07 サブマリン

「それじゃあ、ちょっと布陣を見てみたいから、それぞれのポジションに立ってみろ!」


 広大な空き地であることを幸いに、わたしたちはボスにいわれるがままそれぞれポジション通りに並んだ。


 ダイヤモンドのライン上にドン、サテツ、わたし、ボス、ガソリン。中央にフロッグ。後方、外野にはバース、アキレス、ノッポが立った。


 感無量。

 とでもいえばいいだろうか。


 ついにチームが出来たのだという実感を、わたしは視覚をはじめ五感に受けて、身体がぞくりと震えた。

 ただジャージ姿で立っているだけというのに。


 ボスも、にんまり笑みを浮かべ、まんざらではない様子だ。

 他のみんなも。


「フミ、ちょっと打ってみるか?」


 まんざらではなさすぎて、ちょっと優しいボスだ。なんだか気持ち悪い。


「ええ、あたしなんかまだまだで……」

「いいから!」


 ボスに睨まれ、フミは転がっているバットを拾い、爪先で引っ掻いて作ったバッターボックスに立った。

 石灰の使用はさすがにまずかろうということで、きちんとしたラインを引けていないのだ。


 ダイヤモンド中央に立つフロッグは、ドンの投げたボールを受け取った。


「マウンドから投げるの、久し振りだから」


 自信なさそうに、ボールを両手でくるくる回すフロッグ。正確にはマウンドではなく真っ平だけど。


「それが、どうかしたか?」


 ボスは、本当に疑問といった表情で尋ねた。

 いちいち聞かなくたって、「ちょっと自信ないけど」という日本人的謙遜心に決まっているだろう。


「じゃ、行くよ! フミ、すっぽ抜けたらごめん。よけて」

「えーー! フロッグさん、脅かさないでくださいよお! 怖いなあ じゃ、いいですよ、いつでも」


 フミはバットを両手でぎゅっと握り、構えた。ちょっとへっぴり腰ではあるけれど。

 その後ろには、ドンがしゃがんでキャッチャーミットを広げている。


 フロッグは胸の前に両手を持って行くと、グローブにそっと手を入れボールを掴み、ゆっくりと投球モーションに入った。


 え?

 次の瞬間にわたしの頭に浮かんだのは、そんな疑問の、というよりも戸惑いの気持ちだった。

 え、え、などと戸惑い続けている間に、ボールは放たれ、そして、フミのバットが、ぶうんと思い切り空振りをしていた。


 ドンもわたしと同様その投球に戸惑ってしまったのか、キャッチャーミットを上げたり下げたりしているうちに、ボールがミットの上端をかすめて跳ね上がり、顔のすぐ脇を通り越えてガサリと木材をおおうブルーシートにぶつかった。


 サブマリンだ……

 直訳すると潜水艦、いわゆるアンダースローのことだ。

 フロッグのピッチングが、である。


 地面すれすれの低い位置から、放り上げるように投げる投法だ。ボールはふわり浮き上がるものの、球威がないからバッターの手前ですとんと沈む。


 わたしたちが戸惑ってしまったのは、フロッグの投法が一般的なオーバースローだと勝手に思い込んでいたからだ。

 まさかサブマリンを投げるだなんて、思いもしなかった。


 わたし、テレビ以外で見るの初めてだ。どの対戦相手もオーバースローばかりだったから。


 ああ、そういえばフロッグ、この間のキャッチボールの時も下手投げだったな。相手がサテツだったから、単に気を使っているのかなと思っていた。そうじゃなかったんだ。


 相手を攻略するオプションとしてはいいけど、サブマリンしか投手がいないというのはどうなのだろう。

 でも、これはこれで、悪くはないかも……


「おいおい、フロッグ! てめえふざけんなあ!」


 ボスの怒鳴り声が青空に響き渡った。雲が驚いて固まって、どすんどすんと落ちてきそうなくらいの大声だ。


「ヘナチョコなの投げやがって! フミが初心者だから打てなかったけど、あんなのろまなの投げてたらバカスカ打たれるに決まってるだろ! 上手投げの方がずっと速度出んだろが! 科学的にそうだろ。サテツ、科学が大好きなら理論を説明してやれえ!」

