第1章 痛くしないでください⑶

「ただいま」


誰に向かってともなく言う殺人鬼。

血にまみれた服とかナイフとか昨日の死体とか、そいういうものを見たくなくて僕はぎゅっと目をつぶっていた。

靴を脱いでいるのか、ぐらぐらと揺れを感じる。


「ソファでいい?ベッド?」

「いえ・・・床で結構です・・・」

「じゃあソファ」


すっと落ちる感覚と柔らかい感触。本当にソファに降ろしてくれたようだ。


「なんで目つぶってるの」

「グロいものは苦手だからです・・・」

「グロいものは置いてない」

「本当ですか・・・??」

「臭くないでしょ」


言われてみれば、血の臭も腐敗臭もしない。むしろ、カップ麺の臭いや生ごみ臭が充満している僕の家よりも爽やかな空気だ。

僕は恐る恐る目を開けた。


「あっ・・・」


驚きで思わず声が出た。ボロボロの外観からは想像もできない、立派な内装だった。ピカピカのフローリング。オフホワイトの壁紙には汚れひとつない。四人掛けの木製テーブルの上には果物がたっぷり入ったバスケット。僕が座っているソファは薄緑色の革張りで、丸いブラウンのクッションが置いてある。横の壁は一面本棚だ。


「すごい・・・綺麗」


殺人鬼は何がすごいのかわかっていなさそうな様子でテーブルの方の椅子に座った。

こうしているとまるでお育ちの良いお坊ちゃまの家にお呼ばれしたかのようだ。しかし僕は、棚に並ぶ本のタイトルがことごとく「死体処理の基本」「ナイフ今昔」「各種毒薬の入手法とその使い方」とか「鉄血」「ダイナー」とかいう感じであることにちゃんと気づいていた。


「あ、あの・・・」

「何?」


殺人鬼は僕の方をまっすぐ見ている。

僕は勇気を振り絞って言葉を続けた。


「こんなことお願いするのも恐縮なんですが、僕、痛いのも怖いのも本当にダメだから、その、こ、こ、殺すのであったら、麻酔とか、していただけると・・・」


自分で口に出すことで今から殺されるのだということをじわじわと感じ、僕はまた目をつぶった。

そうだ。希望なんて持ってはいけない。第一、昨日の夜見逃されたのがおかしかったのだ。殺人鬼が、目撃者を生きて帰すなんてありえない話なのだ。


「殺す?麻酔?何の話??」

「ダメ、でしょうか・・・・ならばせめて一瞬で・・・・」


僕は祈るように手を合わせる。全身がガタガタと震えていた。ああ、こんな思いをするくらいだったらあの時殺されておけばよかった。そうしたら恐怖は一回だけで済んだのに。

ギーッと椅子を引く音がして、その後殺人鬼の手が僕の頬に触れた。


「ひぃっ・・・・!!」


ほとんど泣き声みたいな情けない悲鳴をあげる僕。

殺人鬼はそんな僕を見て笑った。


「殺さないよ」

「えっ・・・・?」


予想外の言葉に俺はおもわずパッと目を開けた。目の前に殺人鬼の顔があった。表情がよくわからないがまっすぐな目だった。


「俺は殺し屋。仕事でしか殺さない。だからあんたのことは殺さない」

「でも・・・僕が誰かにあなたのことを言ったらどうするんですか」

「そうしたら、俺は捕まるだろうね」


殺人鬼は何でもないことのように言う。


「いいんですか・・・??捕まったら、きっと死刑ですよ」

「そうだね」

「怖くはないんですか」

「怖いよ。でもしょうがない」


本気なのだろうなと思った。衝撃を受けた。いくら自分が人殺しだからとはいえ、自分の死を仕方ないの一言で受け入れられるものなのか。


「殺し屋、さん。あなたは・・・」

「大神。俺は大神」

「大神さん。あなたはなんでそんなに強いんですか」

「強い?俺が?」


殺人鬼・・・大神はわずかに首をかしげる。


「俺は弱いよ。だからまだ生きてる」

「・・・すいません、おっしゃることがよくわからないです・・・」

「わからなくていい」


言っていることの意味も分からなければ表情もわからない。そういえばさっきから謎に顔が近い。

僕は居心地が悪くなってきて目線をそらした。


「あんた、名前は」

「ひ、日辻洋介っていいます」

「ひつじ・・・」


大神はちょっと考えるような顔をした後で、またグッと顔を近づけた。


「ひっ!」

「おいしそうな名前」

「お、おいしそう!?ぼぼぼ僕のこと食べるおつもりですか・・・」


殺人鬼に言われると現実味が違う。本棚に「人肉調理法」みたいな本があったような気がしてきた。

一旦おさまっていた震えがまた戻ってくる。


「・・・シャワー、浴びておいで」

「やっぱり食べる気なんですか!!??」


裏返った声で叫ぶ僕に、大神はきれいなバスタオルを1枚投げてよこした。


「昨日入ってないでしょ」


確かに、風呂にも入っていない体でこんな清潔な家に上げてもらうのは失礼というものだ。

僕は嫌な予感を振り払い、おとなしくシャワールームに向かった。


だがこれは振り払うべきでなかったかもしれない。


「あの、それで」


シャワーを浴び終わった僕は、脱衣所で髪を拭いているところを拉致されて、今なぜかキングサイズのベッドの上にいる。


「これは一体どういう・・・」


一人暮らしのはずの大神のベッドがキングサイズなのはこの際いいだろう。彼は体が大きいから納得だ。しかし、なぜ、僕は今、そのベッドに乗せられて、さらには大神に覆い被さられているのか。


「食べたくなったから」

「ひっ!」


僕は羽織っていたバスローブをきつく体に巻きつけた。


「食べる、というのは、その、どういう意味でしょうか、文字どおり食すという意味であれば先述の通り痛いのは嫌なので麻酔をしていただきたく・・・」

「ちがう。こういうこと」


大神は僕の首元に顔を埋め、口付けをした。


「!!!!」


僕が驚いて固まっていると、次はべろんと首を舐めあげた。


「ひぃっ!!!!!!」


ぞわーっと何かが背筋を駆け上がり、僕は首をすくめた。

顔を上げた大神は熱に浮かされたような瞳で僕を見ている。


「そ、そういう『食べる』ですか・・・」

「そう。ダメ?」


甘える大型犬みたいな顔をされて僕はうっと唸る。

腰を抜かしたところを助けてもらった上に風呂まで借りて、このギンギンな(おそらく)状態で寸止めして帰るというのも酷い仕打ちかもしれない。それに、一度は殺される覚悟までした身、大男に性的に食われるくらい大したことないような気持ちがしてきた。


何より、拒否したところで大神から逃げ切れるわけがない。


「い、痛くしないでください・・・・」

「わかった」


大神はありがとうと言って僕の頬にキスした。

その時ちょうど角度的に目に入ってしまった大神のソコは、まぁ大神の体格から考えれば当然だが平均サイズより恐らくふた回りほど大きく、僕は軽率に承諾したことを激しく後悔した。


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