∞第30幕∞
真下から冷たい空気を直に感じつつ、とはゑが手にしたパンツを手のひらに乗せて丁寧に畳むのを目の当たりにして、ゆらのは泣きべそをかいた。
もちろん、そんなことは気にせず、にこゑは手際よく真白な小袖を、ショックで力の抜けたゆらのの体に着せていく。
「もう、お嫁にいけない……」
「お嫁にいけないんですって、とはゑ」
よよ、と泣くゆらのの足元で、白衣の裾を整え、おはしょりを作るにこゑが、とはゑに声をかける。
「息止めなさい」
「ぐぇ!」
白衣を胸の下の位置で紐によって締め付けられたゆらのが、つぶれた声と肺の空気をはきだした。
苦しむゆらのは気にも止めず、にこゑは続けて真白の帯を、結んだ紐を隠すように腹に回していく。
とはゑはその間、口元に軽くにぎった手を当てて、悩んでいて、やっと言葉を発した。
「なら……およ、め……に、もら、て?」
「え?」
ゆらのがお嫁にいけないなら、とはゑをお嫁にもらえばいい。
そんな斜め上な提案を出すとはゑに、ゆらのの思考はついていけてない。
「大きく息を吸いなさい」
ゆらのは、とはゑへどう返せばいいのか思考を混乱させたまま、にこゑの指示に従って息を吸って肺を膨らませた。紐で締められた白衣にはばまれて、いつもの肺活量まで吸い込めない。
「全部吐ききって息を止めなさい」
ふうぅぅ、とゆらのが体の空気を全部押し出すイメージで息を吐く。
そしてそれが止まった瞬間に。
「言っとくけど、頷いたら死ぬまで呪うし、拒否したら来世の果てまで呪うわよ」
「かふっ!?」
にこゑが思いっきり帯を詰めて、着崩れしないようにゆらのを締め上げた。
しゅる、しゅる、と絹が音を立てて結ばれるのを聞きながら、ゆらのは涙の浮かんだ目淵を後ろに投げかける。
「いま、いま、めっちゃうらみがこもってませんでした!?」
「籠めたわよ。当たり前でしょう。ほら、足上げて」
ゆらのの非難をさらっと肯定して、にこゑは緋袴をゆらのの足に通した。
その様子に、とはゑは内心で、友達とお姉ちゃんが仲良しで嬉しいな、なんて思っていたりする。
「ぴゃ!?」
そして三度目、今度は袴の紐でお腹を締め上げられて、ゆらのが鳴いた。
完成した巫女服姿を、にこゑは上から下で視線を走らせて、出来映えを確かめる。
「少し足が出すぎね。やっぱりちゃんと採寸しないと、駄目ね」
いまいち満足してないとわかるにこゑの評価に、ゆらのは体を引いて距離を取った。
これでもう一度やり直し、肺も横隔膜も胃もまだぎゅっと締められるなんてなったら、たまらないと思い、細かく首を振ってもう無理だと意思表示する。
そのおびえた子犬のような様子を、にこゑは鼻で笑った。
「安心なさい、その衣装では、この着付けが万全よ。でも、次は、ゆらの、貴女の体にきちんと合わせたいから、今度採寸をさせなさい」
これでだいじょうぶだと、はっきりとにこゑから口にしてもらって、ゆらのはほっと安堵の息をついた。
にこゑはもう、ゆらのからは興味をなくしたように、すでに服を脱いでいたとはゑの着付けに入る。
とはゑは、にこゑの着せ替えに慣れているから、自分からにこゑの動きを先回りして腕を伸ばし、背筋を張り、足を浮かせる。
するすると、まるで魔法のように、ゆらのにかかった半分の時間もかけないで、巫女姿になるとはゑと、その着替えをなしているにこゑに、ゆらのは知らず知らずの内に目を奪われていた。
足首まで緋色の裾で隠れて足元だけがちょこんと見えて、白衣の袖を指で摘まみ手のひらも白の布で見えなくして、ポーズを取るとはゑは、ゆらのでなくても愛らしくてほほえましく見守りたくなる。
二人の着せ替えを終えたにこゑは、満足そうに一つうなずいた。
「とはゑ、それにくっついて見て」
「わ!」
