09 最後の仲間
「面白そうだね。あたしが負けたら、あんたのいうことなんでも聞いてあげるよ」
「こっちもだ」
ボスは指をぽきぽきと鳴らそうとしたがまるで鳴らず、諦めて不敵な笑みでごまかした。
「それで、どのような勝負なんですか? ボス」
わたしは尋ねた。
「バッター対ゴールキーパー対決。攻撃側がハンドボールをバットで打って、キーパーが防げなかったらバッターの得点。防いだらキーパーの得点。いま適当に考えついた」
「ええっ、危ないですよそれ。キャッチし損ねたら、指を折るかも知れない」
「いいよお、別に、あたしは。キーパー経験あるしい。楽しそうだ。でもいまグローブ持ってないから、野球のでもいいから誰か貸してよ」
でもどちらも左手用のグローブだから、右手は指の形が合っていない。無理矢理に押し込めようとしていたが諦めたようで、右手だけなんだかぶらりんとしている。
この場に左利きがいれば、右手用のグローブを貸してあげられたのだけど。
「よし、ハンドボールのゴールだから幅三メートル、だいたいこ線から……この線の間かな。高さは目視で、大きく打ち上げたらバッターの負けってことでいいかな」
木ノ内絵美は、爪先でずりずりと線を引いてゴールの端と端を作ると、その中央に立ち、腰を落とした。
「よおし、さあこいっ!」
かくして野球対ハンドボールの異種球技戦が始まったのである。
まったく関係のない別な遊びである気もしないでもないが。
先陣 浜野まどか。つまりボスだ。
右手にバット、左手にハンドボールの二号球を持ち、ゴールから六メートルほどのところに引かれた線の上に立った。
「それじゃあ、始めっぞ。負けて泣くなよ。手で投げるんじゃなくてバットだから、ハンドボールの守備と同じじゃねえぞ。鼻っ柱が折れてみっともなく泣きベソかかないよう覚悟しとけ」
「能書きはいいんで、早く打って下さあい」
「あったまきたあああ! おりゃあああ!」
ハンドボールを高くトスすると、すぐさまバットを両手で握り、怨みを込めて(かどうかは分からないけど)ぶうんと思い切り振った。
ばずん。
と鈍い音がした瞬間には、すでにボールは木ノ内絵美の脇を抜けてセメント袋をおおったブルーシートに当たって、ぽとりと落ち転がっていた。
ゴール。
ボスの得点だ。
キーパーである木ノ内絵美は、なにも出来なかった。
「うおっし、まず一点頂きい!」
「くっやしいいいいい!」
喜ぶボスに悔しがる木ノ内絵美。これぞ真剣勝負といった光景であった。
でもこれ、距離が近すぎてキーパー不利なのでは?
ハンドボールのフリースローなら良いけど、これはスローではなくバッティングだからな。速度が違う。
仮に弾道を見切ることが出来たとしても、手にはめているのは野球のグローブであるためハンドボールと大きさが合わないというのに、しかも両手とも左手用。
それぞれが攻撃と守備をやるわけで、条件は一緒だけど。
でも、単純にキーパー不利ともいえないか。
ハンドボールをしっかり自分でトスしてバットで打つ、って難易度高いよ。相当に練習しない限り、空振らないまでも打ち上げてしまったり、望む方向へそうそう打球が飛ばないのではないだろうか。
みんなの見守る中、ボスの第二打だ。
また雄叫びを張り上げて、ぶんとバットを振った。
ばずん、と鈍い音とともに、ボールは唸りを上げて木ノ内絵美へと襲い掛かる。
やっぱりボス、かなり練習してる。
おそらく、バッティングコーチが自分自身にかすような、そんな練習を、相当に積んでいる。
ボスのチーム作りへの情熱の一端を感じ、わたしの身体がぶるっと震えた。
しかし情熱があればなんでも勝てるというわけではない。打球は、ど真ん中すぎた。キーパーの胸でブロックされてしまった。
いや、ブロックではない。
真正面のボールを、木ノ内絵美はしっかりがっちりと両手でキャッチしていた。
凄い動体視力だ。
真正面とはいえ、まさか至近距離からの打球を楽々受けてとめてしまうなんて……
