♪第27幕♪

「シャンプー会社は、目にしみないシャンプーを作るべきよ! みんな、香りがどうとか言っているけれど、まずそこだわ!」

 ゆらのの言葉に、とはゑはぶんぶんと首を縦に振った。

 時刻は、夜八時半。とはゑは、ゆらのからパジャマを借りていた。背はゆらのの方がやや高い。そのため、とはゑが着るとややだぼっとした印象を受ける。爪の先が袖の端から見え隠れしていた。

 四つの素足が、廊下をぺたぺた進む。

 当然ながら、ゆらのは人の頭を洗い慣れていない。大惨事となった風呂場の中は、途中から「いかにシャンプーが目にしみるか」の話になっていた。主にゆらのがしゃべり、とはゑが頷き返す。いつの間にか、二人の間でへんてこな会話が成り立つようになっていた。

 ゆらのは、「そうでしょ、そうでしょ」と肯定を重ねる。

 ほかほか湯気を上げる二人のテンションは高い。とはゑの方は表情に出にくいが、それでも、このお泊り会を楽しんでいるのは明白だった。

 ゆらのの部屋に入ってから、急に、とはゑが立ち止まる。

「ねえ」

「びゃっ?」

 ゆらのから、思わず変な声がでる。声の方を向けば、熱で頬を上気させたとはゑが、ぎゅっとパジャマの裾を掴んでいる。その目は、真っすぐにゆらのを見つめていた。まるで、狙った獲物を確実に仕留めようとする、蛇のような目。

 ゆらのは、やや緊張した面持ちで、とはゑを見つめ返した。

 とはゑがお風呂に入る前の言葉の続きを言おうとしていることは、明白だった。

 その、小さな口が開く。

「あのね、教えてほしいの」

「……教える?」

「ゆらのちゃんのこと。わたし、何にも知ら、ないから」

 ゆらのは息をのんだ。

 それは、とはゑが投げかけてきたものが、なぐさめの言葉でも、同情の視線でもなかったこともあった。でも、それ以上に、とはゑの言葉が意外だったからだった。

 とはゑのことを、何にも知らない。

 それは、ゆらの自身、常々思っていたことだった。

 出会いはあまりに唐突だった。未言に導かれ、あれよあれよという間に話が進み、お互いの家に行き、今、こうして向かい合っている。

 まるで、早送りの映画を見ているようで。

(でも、まさか、とはゑの方から言ってくるなんて)

 ゆらのは、少し言葉を選んでから、軽く頷いた。

「それは、あたしも、同じだよ。あたし、とはゑのこと、全然知らないのだもの。静かなこと、お姉さんがいること、たくさん食べること、たくさん言葉を知っていること……あれ、意外と知ってるかも」

 首をかしげるゆらの。とはゑは、くす、と笑い声にも似た音を漏らす。

「あ、じゃあ!」

 ゆらのは、そう言いながら、押し入れを開けた。すでに二人分の布団が仕舞われていることを確認する。敷布団を抱え込んで、ちょっとふらついた。とはゑが慌てて駆け寄る。

 起毛のカバーがついたそれを何とか抱え直すゆらの。反対側を、とはゑが持つ。

「あたし、とはゑに聞きたいことがあったの! あのお姉さんよ! にこえ? にこゑ? さん」

「にこゑ」

 とはゑの修正を受けて、ゆらのは「にこゑね、そう、そのにこゑさんよ」と話を続ける。

「あの人、あたしの周りにいないタイプ過ぎて。とはゑにとって、あの人ってどういう人なの? ちょっと、そのう、距離が近い、ような」

 変な人、とは、流石に言えなかった。

とはゑが、頭にクエスチョンマークを浮かべる。

「お姉ちゃん、は、お姉、ちゃん、だよ?」

 その答えに、ゆらのは、ずさり、と敷布団から手を離した。人差し指で眉間を抑える。

 必然的に、とはゑの方に一気に重みがかかり、「ひゃ」と、とはゑの腰が折れた。

「あっごめん」

「あう……」

 目を回しながらも、とはゑは布団を敷き始める。シーツをぴんと張り直し、カバーのしわを整える。カバーの色と同じ、淡いブルーの毛布を押し入れから取り出し、これもまたきっちりと四角を整えた。

 まるで、質の良いホテルのベッドメイキングを見ているようだった。

 ゆらのの、桜色の敷布団を抱え込んだところで、慌ててゆらのが「あっ手伝う手伝う」と駆け寄る。そして、ぼんやりとこう思った。

(……やっぱり、まだまだ分からないことだらけだわ、この子……) 


「……とはゑ、起きてるよね?」

 ゆらのは、布団にもぐったまま、そっと声を寄せる。

 返事はない。ただ、かすかなみじろぎの音が、肯定を示した。

 言葉を続けるか迷うゆらの。

 好きな食べ物や音楽について語り、こうして布団を並べて眠るまでにいたったとはいえ、とはゑの全てを理解したわけではなかった。むしろ、分からないことが増えたようにも思えた。

 いくらか待ってみたものの、やはり声は返ってこない。こちらの出方をうかがっているような、そんな風にも思えた。

 ゆらのは、勝手に話し始めることにした。

「あのさ、あたし、ずっと一人で、この町を守ってきたの。无言はなぁんにも答えてくれないし、最初は何をしたらいいのかも分からなかった。でも、手探りで、沢山失敗しながら、未言たちを正してきたんだよ」

 自ら暗闇の中にもぐっているため、とはゑの表情は見えない。今、どんな気持ちでゆらのの言葉を聞いているのかも、分からなかった。ゆらのは、少し息苦しさを感じながら、いさよわしく台詞を並べていく。

桜華おうか宵菫しょうきん――お父さんに貰った万年筆。使い方も教えてもらったけれど、どんな風に未言と戦えばいいのかまでは、教えてくれなかった。未言の力は、とっても強いの。相手にするにも、自分で扱うにも。何をすればいいのかすら、分からなかった」

 ぎゅっと、こぶしを握ったり、開いたりしてみる。思い出すのは、何も知らなかったあの日のこと。まだ、とはゑに語ることができるだけの勇気はなかった。

 自然と、ゆらのの背中が丸まっていく。お母さんのお腹の中でうずくまる、赤ん坊のようだった。

 布団の向こう側では、もぞもぞと動く音が聞こえるばかり。聞いているよ、という無言の意思表示だけが、ゆらのを安心させる材料だ。

 だから、「それで、危うく、守り損ねてしまいそうになったひとも、いた」とだけ、呟いておく。それ以上のことは、胸の内でくすぶらせるだけに留めていた。

「その時にね、あたし、決めたの。未言の力は、未言からみんなを守るために使おうって。みんながケガをしないように、笑顔で毎日を過ごせるように。未言たちはうつくしいけれど、困ったことをする子もいる。そんな未言巫女たちを、正していくのが、あたしの役目。あたしひとりで……やって、きた、の……」

 そうしてゆらのは、目を閉じる。自分が何を言いたいのか、とはゑに何をして欲しいのか、分からなくなってきたからだった。

(あたしは、とはゑに、何を望んでいるの? あんなに危ないって、やめて欲しいって、そう言ってきたのに、なんで、こんなことを話しているの? あたしは……?)

 布団の裾を、そっと摘む。

 暗闇と夢波ゆめなみ、それから、確かにある友だちの気配が、徐々に押し寄せてきて、ゆらのの心を溶かしていく。

(……あたしは、さみしい、の?)

 その時だった。

 ばさり、と大きな音がして、何かが胸元に飛び込んできた。

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