∞第20幕∞

 その声を聞き取ったのか、上光かみみつの未言巫女はゆったりとまぶたを持ち上げる。

 そしてあやまたず、とはゑを、光が秘められたように美しい黒の瞳で見つめた。

「来おったか」

 とはゑが、上光に向かって足を踏み出すと、にこゑはするりと手を離した。

 とはゑは、すっかりかしこまった様子でおそるおそると上光に一歩ずつ近づいていく。

 それに合わせるように、上光の未言巫女も、高度を下げながら、とはゑに近寄るために前へとすべり降りてくる。

 一人と一言は、お互いに手を伸ばせば届く距離まで近づいて、動きを止めた。

「上光、久しぶりなの」

 とはゑのコートの合わせ目から、ひょっこりと芽言が顔を出した。

 上光の黒く煌めく瞳が、新芽で全身をくるんだ麒麟へ、ちらと向けられる。

「この少女が、れが選んだ子か。愛らしゅうな」

 上光は、とはゑを評しながら満足そうに笑みをたたえた。

 とはゑはと言うと、上光の言葉が少しむずかしくて、きょとんとしているのだけども。

「でも、契約してくれないの」

何故なにゆゑに?」

 上光がとはゑに問いかければ、とはゑはこくりと頷く。

「やくそく、した、から」

 つかえながら、とはゑは上光になぜなのかを伝える。

 けれど、その一言だけしか、とはゑは伝えないのだから、上光は内容をはかりかねて眉を寄せた。

「ゆらのと、危ないことはしない、芽言と契約して未言を集めることはしないって、約束してしまったのよ」

 そこへ、ずっと黙って妹を見守っていたにこゑが口をはさんだ。その声は呆れも憐れみもふくまれていなくて、あくまでも淡々と事実を事実として伝えるだけのものだった。

 その説明を受けて、上光はとはゑから視線を外して、空を見すがめる。

无言むことが選びしが少女か。随分と正義感が強うあるようだの。今も此方へと走り来ておる」

 まるで目の前にいるかのように、ゆらのの様子を語る上光がふしぎで、とはゑは首をかしげた。

 その動きにつられて、とはゑに視線を戻した上光は、くすりと微笑を浮かべる。

は、天上より透けて四表を満たす上光ぞ。上光が触れる世が全ては、吾が天眼に見ゆるわ」

 とはゑは、ぱちぱちと目を瞬かせた。

「無限光」

 そして確信を持って、上光の持つ特性を告げた。

 上光は、かすかに目を見開き、驚きを見せた。

「成程、吾共あどもを再び綴るに、相応しい知性を秘めておる」

 上光はそう言って、とはゑが正しく己をとらえたことを認め、満足そうに笑みをこぼす。

 無限光とは、キリスト教に伝わる生命の樹について、カバラという一派が導き出した考察だ。神は無から無限へ発展させ、無限光へと至らしめた。

 カバラは、無限なる光とは、この宇宙に普遍する神の慈愛であると結論付ける。そしてこの宇宙に遍満する光が確かに存在している。宇宙背景輻射と呼ばれる、宇宙の拡大に合わせてどこまでも引き伸ばされ、無限に永遠に宇宙を満たし続ける、宇宙の始まりであるビックバンから始まった光。

 それは、上光が内包している概念の一つであり、その普遍性は、上光がこの世界をどこまでも見通せる視野を持つ根拠なのである。

 そして、人智でもまだ確定できない概念を、即座に正しく指摘するとはゑの智慧に、上光は大きな期待を抱いたのだ。

「わたくしの人を見る目は確かなの」

 誇らしげに上光に自慢する芽言が、首に頭をすり寄せてくるから、とはゑはくすぐったくて肩を跳ね上げた。

「昔からいらぬ苦労ばかりしておるからな」

「それは全部、无言のせいですのー!」

 からかったら、思った通りの反応を返してくる芽言に、上光は口もとを袖で隠して、おかしそうに、けれども上品に笑う。

「主に選んだ少女も、手がかかりそうだしの」

「それはもう、諦めましたの……。それに、永久会とはゑ以上に未言少女に相応しい子なんていないと確信しておりますの」

「まぁ、わたくしのとはゑがこの世で一番素晴らしい存在だというのは、当たり前のことだけどね」

 未言達が話しているところに、颯爽とにこゑが妹自慢をはさみ込んだ。

 上光と芽言が、そろって大きな胸を張ってゆるぎない自信に満ちた表情をする、にこゑへと視線を向けた。

「周りにこの上なく厄介な者を伴っておるのだな」

「あれはほんとうに意味がわかりませんの……さも当事者のようにここにいますけれど、明らかに部外者ですの……」

 芽言があからさまに疲れ切った声を上げるが、当の本人はなに一つ気にしていない。にこゑにとっては、とはゑ以外の意向は全く関係がないのだ。

「永久会」

 上光が気を取り直して、とはゑに語りかけた。

 みんなの様子を楽しんで、にこにこしていたとはゑだったが、真剣な声音にぴしりと表情を引きしめる。もっとも、その変化は外から見たらちっともわからないくらいの無表情さではあるのだけれど。

「未言は好きか?」

 上光に問いかけられて、とはゑは正直に、力強くうなずいた。

「きれい」

 とはゑは、未言は美しいと感じていた。そのだれも見つけなかった神秘も、けれど確かにこの世界にある存在を、その綴られる文字を、声を便りに響く音も、そしてその在り方も。

 上光は、語り続ける。あるいは、願っているのかもしれない。

「そうか。しかし、吾共は、一度その価値を全て奪われ、誰にも認められなくなった。死語とさせられたのだ」

 とはゑは、それはかわいそうだと感じた。知られなくなった未言たちも、知れなくなった人たち、どちらもかわいそうだと。

「未言が存在すると世界に定めるには、再び吾共を見付け、綴り納める者が必要だ。芽言はその者とは、永久会が相応しいと決めておるし、吾も汝れが斯様になりせば嬉しく想う」

 とはゑは、困ってしまった。

 真摯に語る上光はとても麗しくて、それは存在の全てをかけて語っているからで、それだけの想いをとはゑに託したいのだと感じているから、助けたいと、応えたいと思う。

 けれど、約束をしてしまった。出逢ったばかりだけど、きっとものすごく仲良くなれるんだって感じた少女と、ゆらのの泣きそうな気持ちをなぐさめるために、もう約束をしてしまった。

 約束は守らなきゃいけない。お姉ちゃんにも、お母さんにも、お父さんにも、そう教えられてきた。

 悲しんでほしくないし、哀しませたくない。

 とはゑは、自分ではなにも決められなくて、すがるように、目泉がうるむ視線をにこゑに向ける。

 にこゑは、とはゑに目を細めて。

 そして視線を外して、遠くへと振った。

 にこゑは、反射的にお姉ちゃんの視線の先を追って。

 寒さで霜が凍り出している地面を蹴って飛び上がるゆらのの、握りしめたこぶしを見た。

「その子から離れなさいっ!」

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