑは、ゆらのの手が自然に自分の思った通りの文字を綴るのを見て、にこゑにまなざしを送った。
それというのも、この行動は、昔ににこゑが教えてくれた、妖精が見える人の感覚を、妖精が見えない人に共有させて、同じ景色を見えるようにする方法を参考にしたからだ。
にこゑは、妹が教えたことの一番深い意味をしっかりととらえて、こうして応用していることに誇りを抱きながら、はっきりとうなずいて、とはゑをほめてあげた。
にこゑに後押しされたとはゑは、意気揚々と詩を紡いでいく。
〈雲は薄く空を覆いて、まさに夜を顕して朝に障る
太陽はまみえず
ただ
人々の瞼も、空にかかる雲と同じく
瞳に陽を映すことを拒み、未だ夜なりと眠りに耽る
安らかなる夢海は永遠を招くように甘美で、明けなる緋を迎えることを願わじ
それは無明なる人々のただ続く何もなき盲目なる穏やかな日々よ〉
朗々と紡がれる詩を、直接感性を通して脳に情報としてたたき込まれたゆらのの頭が、くらりと落ちかけた。
「ま、ちょ、きもちわるい……」
いきなり他人の思考をそのまま押し込められて、ゆらのの自我が悲鳴を上げて、それが吐き気となって現れた。
ゆらのが口元を押さえるのを見て、とはゑも思わず口を止める。
そこへ、
それは冷や水を浴びせたように、ゆらのの思考を透き通らせる。
「あ、楽になった。ありがとう无言……全部きれいに忘れたけど」
无言がひらり、ふらりとゆらのの周囲でなびく。
またゆらの酔ってしまったら、頭の中を空にしてくれるつもりなのだろう。
「とはゑ、いっぺんに流すと耐えられないみたいだから、一節ずつにしてあげなさいな」
見かねたにこゑにたしなめられて、とはゑはしょんぼりとした。
そしてゆらのへの謝罪の気持ちを、ゆらのの背中にひたいをすりすりとこすり付けて伝えようとする。
「ちょ、とはゑ、それくすぐったい」
そんなふうに少女たちがじゃれている姿を、にこゑと上光はそれはもう満ち足りた表情でながめている。
「早く上光を綴らないの?」
芽言にぽつりと指摘されて、ゆらのは、はっと気づいた。
「そ、そうよ、とはゑ、一節ずつならいけると思うから、早く上光を綴ってあげよう?」
こくこくと、とはゑも、ゆらのの意見に賛同を示した。
一節ずつ、丁寧に、とはゑは口から詩を紡ぎ、肌を伝って思想をゆらのに伝えていく。
ゆらのは、それを一文字ずつ丁寧に未言草子の光こぼれるページに綴り、時折、頭がいっぱいになってふらつくも、その度に无言に溜まった情報を霧消してもらって、とはゑの詩を具現していく。
〈何よりも君を命の底から歓喜させるということを!〉
とはゑの声が勢いよく詩を締め、ゆらのの手が威風堂々と最後の文字を綴じた。
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