第2章 今日はあんたを気持ちよくしてあげる(4)
「来てしまった・・・」
僕はボロっとしたアパートの下で呆然としていた。
そう、ここは世間を騒がすかの連続殺人鬼、大神(おそらく名前を知っているのは僕だけ)の家。
なぜこんなところに自ら足を運ぶこととなったのか。
それは簡単に言えば僕がドジをしたからで、さらにそこに不幸が重なったからで、要するに、鍵を落としたのである。しかもちょうど今週は大家さんが海外旅行へ行っている。帰ってくるのは三日後で、スペアキーははない。
焦りに焦ってインターネットで「鍵 落とした 家入れない」で検索しても出てくるのは鍵交換にかかる損害賠償費用についてばっかりで、どうやって一晩やり過ごせばいいのかどこにも書いてない。
困り果てて交番へ行ったら、
「おいおい、あのときにお兄さんじゃん。何、どうしたの」
「あの・・・ですね・・・鍵を落としまして・・・」
「鍵。家の鍵?そんなこと僕らに言われてもねぇ、届いてないよ」
「そうですか・・・」
「また外で寝るのはやめてくださいね、ぼくらも夜通報で叩き起こされるの嫌だし、兄ちゃんもまた草まみれで起きるの嫌でしょ?」
「はぁ・・・あの、なんとか開ける方法は・・・」
「ないね」
「そんな!」
「友達んちに泊めてもらいな」
「友達・・・いないです・・・」
という調子。
スマホを出して連絡先をざっと見たがやっぱり友達はいない。両親と同僚だけだ。実家は遠すぎるし同僚の家には死んでも泊まりたくない。確認した分悲しくなっただけだ。
友達はいない。いないが・・・。
大神の「また遊びにおいで」という言葉が、ここにきて脳内に木霊する。
・・・そして今に至るというわけだ。
自らこんな危険地帯に足を運んでしまうなんて、どうかしてる。やめよう、そうだ、ホテル、ホテルを探そう。痛い出費だが仕方ない。三日くらいなら公務員の薄給でも何とかなる。
僕は踵を返して立ち去ろうとした。
が、10 mくらい進んだその時、
がしっ。
「ひぃ!!」
まただ。もう振り返らなくても手の大きさだけでわかる。大神だ。
「な、なんで・・・・」
「ひつじの匂いが」
「匂い!?犬ですか!!??」
大神に肩をぐっと後ろに引かれてバランスを崩したとおもったら、次に見えた景色は空だった。
宙に浮いている。
『お姫様抱っこ』をされている!!??
「何食べたい?」
当然食べていくでしょ、という調子で言いながら、成人男性一人を腕に抱えながらも軽々と階段を数段飛ばしで登っていく大神。
「い、いや、結構です、おうち帰るので・・・」
と言いつつ、階段で暴れて落とされるのも怖いので、大人しく抱っこされているしかない僕は無力だ。
それに、
「帰るの?」
と言った大神が悲しそうに見えてしまったので、僕はもう抵抗できなくなった。
何が食べたいかと言われてもとっさに何も思いつかなかったので何でもいいと答えたら、じゃあパスタ、ということになった。
大神はパスタが好きなのかもしれない。
またソファに座らせてもらい、改めて部屋を見渡す。
本当に綺麗な家だ。
こうしていると何の変哲もない独身貴族にしか見えない。なぜ、この人が殺し屋なんてやっているのだろうか。
ちょっと聞いてみたい。でも聞くのは怖すぎる。
なぜって、殺されそうだからとかそういうのじゃなくて、なんとなく触れてはいけないような気がするから。
「今日はバジル」
大神が持ってきたプレートには鮮やかな緑色のパスタがのっていた。
「バジル?」
「そう。ジェノベーゼ」
「ジェ、ジェノベーゼ・・・」
知らないカタカナがいっぱいだ。でもとりあえず、あんまりにもいい匂いがするから、これが絶対に美味しいということだけはわかる。
ぐるるる。
お腹がでかい音を立ててなった。大神がくすりと笑った気がする。
「い、いただきます」
「うん」
早く食べたくてたくさん巻いたら束が大きくなってしまい、大口を開けて頬張る。
もちもちとした食感。広がる緑の香り。あとガーリック?わからない、とにかく美味しい。美味しいのだけれど食レポをするには知識が足りなさすぎるしお腹も空きすぎている。
食欲のままにばくばくと食べ進めて、気づいたら完食していた。
「おいしい・・・です・・・ごちそうさまでした」
「うん」
僕もかなり早く食べたはずなのにそれよりも先に食べ終わっていた大神は、僕の方をじっと見ていた。
気恥ずかしくなって誤魔化すためにレモン水を飲んだ。僕がグラスを置いたところで、大神が口を開く。
「さっきあんたが交番に行ってた時、俺のこと言いに行ったのかと思った」
どくん、と、自分の心臓が大きく跳ねたのがわかった。
「み、みてたんですか・・・」
「うん」
鍵を落としてうろたえているところを見られていたのかという恥ずかしさ、なぜ声をかけなかったんだという憤慨、そして何より、今まで何度かギリギリのところで回避してきた話題をいきなり持ってこられたことへの驚きと焦り。
「そうだといいなと思った。でもそうだったら悲しいとも思った」
何と答えていいかわからず、僕はただグラスを握りしめている。
「来てくれて嬉しかった」
大神の真っ直ぐすぎる目が痛い。こんなまっすぐで無垢な目は僕なんかに向けられていいもんじゃない。僕みたいな、平凡で臆病な甲斐性なしにはふさわしくない。
「僕なんて、そんな、喜んでもらうほどのものじゃ・・・いきなり押しかけて、またご馳走になってしまって・・・手土産もないので、どうか今日も僕のこと夜のお供にでも使ってください、うしろもきれいにしておくので・・・」
僕は地面に穴を掘って埋まりたいような気持ちで言った。
大神はゆっくりと首をよこに振る。
「いい。今日はあんたのこと気持ちよくしてあげる」
先生は殺人鬼に性的に食われています 桜さくや @LoxP
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