∞第2幕∞
新しい家に入って、千秋も
そうとは言っても、他の家族にかまってもらう訳にもいかず、とはゑはこの広い家の中を一部屋ずつ探索していた。玄関の
そしてそのふしぎな部屋はすぐに、とはゑの目に付いた。この家の北側の一角を占領していて、下は地下一階、上は二階まで吹き抜けになって一続きになり、部屋の中に階段まで設置されていた。その中には、本、本、本、本が溢れそうなほどに、壁と一体になった本棚に納まり、その部屋を埋め尽くしていた。天井には天窓があり、そこには八枚の花弁を模してステンドグラスが嵌められている。階段が伸びる部屋の中央の真上、花の中心となるそこには透明の硝子があり、階段を踏むとはゑの足元に光を差してくれている。
その一方で、花弁のステンドグラスは部屋全体を照らすのには広さが足りず、その縁の先は日陰となり、本棚はその上に付けられた
各階の階段横には二つずつ席が設けられていて、自然光で読書が出来るようになっていた。
とはゑはその壮大な、規模として小さな図書館、個人が持つには大きな図書室を、きょろきょろと、上下左右を見回して、驚きの表情を浮かべている。
本の種類は雑多だった。
各国の神話や古典文学があったかと思えば、漫画が敷き詰められた棚もあり、動物や生態学の専門書があるかと思えば、短歌を中心に詩歌の納まる本棚もあった。
言語の起源に関する本、枕草子と源氏物語は複数の原典、現代語訳、解説書が蒐集されていて、ライトノベルはSFものや恋愛ものが中心になっている。個人製作したらしきオフセット本もあれば、テーブルトークロールプレイングゲームのルールブックやサプリメントもあった。
その大半は、とはゑには判別も付かない本達であるけども、読書で本の世界に没頭するのを好むとはゑにとっては、この小さな図書館は楽園の森に等しい。
とはゑは、地下の方へと階段を降りて行った。二階天井からの光も、三階層も突き抜けようとすれば薄まり、周囲は薄暗い。
古びた本特有のにおいに心をときめかせながら、とはゑは最後の一段を跳んだ。その拍子にずれた眼鏡を、誰に見られた訳でもないのに恥ずかしそうに直す。
図書館の最下層は、しんと静まり返り、
何か人知れない者が潜んでいる――そう言われても信じられてしまうような雰囲気が満ちていた。
その階に納まっている本は、希少価値が高い書籍と、とある言葉達に関わる本の数々、そしてとある人物達の手記だ。
とはゑはその中の一冊を手に取り、開いてみた。けれど、暗くて文字が上手く読めなくて、とはゑは、むぅと眉をしかめた。
上の明るい方へ持って行けばいいものの、とはゑは何だか納得がいかなくて、ぱらぱらと他のページを指でめくる。
その拍子に、本に挟まれていた物が落ちる。
「んぅ?」
とはゑも、落ちたそれに気付き、拾い上げた。
それは、一枚の栞だった。鴇色の柔らかな色合いをした本革の栞は、陽の光の中で見たら、さぞや愛らしいだろう。
そして栞には新芽の緑に染めたような絹紐が結ばれていて、これもまた美しい。
とはゑはきらきらとした
とはゑは、台所で日用品の整理をしていた琴音にぱたぱたと駆け寄り、手にした栞を見せる。
「あら、
「図書館、地下っ、本の中に、あったっ」
とはゑは舌をもつれさせながら、懸命に母の問いかけに答えようとした。
その並んだ単語に、琴音は一つ頷く。
「ああ、もうあの部屋を見つけたのね。そう、その中の本に挟まってたの」
とはゑは、琴音がきちんと自分が伝えたいことを汲み取ってくれたのに、こくこくとうなずいて見せた。
「それで、永久会はこの栞が欲しいのかしら?」
重ねて琴音に問いかけられて、とはゑは首が取れてしまいそうな程に、何度も何度もうなずいた。
「ふふっ。きっとこの家に前に住んでいた人が大切にしていた物だと思うわ。だから、永久会も大切にしなさい?」
琴音は優しい声でそう言って、とはゑが持って来た栞を自分のものにするのを許してくれた。
それが嬉しくて、とはゑは栞を胸に抱き、目を大きく見開いて顔を輝かせる。
他人からすれば、それほど表情が動いた訳ではないけれど、家族にはとはゑが喜んでいるのがよく分かる、とはゑなりの満面の笑顔だった。
「とはゑとわたくしの荷物は片付け終わったわ」
ちょうどそこに、にこゑがやって来て、とはゑから喜びのオーラが飛び跳ねているのを見て、無言でとはゑを抱き締めた。
「う?」
何故、姉が後ろから急に抱き締めてきたのか分からなくて、とはゑは首を傾げて振り返った。
すると、重度のシスコンは、その柔らかなほっぺに自分の頬を寄せて、すりすりと擦り付ける。
「可愛い……永遠に抱き締めて手放したくないわ」
「あんたは妹を飢え死にさせる気か」
いつものことではあるが、余りにとはゑを溺愛しているにこゑに対して、琴音は冷たい声で思い留まるようにツッコミを入れた。
「それは困るわね」
にこゑは物惜しそうに、とはゑをぎゅっと拘束していた腕を緩めた。なお、緩めてとはゑが簡単にほどけるようになっただけで、手放してはいない。
「わたくしは、散歩に行こうと思うのだけれど、とはゑは着いて来てくれる?」
大好きな姉に散歩の誘いを受けて、とはゑは一も二もなく頷いて、外に出ても寒くないように防寒をしようと二階の自室へと駆け出した。
にこゑはその後ろ姿を微笑ましく見ながら、一緒に使うことになる部屋へと、とはゑの後を追いかけた。
それからにこゑが二人分の身支度を完全に仕上げて、少女達は一緒に玄関から出かけていった。
とはゑは、にこゑにしっかりと手を握られながら、吐く息が空中で白く籠るのを、不思議そうに見上げていた。
「熊本と違って、ここは寒いわね。もう三月なのに根雪が残っている」
にこゑの声を聞いて、とはゑはきょろきょろと辺りを見回した。
道の物陰に、屋根の上に、電柱の下に、錆びたような赤茶けた雪がそこここにあった。木の下は、綺麗に円形に雪が融けて、その周囲から雪の残りがうずくまっていた。まるで何かに守られているようで、とはゑの中で何かが
その何かを言葉にしたい、詩にしたいなと思いながら、とはゑは姉に手を引かれて歩いていく。
そのさまよう視線の先に、一人の少女が歩いてくるのが見えた。
とはゑと同い年くらいの少女で、ストッキングを履いた足がスカートから出ていて、とはゑは寒くないのかなと不思議に思う。
その少女の陰から、一羽の白い鳥が飛んで来た。
翼がすらりと長く棚引いて、尾羽も春の雲みたいに伸びた、見たこともない鳥だった。
その鳥は、すれ違う少女に寄り添うように、追い越しては停滞して後ろに流れ、また少女の体を回って前に出ている。
とはゑは、あんなに人懐っこい鳥もいるんだな、会津って不思議な土地だなと思いながら、少女を白い鳥を目で追いかけながら、姉に引かれるままに足を動かし続けた。
「ほら、とはゑ、危ないから前を向いて歩きなさい。すぐに、また会えるわよ」
にこゑに声をかけられて、慌てて前を向き、ばつが悪そうに姉に向かってごまかし笑いを見せるのに意識を向けていたとはゑは、すれ違った少女が腑に落ちない様子で彼女を見返していたことに、まるで気付かないのだった。
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