07 野球チーム作った

「でさあ、兄貴が認めずハアとかいってとぼけてるもんだからさあ、頭に来て唐揚げの残りを全部奪って食べてやった」


 うみは、どれだけの量であったか誇示するかのように、自分のお腹をぽんと叩いた。

 些細な兄妹喧嘩から晩のおかずを取り合った話に、わたしは声に出して笑った。


 なるほど。

 海子の巨人兵士のようなこの体格は、喧嘩によるおかずの奪い合いから細胞構成されていたわけか。


 家では王様なんだよな。海子も。

 あ、いや、ってわたしは別に王様なんかじゃないけど。

 まあ学校でのわたしに比べれば、家では何百倍も明るく活発で、はきはきとしているのは間違いないことではあるが。


 二人とも教室では、暗い、日影、とよくからかわれている。

 気があまりに小さく自己主張が出来ず、クラス委員決めも当然のごとく不人気なのばかりをやらされているほどだ。


 のびのび好きに行動し発言するという市民権を持っておらず、隅で小さくなっているしかないから、いつまでも市民権を得られるはずもないという悪循環を繰り返しながら卒業までの日々を送っている。海子はどう思っているか分からないけど、わたしはそうだ。


 クラスにいじめっ子がいないというのが、せめてもの幸いだけど。

 いや、せめてもどころか、もの凄く幸運なことかも知れないのかな。

 だって、いじめっ子にとってわたしたちほど格好のターゲットはそうそういないだろうから。


 三年生四年生の時には海子がいじめられていて、毎日のように泣いていたっけ。クラスは別だけど一緒に登下校する仲だったから、いつも励ましていた。


 などとあの頃を思い出すと、必ず懺悔の言葉が心の中につらつらと浮かぶ。

 海子には口が裂けてもいえないけど、ああわたしが標的じゃなくて本当によかったといつも思っていたから。

 だから、今後もしもわたしが一人いじめを受けることになったとしても、神様の罰だと覚悟している。

 海子が味方してくれないとしても、絶対に恨みに思うことはない。


 などと、気の沈むようなことばかり考えていても仕方ないか。

 せっかくの休憩時間なのだから。


 現在は給食の時間が終って、昼休みに入ったばかり。

 わたしたち二人は、校舎の階段をぐるぐる上って、屋上へと向かっている。


 穏やかな青空の下でそよそよと風でも浴びながら、他愛のない会話をしてひっそりと時間を過ごすつもりだ。


 運動が好きではない海子を連日のようにキャッチボールに付き合わせても悪いし、昨日のようなごたごたに巻き込んでしまってはますます申し訳がない。

 勝負に負けてしまった以上は、あの男子たちと出くわすのも気まずいし(もしも勝っていたら、もっと気まずかったろうけど)、等などの理由もあって、今日は海子にすべてを任せた結果、屋上でひっそり平和な時を過ごそうということになったのだ。


 とはいえ、きっとそれはわたしの自分へのいいわけなんだろうな。

 もしもまた外でキャッチボールなんかをしていて、またあの女の子に会ったらどうしよう。本当は、そうしたところが気掛かりなのだろう。

 他人事のようではあるけど。


 別にあの子に恨みなどまるでないし、負けん気の強さに関しては素直に凄いなと思う。上級生の男子に対してもずけずけと思うところを口にするし、気の弱いわたしとしては単純に憧れる。

 でも、だからこそだ。

 あのようなパワーの塊と一緒にいると、わたしのような者としてはどう接していいか分からず、ただ小さくなっているしかないではないか。

 あの小柄な身体よりももっと、小さくなっているしかないではないか。


 まあ、今日は今日で別の女子に混ざって別の男子と戦っているかも知れず、わたしと会ったところで「あ、どうも」で終わるだけかも知れないし、そっちの方が確率高い気もしなくはないけど。


 とにかく、気が小さくて心配性のわたしとしては、最悪な方のシチュエーションを想定してしまうのだ。

 これまでの人生なにを押し付けられても断ることが出来なかったが故に、広い想定範囲を持って先回りすることで最悪の事態を逃れて生きてきたから。


 と、気疲れする人生だからこその、屋上での生命の洗濯だ。

 なにも考えずに、笑って過ごそう。


 階段を最後まで上り終え、古臭く薄汚れたアルミ製の両扉を開いた。

 気圧差の関係で、ひょうおっと風が吹き抜けたが、すぐにそよそよと肌をなでるようなものに変わった。


 昼休みになってすぐにここへ向かったというのに、もう一人先客の姿があった。


 こちらに背を向けて、フェンス越しに外を見ている。

 短い髪の毛、短いデニムのスカートに黒い厚手のタイツ。

 小柄だし、下級生かな。


 なにを見ているんだろう。

 眼下には延々と田んぼが広がるばかりだし、遥か向こうに目をやったところで東武動物公園の観覧車くらいしか見える物などないというのに。


 どくん。

 と、不意に心臓が跳ねた。


 もちろん、わたしのだ。

 後ろ姿ではあるが、あの子に見覚えがあるような気がしたのだ。


 突然、女の子が振り返った。

 わたしは「うわ!」と驚いて、びくりと肩を震わせ後ずさっていた。


 やはり……

 下級生ではなく、昨日一緒に三角ベースをやった、あの子であった。

 思わず驚いたわたしだけど、でもその驚きは、この直後に受けた衝撃に比べればなんということないものだった。

 ある意味で建設的創造的行動であるというのに破壊力抜群の、その衝撃に比べれば。


「野球チーム作っから、お前ら入れ」


 女の子はそういって、笑顔を見せたのである。

 昨日の昼休みに男子たちとの戦いの中さんざんと見せられた、あの不敵な笑みであった。


 頭が真っ白。

 というほどではない。

 聞き取れていたし、理解も出来ていた。

 だけど、

 だけどやっぱり、そのあまりの衝撃になにがなんだか分からず、わたしは海子の隣で口を半開きにして呆然と突っ立っていた。


 なんとも名状しがたい感覚に、わたしは襲われていた。

 身体の中だか、表面だか、じわりじわり、ぞわりぞわり、と這い上がってくるような。

 それが肩くらいにまで上ってきた瞬間、わたしは全身をぶるぶるっと震わせた。

 そして、張り裂けんばかりに口を大きく開いていた。


「えーーーーーーーーっ!」


 これまでの人生で、ここまで大きな声を出したことがあろうか。というほどの、わたしの絶叫であった。

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