第2章 今日はあんたを気持ちよくしてあげる(1)

「あいたたた・・・・・」


頭の鈍痛と喉の渇きで目を覚ました僕は、起き上がろうとしてあらぬところの痛みに呻いた。

腰が痛むのはいいとして、なぜ尻が痛いのか。

そしてなぜ僕はこんなふかふかのキングベッドに横たわっているのか。しかも裸で。


・・・裸?

そのことに気がついた瞬間、昨晩の出来事が、一気に押し寄せるように思い出された。

そうだ、僕は昨日、例の殺人鬼にまたばったり出会ってしまって、殺人鬼の家に担ぎ込まれて、そして・・・


『食われた』のだった。


そのときの強烈な体験をありありと思い出し、僕は身震いした。

まだちゃんと生きている自分が、正直ちょっと信じがたい。

殺人鬼の家に招かれてまだ生きているということも信じがたいし、あれほどしっかり『食われた』のに無事でいるということも信じがたい。

人間の体って案外丈夫なんだ、なんて、感動さえした。


「起きた?」


昨日散々聞いた甘いバリトンヴォイスが耳に響いてきて、僕は反射的に息を呑んだ。

大神だ。


「ひっ!?あ、お、起きました・・・おはようございます」


対する僕の声は、情けないほどカスカスのカラカラ。

昨日さんざん叫ばされたせいだ。


「・・・お白湯。飲んで」


大神はマグカップをベッド横の机に置いた。


「あっ、ど、どうも・・・」


僕は痛む体に鞭打って起き上がり、言われるがままに白湯を口に含んだ。人肌より暖かめ、猫舌でも無理なく飲める温度。湯が喉と胃に染み渡る。

なんだかほっと一息ついてしまうなあ。殺人鬼を目の前にしているというのに。


ぐるるる。


胃が空腹を訴えて大声で鳴いた。僕は自分の顔がカッと赤くなるのがわかった。


「・・・朝ごはん、作ってあげる。食べていきなよ」


思いもよらぬ殺人鬼の申し出に、僕は思い切りテンパってしまった。


「えっ!!あ、いや、お気遣いはありがたいんですが、その、大丈夫です、ありがとうございます・・・」

「時間、ない?」

「え、時間?そ、それは大丈夫だと思いますが・・・」

「じゃあ、待ってて」


大神はそう言うと、硬直して動けない僕の緊張を解きほぐそうとするかのように、頭を優しくひと撫でして立ち去った。


「な、なに・・・・・・??」


あの日、一昨日の夜、『仕事中』の大神を見かけてしまうまで、僕はとても平凡な日々を過ごしているはずだった。それがあのとき一変してしまった。

鮮明に思い出せる、血生臭い仕事現場と容赦ない手つき。あの手は、顔は、出立は、間違いなく昨日僕を『食べ』た大神と同一人物だった。

その荒々しさと、大神の気遣いの柔らかさがどうしても僕の中で結びつかず、僕は頭を抱えた。


開いたままのドアから、食欲を誘うガーリックの香りがただよってくる。


ぎゅるるるるるる。


また腹の虫が盛大に鳴いた。

僕は香りに誘われるように廊下へ出た。


「もうすぐできるから」


リビングに現れた僕の気配を感じたのか、キッチンの方から大神の声がした。見えないところからの声にびびった僕はまたひっと変な声を上げてしまう。


さっきは恐怖に呑まれてあんまりちゃんと見ていなかったけれど、本棚をよく見るとちょいちょい僕でもタイトルくらい知っている本もある。「星の王子さま」「世○一初恋」「君の膵臓を○べたい」(これは目に入っていた気がするが完全に違うジャンルの本と勘違いしていた可能性が高い)・・・などなど。


殺人鬼に「世○一初恋」って似合わなすぎる・・・と思いつつ手にとってあらすじに目を通す。

・・・これは殺人のほうではなく、絶倫のほうと関連があるということがわかった。

僕は本をそっと棚に戻した。


「できた」


大神がパスタを2皿持ってキッチンから出てきた。レストランで使われていそうな白い大きな平皿におしゃれに盛りつけられていた。


「わぁ・・・おいしそう・・・」


僕は思わず感嘆の声を上げる。

大神は、丁寧にもクロスがひかれたテーブルにパスタを運び、グラスに水を注いでくれた。微かに、レモンの香りがする。


「食べて」

「い、いただきます・・・」


促されるままに僕はフォークを口に運ぶ。


「・・・おいしい」


広がるニンニクとベーコンの香り。キャベツの甘みと、ほんの少しの唐辛子の辛味。とってもおいしいし、何より人に作ってもらった料理を食べるのが久しぶりすぎて、なんだか涙が出てきた。


「辛かった?」

「ち、違うんです、おいしくて・・・」


僕は鼻をすすりながらどんどん食べる。おいしい。あたたかい。


「おいしくて泣くなんて、変なの」


大神は僕をみて笑うが、僕に言わせれば変なのは大神も大概だ。

朝食にパスタっていうなかなかないチョイスは一旦置いておくとして、殺人現場の目撃者を家に招いて飯を食わせる殺し屋なんて聞いたことがない。餌付けして太らせて食うつもりだと言われればむしろ納得するが、大神は僕を帰すつもりで、時間の心配さえしてくれた。


あなたは、一体、どういう人なんですか。

僕はこの出来事をどう受け止めたらいいんですか。


そんなこと答えが出るはずもないまま、僕はこの変な殺人鬼の家から送り出された。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る