∞第14幕∞

「ああ、そうですのね……だから、実質無害な上光かみみつにまで攻撃していたのね……納得したくないですけど、しましたの」

 芽言めことはもう疲れ切っている様子だった。

 それに対して、ゆらのはムッと口をとがらせる。

「なによ、無害だなんて、今日のだって明らかに異常気象だと思うんだけど」

 自分のやったことを、否定までとは言わなくとも、適切でないと言われたら、機嫌が悪くなるくらいには、ゆらのは年相応の幼い少女だ。

「まぁ、いいですの。確かに、監理者に出来るのはああいうことだけですもの。でもね、永久会とはゑ

 芽言は、ぐりんと首を戻し、とはゑに顔を向け直した。

「貴女なら、違う形で未言の言霊を納められますの」

 芽言の言葉に応じて、彼女が結ばれていた栞がとはゑの目前まで上がってきた。

 とはゑはくりくりとした目で、栞を通して芽言を眺める。

「これは、未言草子みことそうし。かつて未言屋店主、わたくしたちの母が、未言について綴った手記ですの。この百年の間でこれに綴られた全ては忘却の彼方に追いやられ、未言たちはこの世から失われましたの」

 とはゑには、芽言の語ることが何一つ理解できなかった。けれど、芽言の声に宿る熱に、深い愛を感じた。

「このわたくし、芽言は、未言を綴り、蘇らせる再現者を選ぶ者ですの。わたくしは、永久会にこそ、その資格があると思いますの」

「ま、待って!」

 とはゑに語りかける芽言を制止したのは、ゆらのだった。

「ダメよ、危ないわ! 未言の中には本当にあぶないのもいるから! あなたも黙ってないで、止めてくださいよ!」

 ゆらのは必死にとはゑに思いとどまるように声を荒げ、そしてにこゑにも賛同を要求する。

 けれど、にこゑはちらりとゆらのを見ただけで、興味もなさそうにまぶたを軽く閉じた。

「決めるのはとはゑよ。誰だって、自分の命の使い方は、自分で決める権利と義務があるのよ」

 にこゑのその声は寒の雨みたいに、体を冷やすような言葉だった。

 ぴしゃりとその冷たさを浴びたゆらのは、たじろいでしまう。

「そんな……ねぇ、本当よ! 本当にあぶないの!」

 ゆらのは、今度はまたとはゑに向かって、同じ言葉を繰り返した。

 それに、とはゑは首をかしげる。

 それを見るゆらのの瞳には、はっきりと不安と恐怖がないまぜになっていた。

 とはゑは、ゆらのがなににそんなに恐れを抱いているのか、それが分からなかった。

 だから、芽言に向かって、一度は、首を横に振ることにした。

「永久会は、わたくしと契約してくれないの?」

 芽言が確認だけの意味で言葉を重ねてきた。

 とはゑは、小さな口を厳かに開く。

「あらゆる人間関係で近隣の重要性をまず考えよ」

 とはゑがなぞったのは、アメリカを代表する自然詩人であるラルフ・ウォルド・エマソンの言葉だった。

 とはゑは心惹かれる神秘よりも、自分と同じ人という生き物との関係を大切にすると宣言したのと同時に、ゆらのを大切な隣人、つまりは友人だと宣言したのだ。

 その想いをわずかでも本人にも伝えようと、とはゑは、真っ直ぐにゆらのを見て、にこりと微笑んだ。

 それにゆらのは、顔を赤くして肩をすくめて、身を縮こませながら、こたつ布団に沈んで恥じらいを隠そうとした。

「あらあら、妬けるわね。呪ってやろうかしら」

「少しもじょうだんに聞こえないんですけど!」

 これまでの行動から重度のシスコンだと既に判明したにこゑから、本気でやりかねない嫌がらせを聞いて、ゆらのは背筋が凍り付いた。

 すっかり仲の良くなった姉と友人はさておいて、とはゑは手杯てつきを組み、その上に芽言を招いた。

 芽言はとはゑの手のひらの中に足を着けて、首を伸ばす。

「一つだけ聞かせてほしいの。永久会は、上光、未言をどう想ったの?」

 とはゑは、芽言を安心させるように、にこりと笑った。

「きれい、だと、想ったよ」

 春の雨が新芽に触れるように、溢された言葉に触れて、芽言は瞳を閉じて大切そうに心にしまいこんだ。

「そう、嬉しいの」

 それだけ言って、芽言はまた紐の形に戻り、一人でに栞に結び付いた。

 そこで、玄関からのチャイムが、家中に来客を知らせた。

「来たみたいね」

 まず誰よりも早くにこゑが反応して、二階の両親を呼びに行った。

 その足取りに、誰が来たのかを以心伝心で悟ったとはゑは、ゆらのの着ていた上着を取ってきて、メイドのようにゆらのに着せる。

「え、ちょ、着れる! 自分で着れるから!」

 そんなできたばかりの友人の訴えは、人の世話が大好きなとはゑの行動を止めるには至らなかった。

 上着を着せたゆらのの手を引いて、とはゑが玄関に向かうと、もう扉は開かれて、琴音が一人の女性と言葉を交わしていた。

「お母さん」

 たっぷりの安堵と、ほんの少しの畏れがこもった声が、ゆらの口からついて出た。

 玄関の向こうにいるゆらののお母さんは、娘の姿を直ぐに見つけて、ひらひらと手を振ってくれた。

 それに顔をほころばせるゆらのの背を、とはゑはそっと押した。

 小さな力で押されて、ゆらのは、自分の母の腕の中へ落ちるように抱き止められた。

 ゆらのの母が、しっかりとうなずき、それからとはゑと琴音に向かって、腰から上半身を曲げてお礼のお辞儀をしてくれた。

「そんな、いいんですよ。怪我、早く良くなるといいわね、響乃ゆらのちゃん」

「あ、はい、ありがとうございます。あの、にこえ ……さん、にも、ありがとうとお伝えください」

「あら、ご丁寧にありがとう。きちんと言い聞かせるわ」

 ゆらのは、今度はとはゑに向かって視線を投げかけた。

「とはゑ、またね!」

 ゆらのが大きく手を振ってきた。それは別れではなく、また会おうという気持ちの表れで。

 とはゑもゆらのにはっきりと見えるように、大きくうなずき、懸命に腕を振り返して、体のバランスを崩して、こてんと転がってしまった。

「もう、永久会は気を付けなさい」

 とはゑはお母さんに抱き上げられて体を起こす。

 そのまま琴音の手にお腹を支えられて、とはゑはまた腕を振り始めた。

 ゆらのも、お母さんに手を引かれながらも体をひねって、いつまでもとはゑへ向けて手を振り返してくれたのだった。

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