「あたしが好きなの、化学なんだけど」

「理科は理科だろが。いいよもう。そんじゃあ、理論じゃなくて身体で証明してやるよ。のろまボールじゃあ役に立たねえって。フミ、バット貸しな」


 ボスはどすどすと小さな身体で大きな足音を立てて、バッターボックスへと向かいフミからバットを奪い取った。


「あの、ボス、サブマリンって理論的にもオーバースローにない利点だってたくさんある投法なんですけど……」


 わたしは説明しようと声を発したけど、ボスはぶーんぶーんとバットを振り回すばかりでまるで聞いていない。


「うっしゃあああ、本気で投げて来やがれえ!」


 バッターボックスの中で、ボスはバットをぎゅっと握り構えた。


「分かった」


 フロッグは小さく頷くと、投球モーションに入った。

 グローブからそっとボールを取り出すと、肩と肘をぐーっと後ろへ持って行き、身体を沈めながら前へ踏み出す。

 ボールを持った右手を、地面すれすれのところを通過させながらリリース。

 腕の振りに身体を前に出す勢いが加わり、ボールが打ち出された。


 サブマリンに厳密な定義はないけれど、少し変形したタイプだといえるだろうか。自分で工夫をしたのか、前の監督から習ったのか分からないけど。


 下手投げは速度が出ないものだけど、フロッグの投げ方はリリース寸前までボールが隠されているため、バッターから見ればそれなりに初速が出ているように見えるかも知れない。

 もしそうだとすれば、まずここが幻惑の一というところか。


 下から上へと放るが、球速がないからバッターの手前ですとん。幻惑の二。


 ボス、空振り。

 キャッチャーであるドンは、またもや上下の動きについていかれずキャッチミス。


「油断した! もういっちょ!」


 フロッグはいわれた通り、次の球を投げた。

 まったく同じモーションで。


 ボスは、ボールの上がり下がりをよく見極めようとじっと食いつくあまり、思い切りタイミングが遅れてしまい、またもや空振り。


「いまのは冗談だああ! 今度こそ打つ! 絶対に打つ! 本気で投げて来やがれえ!」


 次にストライクなら、ボスの三振か。

 果たしてどうなることか。


 などと考えるまでもないか。ボスっていつも、少し追い込まれると簡単に自滅するからな。


 フロッグはドンの投げ返したボールを受け取ると、またゆっくりと投球モーションに入った。


 身を低くし、腕を押し出すようにし地面すれすれのところでボールを放した。

 ボスは、


「ぎええええええ!」


 と叫びながら、ぶうん、とバットを大きく振り回した。

 空振り。

 ボスは自分の振ったバットの遠心力に引っ張られて、不様に転んでしまった。

 今度は、ドンの構えたミットにボールはしっかり収まった。


 さあ、始まるぞ。

 ボスのヒステリーが。


「うがああああああああああ!」


 予想通り、ボスは起き上がるなり怒鳴り声を張り上げて、バットを地面に叩き付けた。

 拾うと、ぐわっと両手で持ち上げてもう一回叩き付けた。


 ドンがずばんと見事キャッチしたというのも、ボスが感じる惨めさに拍車を掛けてしまったのだろう。凄まじい荒れっぷりであった。


「バカにしやがって、畜生! ド畜生!」


 自分で他校にまで行って探して連れて来たピッチャーなんだから、打てなかったことはむしろ喜ばしいはずなのに。ほんと負けず嫌いだよなあ、まったく。


「だからボス、下手投げはメリットもあるんですよ。立派な投法の一つなんです」


 興奮して聞いてくれないかな、とも思ったけど、いうなら今かなとも思ったので、わたしはもう一度説明することにした。


「一つには上下の動きで惑わせやすいこと。ボスも、身をもって味わったでしょう。しかも下手投げの投手なんてほとんどいないから、相手も打ち方を練習していないことが多いんです。あと女子のオーバースローは、どうしてもふわり山なりになるので結局のところ合わせやすいんです。結局のところ投げ方がどうであろうと、コントロール重視のピッチングになるしかないんです。だったら、むしろこっちの方が、上手くコントロールさえ出来れば、空振りを取るのに向いているかも知れない」

「だーかーらあ、こいつを連れて来たんだよおお! 全部知ってたんだよ! さっすがあたし、見る目あるう! おいフロッグ、この調子で頼むぞお!」


 ボスはフロッグのところへ歩み寄ると、背中をばんばん叩いた。


 いや、絶対に知らなかったでしょう。

 間違いなく知らなかったでしょう。

 絶対にオーバースローだと思っていたでしょう。

 まあ、いいけど。


「……頑張ります」


 どんな表情を作ったものか困ってしまっているのだろう。ばんばん背中を叩かれているフロッグは、俯いていたかと思うと不意に空を見上げ、鼻の頭を人差し指でぽりぽり掻いた。

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