∞第40幕∞

「代わりに書けばいいじゃない」

 そんな二人の未言少女が、なにも打つ手がなくなったところに、なんでもないように、にこゑが口を挟んだ。

 ゆらのと芽言めことがそろって、にこゑの顔を見た。

「いや、代わりに書くってだれが書くんですか」

 ゆらのは考えるまでもなく、そんなのむりだろうと力なく首を振った。

 そんなゆらのの意識の外から、无言むことがひらりと足元にすべりこんで、右手に向かって急上昇した。

 いつも霧そのものの重さしか持たずに、触れたらすぐに散ってしまう无言が、その時ばかりは確かな反動をもって、ゆらのの右手を上げさせた。

「え?」

 ゆらのが、无言に跳ね上げらた自分の右手を、呆然と見上げる。

 とはゑもまた、ゆらのの指もひじもゆるんで曲がったままのうでを見つめて、きゅっと両手でにぎりこんだ。

「无言が自分から意思表示をしましたの……じゃなくて、なるほど、ゆらのの未言書みことがきなら、未言草子にとはゑの詩を記せるかもしれませんの」

 百年越しに、いつでも我関せずを決め込んでいた无言の自発的な行動に感動がついもれてしまったものの、芽言は持ち前の生真面目さで无言の考えを代弁した。

「しかし、ゆらのが持つは、桜華おうか宵菫しょうきんであろう? を綴るには、取り合わせが悪しかりなん。せめて睡雪すいせつでありせばな」

 上光は、方向性は認めながらも、現実としてゆらのが今持つものでは荷が勝っていると告げる。

 本人をそっちのけにして進む話に、ゆらのはぱちくりと目を瞬かせるしかできない。

 そしてその極めつけは、もちろんながら、にこゑだった。

「それなら、これならどう?」

 にこゑがポシェットから取り出したのは、螺鈿らでんあやめいて美しい万年筆だった。

 无言をのぞいたその場の全ての人物の視線が、にこゑの手元に集中した。

「それは、まさか、命宝みょうほうですの!?」

「ほぉ……未言書きの中でも逸品よな。うむ、吾を綴るに相応しい品ぞ」

「でしょう。ほら、ゆらの、貴女が使いなさいな」

 ごく当たり前にゆらのの手に、にこゑは命宝と呼ばれた万年筆をにぎらせてくる。

 一瞬、ゆらのはまじまじと自分の手にやって来た明らかに高価で年季の入った万年筆を見て。

「ぴゃっ!?」

 そんなものをあっさりと預けられて、全身を跳ねさせた。

「いやいやいやいやいやいやいやいや! 高いですよね、これ!? え、なに!? これどこで手に入れたんですか!?」

「未言屋店主のついの棲家に眠っていた物よ」

「あっさりと答えられてもそれはそれで戸惑いしか起こらないんですけど!?」

「未言屋店主の使っていた由緒正しい万年筆よ?」

「なおさら受け取りにくいですから!」

「桜華も宵菫も、同じ未言屋店主の愛用品でしょう。ゆらの、貴女の手元にあってこそ、価値があるものよ。全く、度胸のない女ね」

「そりゃ、ユイガドクソンなあなたに比べたらそうでしょうね!?」

 はぁはぁと、荒く肩で息を切らすゆらのと、涼しい顔で悠然としているにこゑの二人がなんとも対照的だ。

「……ゆらの、気持ちは分かりますけど、確かに貴女が命宝でとはゑの詩を未言草子に綴るしか方法はなさそうですの」

 芽言の声は大いにあわれみがふくまれていたが、内容はにこゑの行動を肯定するものだった。

 ゆらのが助けを求めてとはゑの顔を見る。

 それに、とはゑはきらきらと期待のこもった瞳で見返してくれる。

 ゆらのは、自分の常識が崩壊する衝撃を、空をあおいで逃がそうとすると、上光の未言巫女の姿が視界に入った。

 なにかをあきらめるために、ゆらのはゆっくりと肺の中の空気をはいて捨て去った。

〈未だことばにあらざるを〉

 ゆらのが、ぽつぽつと力なく呪文を唱え始める。

〈今此処に綴るに相応しき色を誓い願う祈りのままに〉

 ゆらのは、とはゑににぎられていた手を放し、にこゑににぎらされた螺鈿の万年筆のふたを外した。

〈この一筆に湧き出だせ〉

 ゆらのは、手に持つ命宝を、空にのばす。

未言充添インフィル

 霧を空に溶かすように、切なげにゆらのは呟いた。

 その声に応じて、命宝の真金のペン先から、彩血あやちがあふれて宙ににじんだ。

 ゆらのはそのまま、螺鈿きらめく万年筆のペン先を上光の未言巫女へと向けた。

 真っ直ぐに見つめてくるゆらのの眼光を、上光はその美貌を一つもゆがめずに迎え入れる。

〈未だ言にあらざることを〉

 命宝の万年筆からあふれた彩血が、ゆらのの言葉にしたがって上光の未言巫女を取り囲んだ。

〈未だ言と語られぬ物を〉

 上光は、自分の周りに浮かぶ彩血を調伏するかのように手を払った。

 その手の動きに合わせて、彩血はまぶしいばかりの上光の白に映えた黄金へと色彩を変えていく。

〈この彩血に宿して表し現す〉

 その全てが上光の色へと染まった彩血は、とぷりと、ゆらのの手にした螺鈿の万年筆のペン先へと押し寄せて、その奥のコンバータへと収まった。

〈上光〉

 ゆらのの呼びかけと共に、命宝を飾る螺鈿のきらめきに、上光の黄金が加わった。

「とはゑ、未言草子を、こっちに」

 とはゑは、ゆらのの前にひざまずいて、未言草子の最初のページを捧げる。

 ゆらのは少しまゆを寄せるけれど、なにも言わないで、命宝のペン先を未言草子の最初のページに向けた。

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