「くそおおおおおおお!」
地団駄踏んで悔しがるボス。
続く第三打は、焦りが出たのか練習の成果を発揮出来ずに高く打ち上げてしまった。
第四打も、まったく同様だ。
初めて一緒に三角ベースをやった時もそうだったけど、ボスってば焦るとすぐ悪循環に陥るところがあるんだよな。
「あっれえ、おチビちゃんどうしたのお? まぐれの一球だけえ?」
木ノ内絵美が、もっと焦りを引き出してやろうと挑発する。
「黙れアホ。感覚は掴めてきたんだ。次は絶対に決めてやる!」
「こっちだってね、感覚掴めてきたよ。だから決めたいのなら、ぎりっぎりのとこをよおく狙うことだね。ああ、でもそしたら外れちゃうかあ」
「ごちゃごちゃうるせえぞおおおおおお! おおりゃあああ!」
最後の打球が唸りをあげた。
バットに叩き付けられ、地面をえぐるようなボールになった。線ぎりぎりのところにバウンドして、入った……いや、弾かれた。すっと伸びた木ノ内絵美の足に、ボールは弾かれていた。
ゴールキーパーってよく分からないけど、バウンドの処理は難しそうなイメージがある。でもこの打球に関してはバウンドによって、処理する余裕を与えてしまったようだ。
ボスの焦りによる、自滅か……
でもボス、バットを叩きつけて髪の毛ぐしゃぐしゃ掻き回して悔しがるかと思ったら、思いのほかすっきりした顔をしている。バッティングが上手くいかないと思った時から、守備に気持ちを切り替えていたのだろう。
野球素人の打球がそもそもまともに飛ぶわけもなく、すべて押さえ切ればボスの勝ちだからだ。
ボスは両手にグローブをはめた。
やはり両手とも左手用なので、右手のぷらぷら感がなんとも頼りない
「そんなちっこい身体じゃあ、ゴール守れないでしょう?」
「お前こそ、バットの振り方知ってんのかよ。へなちょこだったら容赦なく笑ってやるから、自信ないならいまのうち降参しといた方がいいぞ」
「いいよお別に。じゃあ、先にいま思いっ切り笑っておけばあ? ほら早くう」
また口撃戦が始まった。
「うっせえ! 打って来い! 取ってやる! 空振りせずにちゃんと打てたらだけどなあ! そしたらそれだけで褒めてやるよ、例えへっぴり腰だろうとな!」
なおもまくしたてるボスに、木ノ内絵美は口喧嘩にいい加減飽きて来たか、つまらなそうに頭をがりがりと掻いた。
「じゃ、いくよ」
ボールを、まるでバレーボールやテニスのサーブのように高く高く放り上げた。
落ちて来るまでの間に、ゆっくりとバットを両手で握り、ぎゅっと感触を確かめると、くっと小さく腰を引いて、バットとともにぶんと回した。
ばずん、
という音と同時に、ボスの脇を抜けたボールが壁であるブルーシートに当たってぽとり落ちた。
これがもしハンドボールの試合で本物のゴールであったならば、「ゴールネットに突き刺さった」という表現がぴったりの、木ノ内絵美の得点シーンであった。
一瞬、時間が静止した。
つまりは、しんとした静寂が訪れた。
周囲は最初からこの異様な雰囲気に飲まれて誰一人口を開いていない状態だったので、ボスが一人黙ればこの世の時間は止まってしまうのだ。
再び動き出すまでに、どれほどかかっただろうか。
不意にボスが身体を震わせ、頭をぷるぷるっと左右に振った。
「まぐれだっ! まぐれで、なおかつ偶然だ!」
同じ意味なんですが……
「うん、まぐれだね。だったら次は止められるよ…ね!」
木ノ内絵美の第二打。
鈍い音が響いて、先ほどとまったく同じ弾道でボールはゴールネットへ突き刺さった。いや、ネットはないけど。
第三打はちょっとタイミングが狂ってしまい空振りであった。
だけどもう、ボスに笑う余裕はなかった。
グローブをはめ直し、あらためて腰を落とし、にやにや笑みを浮かべているバッターを睨みつけた。
だが、どんなに気合いを入れようとも結果は変わらなかった。
第四打も、
第五打も、
木ノ内絵美は、ボスの気迫を嘲笑うようになんなく得点を上げたのである。
