第1章 痛くしないでください⑴

「お兄さん、起きて、起きて。まったく、こんなに潰れるほど飲むんじゃないよ」

「んん・・・・」


揺さぶられて目をあけると、眩しい朝日とともに紺色の制服が目に入った。おまわりさんだ。


「あれ、僕・・・」


土の臭い。草の感触。そうか、僕は外で寝ていたのか。

酒なんて滅多に飲まないのに、なぜ。


「・・・・・!!!」


突然昨夜のすべてが戻ってきた。

死体、大男、死の恐怖、そうだ僕は昨日ここで人を殺した手の殺人犯と出くわしたのだ。


「死体!死体が!!!でっかい男がナイフもって・・・僕も危うく殺されるところで・・・!!!」


僕はおまわりさんに必死で訴えるが焦るあまり断片的にしか言葉が出てこない。


「死体?ナイフ??悪い夢でも見たんじゃないのか。安酒なんて飲むからさ、まったく」


おまわりさんはため息をついて僕を引っ張り上げる。

ガードレールの向こう側、車道の方には死体が転がっているはずだった。でも今はそこには何もない。死体どころか結婚すらもない。

何の変哲もない、ガムやタバコがちょっと捨ててあるくらいの普通の道路だ。


「そこに死体が!!昨日見たんです僕は!!!」

「はいはい、わかったわかった。お兄さんお名前は?」

「日辻羊介です」

「仕事は?」

「あ、えっと、教師を・・・」

「先生なの?だめじゃん、しっかりしなきゃ。家は近いの?帰れる?」

「帰れます、帰れますが、昨日ここで・・・」

「財布盗られてたりしてない?」

「財布・・・はちゃんとあります。あの、昨日・・・」


おまわりさんは僕を立ち上がらせて、質問をしたりジャケットについた草を払ったりする。僕の話は酔っ払いの戯言とでも思っているようだ。


「じゃあもう一人で大丈夫だね。気をつけて」

「ちょっと待ってください!昨日ここで人が・・・・・」


引き留めようとするが、おまわりさんは自転車に乗って行ってしまった。手だけ振って振り返りもしない。

取り残された僕はしばし呆然と道路を見つめる。

確かにおまわりさんが聞く耳を持ってくれなかったのもわかる。そのくらい、そこには何もなかった。自分でさえ自分の記憶を疑ってしまいそそうだ。

殺人現場というのはこんなに綺麗に片付けられるものなのか?昨日のあれは僕の幻覚か何かだったのだろうか?


いいや、考えたって仕方ない。どうせ昨日のことを証明するものは何も残っていないんだ。殺されたのも僕とは何の関係もない人。

忘れよう。それが一番だ。


僕は深く深呼吸してからガードレールを乗り越えた。

もう朝だから、学校へ行かねば。

昨晩外で寝る羽目になったせいで非常に体調が悪かった。正確には気絶していただけで寝れてすらいないのかもしれない。


「あ、ひつじちゃん!おはよ!」

「はい、おはようございます」

「おはようございまーす!」

「はい、おはようございます」


玄関はすでに生徒で溢れかえっていた。

不調をなるべく顔に出さぬよう、いつも通りみんなに挨拶をする。若々しい高い声に囲まれて少々耳が痛い。


「ひつじ先生、髪の毛に葉っぱついてる」

「え!ああ、本当だ」

「ははは!!ひつじちゃん、本当に羊みたい、かーわいい!!」

「こら、先生に可愛いなんて言うもんじゃないですよ」

「怒らないでよ〜ほめてるんだから!」


葉っぱを取ってあげるなどと言って髪の毛をぐしゃぐしゃにされたり謎の掛け声とともにパンチを食らわされたりしながらやっとの思いで職員室にたどり着いた頃には息も絶え絶えだった。

本当に高校生というものは朝から元気だ。

俺はため息をつき、服と髪を軽く整えてからドアを開ける。


職員室の中は対照的にシーンと静まり返っている。遅刻でないとはいえ遅めに来た僕の方を横目に見て舌打ちをする先生もいた。

あぁ、居心地が悪い。

なるべく音を立てないよう息をひそめながら自分の席へ向かう。


いつも通りの光景。何の変哲もない日常。それが今の僕にはとても奇妙に感じられて、どこか浮いたような気分だった。

まだ鼻の奥に濃厚な血の匂いが残っている気がする。それなのに、学校はこんなにもいつも通り。


『・・・それでは次のニュースです。先月から行方不明となっている〇〇市▲町の◇▽◎さん53歳の遺体が、昨夜、※○川の河川敷で発見されました。司法解剖の結果から遺体は死後約一ヶ月経過しているとみられます』


隣の先生のイヤホンが音漏れしている。物騒な世の中だな、と思いながら聞くとはなしに聞いていた。


『ナイフで腹部と胸部に刺された跡がり、また死後に衣服や姿勢を整えられた形跡があることから、警察は殺人事件の方向で捜査を進めています。また、残された遺体の様子が以前の事件と類似していることから、連続殺人事件の可能性も視野に入れているとのことです』


連続殺人事件。


その言葉がやけに大きく聞こえた。

僕はパソコンを取り出した。被害者の名前と地名、それから連続殺人というワードを入れて検索する。

近頃ニュースをほとんど見ていなかった僕は気づいていなかったが、ネットニュースはこの連続殺人事件のことで持ちきりのようだ。まとめ記事が乱立し、事件に関する情報や予測が好き勝手に書いてある。

僕はその中から、【規則性】〇〇市連続殺人【見つけたった】というタイトルの掲示板を選んでクリックした。


「毎月1名ずつの犠牲者・・・遺体は必ず河川敷で見つかる・・・毎回死後一ヶ月経過した遺体・・・」


記事のコメント欄は「そんなの誰でも気づくだろ」「釣り乙」「バカはスレ立てるな」など散々な有様だったが、手っ取り早く事件の概要を知るにはちょうど良かった。

死後一ヶ月経過した死体が毎月あがるということは・・・死体が見つかる日と次の犠牲者が殺される日がほぼ同時ということ・・・。


だとしたら、僕が昨日見たのは・・・・!!


僕はガタッと椅子から立ち上がった。隣の先生が驚いてビクッとする。


「あっ・・・すみません。ちょっと虫がいたもので・・・」


僕はペコペコと謝って座った。

まぁ、昨日見てしまったのが連続殺人犯の犯行現場だったとしても、僕にはもう関係のないことだ。忘れよう忘れよう。


もうあいつと出くわすこともないだろうし。


そんな甘い考えが数時間後に思いっきり裏切られるだなんて、この時の僕は夢にも思っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る