∞第39話∞

 上光かみみつの未言巫女が、さらりと羽衣を衣ずれさせて鳴らしながら、とはゑとゆらのの前まで降りて、穏やかな笑みを明け渡す。

は、とはゑのえも言われぬいつくしき詩に綴られたく思う」

 上光の心からの願いは、雲からもれて大地に射す光のように優しく告げられた。

「あ、は……」

 ゆらの口から、はじめは弱々しく。

「あは、あはは、あはははは! やった! やったよ、とはゑ! すごいよ!」

 そしてすぐに万感の笑いがこぼれて、とはゑをその感情のままに揺さぶった。

 前後左右に体を揺らされて、あっという間に、とはゑは目を回してしまう。

「こら、わたくしのとはゑに乱暴をしないでって、何回言わせるの」

 そしてすぐさま、ゆらのは、とはゑを、ずっとビデオカメラを回しているにこゑに取り上げられてしまった。

 そうしてやっと、ゆらのはまた自分がやらかしてしまったことに気付くのだ。

「あ、ご、ごめんなさい……とはゑ、ごめん、ね」

 ゆらのは、おどおどと謝るが、首を横に振って意識を整えたとはゑは、なんでもなかったと、こくんと首を上下させた。

「早く上光を綴るですの」

 そんなぐだぐだにゆるんだ空気を見かねて、芽言めことが未言草子を前足でつついて、とはゑをうながした。

 それなのに、とはゑは、こて、と首をかしげて、疑問の気持ちを表現する。

 ゆらのは、とはゑの様子を見て、芽言に代弁した。

「え、まだなにかしなきゃいけないの?」

「当たり前ですのー。綴るっていうのは、未言草子に書くっていうことですの。今の詩を早く書き綴って、上光を収めてあげますの」

 そうなの、ととはゑは目を丸くした。

 それから困ったように、にこゑの顔を見て何かをうったえる。

 なぜなら、とはゑはなにも書くものを持っていないからだ。

 当然、にこゑはそのことを知っているし、とはゑのために用意までしてある。

「ほら、これを使いなさい」

 にこゑは、ビデオカメラを持っていない左手で器用に肩からさげたポシェットから、一本のえんぴつを取り出して、とはゑに差し出した。

 氷銀ひぎんの目をかがやかせてお姉ちゃんのすばらしさを感動しながら、とはゑは、そのえんぴつを、むんずとにぎりしめた。

「え?」

 ゆらのの脳内で、そのおかしいと思った感情が意味を結ぶよりも早く、とはゑはとがった芯が小指の方からつき出しているえんぴつを、にぎりしめたその形のまま、未言草子のページにぐりぐりと押し付けた。

「え、は、ええ?」

 あぜんとして口を開けるゆらのの目の前で、とはゑはメロディをつけた自分の詩をハミングさせながら、ぐりぐりとえんぴつを動かしている。

「……待たれよ」

 上光がとても意気消沈した声で、とはゑを止めた。

「吾は、そのような文字に綴じられとうない」

 ゆらのは、一応、念のために、未言草子の書かれたとはゑの文字をのぞき見る。

 そしてそこには、予想通りに文字と呼んでいいのかも不確かな、ミミズがのたうった方がまだましな模様になるんじゃないかというような、そんなナニカが堂々と鎮座していた。

 ちなみに、とはゑは、どうしたの、と言いたげな不思議そうな眼差しで上光を見返している。

 ゆらのは、絶望で頭を抱えてしまった。

「ああ……やっぱり、とはゑの文字、おさなくて愛らしくて、かわいい」

 そしてただ一人、シスコンの姉だけが恍惚とした喜びでとはゑの落書きを愛でている。

「やっぱりあなたがショアクのコンゲンですか!?」

 ゆらのがびしりと、にこゑを指差して絶叫する。

 にこゑは、見ていて、ぞくりと背筋が冷えるような笑みを浮かべてものほしそうに、くちびるに人差し指を当てた。

「だって、かわいいじゃない」

 あ、この人、ダメだ、前からわかってたけど、と、ゆらのが言葉を失った。

 とはゑはと言えば、なんでだめなんだろうと文字を書いた未言草子を腕をのばして真上に上げて、上光に透かしている。

「いらないなら、このページはわたくしがいただくわね。はぁ……とはゑが初めて書いた未言の詩……後で全部書いてね、とはゑ」

 にこゑは、するりと絶句するゆらのや未言達を置き去りにして、とはゑが文字を書いた未言草子のページと、キレイに切り取ってしまった。

 ただ指で引いただけなのに、切れ残りもなく、元からそのページが存在しなかったかのように見える。

 そしてにこゑは、手にしたページを大事に胸に抱いた。

「え、あ、ちょっと、やぶっちゃっていいの?」

「よくありませんけど、未言草子のページはとはゑの魔力で幾らでも増やせますの……」

あやかすに並ぶ程の気侭よな」

 芽言が途方に暮れて諦めに沈み、上光の未言巫女が感心するのに対して、にこゑはあでやかにほほえんで受け流した。

 あんぐりと口を開けて我を失っていたゆらのの白衣のそでを、とはゑが引いた。

 それにつられて、ゆらのがとはゑを見ると、眼鏡の向こうの氷銀の瞳にじっと見つめ返される。

 とはゑの無言のうったえを受け止めるのに、ゆらのは六秒もかかった。

「……あ、どうすればいいのって言いたいの?」

 とはゑは、こくんとうなずいた。

 けれど、その答えはゆらのの方が教えてほしいくらいだ。

「吾は如何程でも待つぞ。それこそ、百年も待ちければ、一月も二月も、一年ひととせでも二年ふたとせでもさして厭いはせぬ」

「いやいやいやいや、そんな長く昼も夜も上光をまき散らされたら困るから」

 これ以上の上光の影響をどうしても食い止めたいゆらのからしたら、上光の未言巫女のように悠長に待ってなんかいられない。

 かと言って、とはゑは、丁寧に書くとかそんなレベルの話ではない。

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