ゲームセット。
一回だけ外したものの、後は全部決めた木ノ内絵美の圧勝だ。
「勝負、あったようだね。なんか弁解する? お腹が痛かったからだ、とかさあ」
木ノ内絵美は背中に回したバットに腕を絡ませながら、ぜいぜいと息を切らせているボスへと楽しげな笑みを向けた。
「そういえばあたし、木ノ内さんがハンドボールだけじゃなくてバッティングの練習してるのも見たことあるなあ」
サテツが呟いた。
「早くいええええええ!」
ボスの飛び付き腕ひしぎ逆十字が決まり、ばったん倒れるサテツの右腕をぎちぎちと締め上げた。
三十秒ほどしてようやくサテツの腕に絡めた足を解いたボスは、立ち上がり、木ノ内絵美の方を向いた。
「……あたしの、負けだよ」
バツ悪そうに唇を尖らせながら、斜め下の地面へと視線を動かした。
意外と、さっぱりしているところもあるんだな。
「まあそうなんだけど、でもそうあっさり認められると調子が狂うなあ。バッティング得意なの隠してたあたしも悪かった。だから……その、なんだ、そっちのいうこと、聞いてあげるよ」
「え?」
話の要領を得ず、目が点になっているボス。
他のみんなも、だから多分わたしも。
「えじゃないよ。いちいちいわせないでよ、もう! ……入ってやる、っていってんだよ」
「なにをいってんだ、お前は」
「だからっ、廊下に貼紙出してたでしょ! 選手募集の。そっちが聞いて欲しい願いって、そのことでしょ? あと一人がだあれも入って来ないってんなら、仕方がない。あたしが入ってあげましょう。もっのすごい嫌だけどさあ」
「いい、お前いらない。チームに不協和音が出る」
「なにそれ! どっちかっていえば、そっちの性格の方にこそ問題あるでしょ! うー、あったまきたあ。絶対に入ってやる」
「いらないって! コオロギの妹が入るっていってくれたから、人数はなんとかなるんだよ」
「じゃあそのなんとかの妹と勝負だああああ!」
「うっせえなあ。いいよいいよ、もう、入れてやるよ。仕方ないな。その代わりに、名前あたしにつけさせろよな」
「え、名前?」
木ノ内絵美は、ちょっと首を傾げた。
「みんなあだ名で呼んでいるんだ。わたしはコオロギ、こっちアキレス」
わたしは横から口を挟み、隣にいるアキレスの肩をぽんと叩いた。
「んでさあ、こいつどんな特徴あんの? 性格が悪い以外に」
ボスが木ノ内絵美を、面倒臭そうに親指で差した。
「性格悪いのそっちでしょうが!」
「うっせえな。それよりなんかないの? 家が魚屋やってるとかさあ、前科があるとかさあ」
「確か、親が国道四号沿いの、役場のすぐそばのガソリンスタンドを経営してる」
サテツがぼそり呟いた。
「ちょっとなんで知ってんのお!」
木ノ内絵美本人でなくとも驚くよな。
一体どこから仕入れた情報なんだ。ちょっと怖いな、サテツって。
「じゃ、ガソリンね。はい決定」
ボスは面倒くさそうな表情で、ぱんと手を叩いた。
「短絡的だなあ……。でも、いいねそれ。エネルギー満タン! って感じで。気に入った」
「気に入るなよ!」
「なにそれ! 気に入るはずないと思ってる名前を人に付けないでよ! そんなことよりも、チーム名を考えるとこだったんでしょ? あたしの名前が決まったんなら、ほらあ再開再開!」
「しっかり話聞いてたんじゃねえか。離れたとこで一人ボール投げてる振りしててさあ。お前、入りたかったんじゃねえの? 友達が一人もいないって聞いたぞ」
「いるよ! たくさんいる。いすぎて邪魔なくらい。一億人!」
「はいはい。ミドリムシだかなんとか細胞だかが一億匹ね。分かった分かった」
「クソチビ……」
「またそれいうか、てめえ!」
胸倉掴み合う二人。
かくして木ノ内絵美、ガソリンがわたしたちの仲間になったわけだが……大丈夫なのだろうか。
激しく不安だ。
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