∞第22幕∞

 上光かみみつは黙ってそれを見ていた。上光には、どんな攻撃も防ぐ結界がある。雲の向こうにある上光の光源を直接触れることは、だれにもできないのだ。

 けれど、ゆらのも無策ではなかった。彼女の右手が光り始める。

「ああ、差し影を右手に宿したのね。あれなら、上光に届きはするでしょうね」

 にこゑが、流れるように動くゆらのの手を見て、なにをしているのかを正しく把握する。ただ、届くだけでそれで倒せはしないだろうとも思っているし、届きもしないだろうとも思っているのだけれど。

 でも姉とはちがってそんなことは露知らないとはゑは、不安を顔いっぱいに出して、姉の顔を見る。

 その心配をあふれさせるとはゑに、にこゑは優しく微笑みかけた。

「大丈夫よ。何も傷付く事はないわ」

 自信を持って告げるにこゑの顔が凛々しくて、とはゑはつい見入ってしまった。

 だから、ぱん、と軽い音を立ててゆらのこぶしがぶつかる瞬間を、とはゑは見逃していた。

 あわてて振り返る。ゆらのになぐられたら、上光だって痛いと思った。

 けれど、とはゑが見た時、ゆらのの手は上光に触れていなかった。

「遅いんじゃない?」

 にこゑが、少しのからかいをこめて、その人に声をかけた。

 その人は、ゆらのの繰り出した右手を、上下逆さまにした左手で受け止めていた。

 その人は、男の人で、きっとお姉ちゃんと同じくらいの年齢だろうと、とはゑは予想した。

 ゆらのの攻撃を食い止めた彼は、眠そうにも見える目をわずかにずらして、にこゑに焦点を合わせた。

「野良犬のしつけに手間取った」

 もうすっかり声変わりを終えて、落ち着いた低い声で、ぼそりとその人は喋った。

「な!? だれがノラ犬よ! いつもいつもジャマしてきて、なんなのよ、あなた!」

 ゆらのが目の前の人物にバカにされたと思って声をあらげた。

 彼は息まくゆらのをちらりと見下して。

「ハッ」

「はっ」

 なぜかにこゑと息をぴったりと合わせて、二人して鼻で笑った。

「ぴゃー! 人を笑うなー!」

 ゆらのが空中で体を持ち上げた。体幹の筋肉だけで足を前に送り、男の人の顔面目がけて蹴りを繰り出した。

「ふぁ」

 とはゑは、どうやったら足場もない空中であんな動きができるのか、ぜんぜんわからなくて、場違いに感動していた。

 彼は右手を上げて、ゆらのの蹴りと受け止める。

 ゆらのはそこに、遅らせたもう片方の足で蹴りを重ねるが、彼は腕をずらして、ゆらのの蹴りを受け流す。

 威力の方向を変えられて、ゆらのはそのまま地面へと向かって進む。

「あっ」

 ぶつかっちゃう。とはゑはそう思って、受け止められるわけでもないのに一歩前に出て、しかし本能がおびえたのか、ゆらのの着地点にまったく届かないそこで足踏みする。

 そんなことは気にも止めていないゆらのは、スライディングしてくるような体勢で地面をこすりながら、きれいに着地した。ただ、地面に着いた手に雪でぬれた泥が付いてしまって、立ち上がってからスカートでぬぐった。

 ゆらのはそこで動きを止めて、男の人に視線を合わせて構えを取る。

 そのカンフー映画みたいなかっこいいポーズにとはゑは内心で感激する。

 そこで、はて、ととはゑは首をかしげ、にこゑに顔を向け、指を男の人に伸ばした。

 いきなり出てきたあの人は、だれなのと、やっと疑問をいだいたようだ。

「あれは、眞森まもり眞森まもりゆう。わたくしのしもべよ」

 にこゑは、さらっとそんなことを言ってきて。

 とはゑは、目をきらきらとさせて、悠と呼ばれた彼にまなざしを向けた。そこに宿っているのは、見間違えもできないような好意とあこがれだ。

 そしてゆらのは、きょとんと目を丸くして、悠を見つめた。

「しもべ……?」

「おい、わざわざ面倒になるような言葉で説明するな」

 悠は、ため息でもはきたそうな疲れ気味の声で不平をもらすけれども、にこゑの方はまゆひとつ動かさない。

「事実でしょう?」

「それはそうなんだが」

「え、みとめちゃうの?」

 二人のごく自然なやり取りで交わされる、とてもふつうとは思えない内容の会話についていけなくて、ゆらのばかりがとまどっている。

「一応訊いておくのだけど、姉が知らない男子を捕まえてしもべとか言っちゃうのは、永久会とはゑとしては気にならないの?」

 ここにいる中で、唯一の常識的な見識をもつ、非常識な存在の芽言が、首を伸ばしてとはゑに向き合った。

 それに、とはゑは、きょんとして目をして、こてと首を倒す。

 なにか変なことある? とでも言いたげだ。

「まぁ、永久会はそういう子なのよね……」

 芽言は、知ってたというように、諦めの言葉をついた。

「って、知り合いなら、あの人を止めてくださいよ!」

 今度は、ゆらのが悠に指を突き付け、にこゑに懇願する。

 にこゑは、首をかしげて、さらりと長い髪をゆらして鳴らした。そして言われたからそうしましたというような緩慢さで、悠に流し目を送る。

「だそうよ?」

 対して、悠は取るに足らないとばかりに肩をすくめた。

「未言は、俺にとっては姪みたいなもんだ。可愛い身内が暴行を受けていて、黙って見ていられるか」

 悠は一切引く気はなかった。

 にこゑは、今度はゆらのに視線を向ける。

「だそうよ」

「ちゃんと聞こえてますから!」

 いちいち仲介をしてくるにこゑに、ゆらのは顔を真っ赤にして声を上げた。子供あつかいされるのがイヤみたいだ。

 とはゑは、そんなやり取りをにこにこと眺めていた。

「それなら! 无言むこと!」

 ゆらのが相棒を呼べば、霧は尾羽をたゆとわせながら、空のかなたからゆらの元へと舞い降りてくる。

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