♪第33幕♪

 同時に、无言むことが「役目は終わった」とばかりに霧状の鳥へと姿を整える。そのまま、統木すばるきの切られた枝の先に、ちょこんと座った。

 続いて、とはゑの巫女服の袖から、栞が飛び出す。結ばれたリボンがほどけると、体をねじるようにして麒麟の姿になった。その身は、柔らかな新芽で包まれている。

「演者はこぞった、というところかの」

 透き通るような声が、空き地に響き渡る。上光かみみつだ。

 こぞった? と首を傾げるゆらのに、芽言めことが「揃った、ってことですの」と耳打ちした。その様子に、上光が目を細める。

「相も変わらず、物扱い世話焼きじゃのう、芽言」

「他に誰がこの役を買うと思っているんですの……」

 ため息をつくように頭を落とす芽言。やはり上光の言葉が分からず首を傾げる現代人二人は、完全に置いていかれている。

 无言は、やはり何も言わずに、静かに直立している。どうでもよい、といった素振りではないが、何か手助けをしようとする姿勢はちっとも見られない。

 ただ、一本のシイの木と共に、見守っている。

 上光が、少女たちにゆっくりと向き直った。黒く耀く視線が、二人のそれとぶつかった。

「さて」

 瞬間、ゆらのの背筋が伸びる。意図したわけではない、ただ、「そうしなければならない」とでも言うような感覚が、彼女を貫いた。

(……殴り飛ばそうって思っていた時は、そうでもなかったのに)

 心の中で苦笑いをするが、目の前の「それ」の圧には敵わない。

 おごそかで、いかめしく、慈愛に満ちている。

 日本古来の女性として想像し得る限りを尽くしたかのような、そのかんばせが、こちらに意識を向けている。

 そう考えただけで、ゆらのの足はすくんでしまいそうになる。いっそ見とれてしまったら、どんなに楽だろうか。

 とはゑの手が、突如ぎゅっと強く握られる。その体温に、ゆらのは我を取り戻す。

(そうだ)

 ゆらのは軽く頷いて、その手を握り返した。一人ではないことを、確かめるように。

(今日は、戦いに来たわけでも、ぼうっとしに来たわけでも、ない)

 とはゑから手を離す。不思議そうな顔をした彼女に、ゆらのは静かに笑いかけた。

 胸を、とんとん、と二度叩く。心配しないで、の意味を込めたジェスチャーは、とはゑに伝わったらしい。とはゑが軽く頷く。

 ゆらのは、言い聞かせるように何事かをつぶやく。巫女服の袖から取り出したのは、宵闇のような菫色の万年筆だ。一瞬、花びらのようなものが万年筆から飛び出し、また、はらはらと戻っていった。

 正面を向いたゆらのは、静かに上光を見据える。

「大丈夫。あたしの切り札は――いつだって、このあたしよ」

 そして、口の中で言葉を含ませながら、一歩前へ出て――。

 いきなり、座り込んだ。

 びょう、と。

 一陣の風が、空き地を通り抜けていく。

 上光が、わずかに目を開いた。

「――ほう」

 その声には、驚きも感心もない。ただ、純粋な関心が、そこにあるだけだった。

 ゆらのは、直接地面に正座していた。

 背筋を伸ばし、足は親指だけを器用に重ねた姿は、敬虔な僧のようだった。

 巫女服に土がつくが、ゆらのは気にもしなかった。おそらく、その後、誰に怒られることになるかなんて、想像すらしていなかっただろう。

 万年筆は、地面に置かれている。ペン先から、深い菫色のインクの粒が、ぽたん、と、こぼれおちた。そちらにも、目を向けることはなかった。

 それほどに、ゆらのは、目の前の存在を注視していた。

 ベイビーピンクに彩られたくちびるが、柔らかく動く。

「上光、今日は、あなたの目的を聞きに来た。あなたが、今こうして、あたしたちの町に現れた理由を、教えて」

 ゆらのの言葉を受けて、上光は流水のごとく答える。

 ぬばたまの黒髪が、風を受けてわずかに揺れている。

こそ、はじめの未言なれば。未言草紙とは、吾共を綴り納め、現しかる存在することの証とするものである。其の持ち主が定まれば、吾の現れぬゆゑはなかろう」

 口端をわずかに上げた上光を、ゆらのはじっと見つめる。

 芽言が、「とはゑが未言草紙の持ち主として決まったから、上光は出てきたんですの」と助け船を出した。

 頷くゆらの。

「つまり、今回あなたが現れて、『夜が来ない』なんていうフカシギなことが起きたのは、とはゑが未言少女になるためなのね?」

「吾は上光。空にある限り、この身を塞げる遮るものなどない。光はただ、総て在るものを照らすのみである」

 ゆらのは、一度、そのまぶたを下ろした。

 光を閉ざされた視界の中で、上光の言葉を少しずつ噛み砕いていく。

 とはゑ。未言少女。未言草紙。上光。生きているものを照らす光。

 やはり、全部の言葉を理解できるわけではない。この未言巫女が起こした現象を、看過できるほど、寛容でもなかった。

(……上光のことは、許せるわけじゃあ、ない。光斗さんのように、心配になったひともいただろう。このまま、夜がやってこないんじゃないかって、明日がやってこないんじゃないかって、不安に思ったひともいるだろう)

 光斗の、「怖いなあ」という言葉を思い出し、身をふるわせる。その言葉を聞くことが、ゆらのは苦手だった。彼女が目指しているのは、「怖い」もののない、当たり前の毎日が、ずっと続いていくことだからだ。

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