♪第7幕♪
ゆらのは、雲の合間から光の降り注ぐ街の中を駆け抜けていく。
途中、車椅子の女性とそれを押す男性の二人組とすれ違ったが、それ以外に人は見当たらなかった。
霧状の鳥、无言は、音もなくゆらのの頭上を飛んでいる。
(今回は、ビャクヤ。時間になっても夜が来なくて、明るいまま。たぶん、どこか一か所からのものじゃない。空全体から、一気に光が降ってきてるんだ)
角をいくつか曲がり、たどり着いたのは、誰もいない空き地だった。
帰宅を促す鐘は、とっくの昔に鳴り終わっている。周りは住宅だが、人が外に出てくる気配もない。コンクリートの塀に遮られ、家々の住人がこちらに気づくこともなさそうだ。何か、秘密の行動を起こすには、うってつけと言えた。
无言が塀に降りる。ゆらのを見守っているようにも、見える。
ゆらのは、そんな相棒を横目に、ひとつ、深く息を吐きだした。
空はなお、夜を拒み、緋色に雲が焼けていた。とっくに日が暮れていておかしくない時間帯だ。その非日常的光景に、その異様さに、ゆらのは唇を噛む。
瞑想を始めるように、まぶたを降ろす。
「……大丈夫。あたしならできる。いつだって、きっと、こうしてきたじゃない。いつも通り、いつも通り。うん、いつも通り――」
何かに誓うように、彼女は自分の胸を親指で軽く叩く。
「いつでも切り札は、このあたし。そう、あたし自身よ。 ――大丈夫」
そして、ゆらのは、思いっきり目を開いた。
ポケットに手を突っ込み、無造作に『それ』 を取り出す。
それは、小学生の持ち物にしては大人びている、一本の万年筆だ。
細身で、ゆらのの手にもぴったりと収まる。キャップや胴軸は、濃いピンク。桜の散るような模様が描かれている。
『桜華』 と呼ばれるその万年筆を、ゆらのは構えた。
瞬間、彼女の脳は急速に回転数を増していく。図書館の扉が開くように、背中にひと時の大きな翼を生やすように、あるいは、花吹雪が刹那の生を謳歌するように。
「キーワードは」
ゆらのが、言葉を漏らした。空をじっと睨む。
「空」
流れる雲の向こうから光が透けて、輝いている。その光が、地上をも明るく照らしているのだ。
「雲。光。透ける」
ゆらのの唇から、単語が次々に発されていく。
「輝く。地。太陽」
文章になることもない、言葉の連なりは、白く染まって空気中へと溶けた。
同時に、万年筆の先が少しずつ、熱を持ち始める。ゆらのの言葉に反応し、何かを待ちわびるように、鼓動を始める。桜の模様は、まだ動かない。
今、彼女の中には、自分と空、それから言葉しかない。
それだけしか見えていない。
だから、
「慈愛」
と囁いた別の少女の声にも、気づかなかった。
「空の光。雲の向こう側。上」
「ひかり。満ちる」
「満ちる――ジアイ。かみさま。空」
二人の少女の声は、連想ゲームのように伸びていく。どちらのものとも分からないそれは、ひとつに交じり合い、未だ言にあらざるものを紡ぎだした。
「――〈
そして、雲の切れ目から大地へ架かる差し影に乗って、その存在は降臨する。
艶やかな黒髪は光を吸い込み柔く溢して、月のように自ら光るような錯覚を起こさせ。穏やかな表情は、如何なる情動も伺えずとも、微笑みを連想させる。
髪は上げて後ろで束ねられ、額を出しているのは、巫女として正式な姿であった。髪を結う組み紐は、太陽の光を宿したような
白衣の
緋袴の鮮やかな染まりは、曙に焼ける雲から仕立てたようにさえ思えた。
およそ、最も美しい日本古来の女性として想像し得る限りを尽くしたかのような見目麗しさで、それは存在していた。
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