姉に言われた言葉が終わるよりも早く、言われるがままに飛びついてきたとはゑの勢いにおどろいて。ゆらのは声を上げた。
ゆらのの肩に寄りかかるようにしてひっつくとはゑの姿を、にこゑは手にしたデジタルカメラで撮影する。
そしてにこゑは、後ろにあったドアに手をかけて、パッと開いた。
その瞬間に、カシャと、にこゑが手にしたのとは違うカメラがシャッターを切った。
「お母さん! お父さん!」
扉の向こうで待ち構えていた妙乃が、一も二もなく娘の新鮮な姿をデータに納めたのだ。
そして妙乃は、その小さな手でぱしぱしと隣に立つ隆文の腕を叩いて催促をする。
「はいはい、たくさん撮ってほしいんですね。ゆらの、とってもきれいですよ」
隆文はスマートフォンを横にかまえて、娘を撮影した。
ゆらのは、普段とは違う姿をいきなり両親に見られて、また顔を真っ赤にする。
妙乃が喜んでシャッターを切る中で、とはゑはゆらのが熱を出したのかと心配になり、ほほに手のひらを当てた。
ひやりとした感触がゆらのに伝わり、代わりに
「え、なに、どうしたの?」
ゆらのは、とはゑの意図がわからなかったようで、目を丸くした。
それにとはゑも、目を丸くして返す。
そんな少女たちの光景を三人の保護者がほほえましく見守っている。
「化粧をした方がいいと思うけど、どう?」
にこゑが、妙乃にたずねると、妙乃もこくりと力強くなずいた。
その手に必要な化粧品を入れたカゴを下げているのを見るに、妙乃も準備は万端のようだ。
「え、お母さん?」
そして早速、化粧品を取り出した母親に、ゆらのはとまどった。今まで、化粧なんてほとんどしてこなかったから、まだ早いと勝手に思い込んでいたのだ。
けれど、妙乃は手ずから、娘の唇に薄いベビーピンクの口紅を当て、まなじりを藤色のアイシャドウで鋭く伸ばす。あくまでナチュラルに、必要最低限だけで、ゆらのを最高に美しく魅せる。
その横で、とはゑは、にこゑにファンデーションをブラシで当てられていた。
とはゑの健康的に色づいた肌のトーンを、白衣に合わせて白に近づける。
続けて、にこゑがアイラッシュカーラーでとはゑのまつげをはさむと、元から長いまつげがさらに伸びて目元に影を描く。
抑え目な色のチークを乗せて、唇にはリップクリームだけで潤いと艶を与えた。
長い黒髪は後ろに流されて、丁寧にブラシですかれてから、首の後ろで結われて丈長の和紙でまとめられる。
その間に、ゆらのは、妙乃の手によって髪を結い上げられて光輪を模した金のかんざしで止められていた。
妹と娘を手がけた二人は、お互いに顔を見合わせて、やり切った顔でうなずき合った。
そして何よりも先に、それぞれデジタルカメラを取り出して、撮影会を始める。
「とはゑ、ゆらのの腕をつまんで。そう。あ、もうちょっと口づけする前みたいに顔を寄せて……いい、そこ、そこよ。ちょっと動かないで」
「え、なに、まっすぐ立つの? ちょ、とはゑ、顔近い近い、え、こっち見ろって?」
にこゑが口でとはゑに指示を出し、妙乃が指でゆらのを誘導する。
二人のデジタルカメラの画像が百枚は増えたような中で、ゆらのははっと気づいた。
「って! こんなことしている時間ないよね!?」
それに、にこゑと妙乃がきょとんとした眼差しを向ける。
「これより大事なことってなにかある?」
にこゑが妙乃に問いかけると、妙乃は神妙な顔つきでふるふると首を横に振った。
趣味全開なこの二人は、まだ満足していなくて、それ以外のことを全く重視もしていなかった。
「妙乃さん、我慢しましょうか?」
さすがに隆文がたしなめると、妙乃は、えー、という声が聞こえそうなほど嫌そうな顔を夫に向けた。
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