第6話 旧友
アルトは、一つ年下の友人だった。
多分、この交友関係を知るものは少ないだろう。
アリシアの時の話だ。
アリシアの成績は優秀で、免除された授業も多い。
令嬢たちとお茶会としゃれこんでも良かったが、偽るばかりのアリシアには一人の時間が必要だったのだ。
だから人に邪魔されず静かにしていられる学園併設図書館をよく利用した。
勉強机が並べてある入り口近くではなく、奥まった場所の、専門的な書物ばかり読むアリシアに、いつだったか司書は貸出禁止本が並べてある部屋の鍵を渡してくれた。
自分の代わりにたまに風通しをしてくれると助かる、なんて言葉と共に。
実はさらに奥に貴重本部屋、その更に奥に厳重に封じられた禁書部屋がある。
アリシアが足を踏み入れることを許されたのは貴重本の部屋までだった。
そんな特別な空間を手に入れたアリシアだったが、一人の時間は長く続かなかった。
闖入者がいたからだ。
あるいは先客、先住者とも言えるかもしれない。
彼の名はアルト。
家格はアリシアよりずっと低かった。
随分とぼんやりした少年で、そもそも学園に来ることが珍しい。
登校してもほとんど授業には参加せず、日がな一日、この部屋にいて本を読んでいるかうたた寝しているかのどちらかだ。
まるで保健室登校ならぬ、図書館登校。
最初は距離を保っていた二人だが、気付けばたまには会話をするようになり、気さくに声をかけるようになり、いつの間にか友人になった。
アリシアにとってアルトは気兼ねなく話せる数少ない人物。
彼の交友関係は実に狭く、お喋りでもなければ、噂好きでもない。
アリシアが少し態度を崩しても、口さがない連中の餌食になる心配がなかったというのが大きい。
そのアルトがたまにしか学園に来ないのには理由があった。
病弱だったのだ。
病気がちのせいか、体も細く、背も伸びきっておらず、彼の同級生と比べても随分と下に見える。
アリシアとアルトが並べば、まるで年の離れた姉弟のよう。
実際にアリシアは彼が倒れている姿を何度も見た。
図書室の床で、眠るように倒れているのだ。
本人は「ちょっと疲れたから寝てただけだよ」なんて言っていたが、それにしては顔色が悪く、いつも熱っぽい。
恐ろしくて、アリシアは一日に一回は部屋を開ける習慣が出来た程。
だから彼が一旦休み出すと期間は長い。
久しぶりに顔を見せた時には、生死をさ迷ったのだろうとわかるくらいにやせ細った顔に無理矢理に笑みを浮かべて「また死に損なった」なんて軽口を叩く。
アリシア自身が幼い頃はそんな生活だっただけに、どうしても仲間意識が芽生えた。
「冗談はよして」
アリシアは怒ったフリで、安堵を誤魔化し、先細っていく命への不安を隠したものだ。
やがてアルトは学園に来ることが稀以上になり、アリシアはアリシアではなくなった。
どうしているだろうとは思っていたが、まさか迷宮で突然再会するなんて。
「青天の霹靂ってものじゃないわ!」
「……ごめん」
憤慨するリリィに、アルトがしきりに目を瞬いて謝った。
家の使い慣れたベッドの中。
アルトにとっては人生のほとんどをこの場所で過ごしているのではと思えるほど慣れた場所だ。
体調は万全ではないが、怪我の影響はもうほとんどない。
精々が体が熱っぽい程度で、それはもう最近の話ではなかった。
いつものこと。
そのせいでベッドから出られないまま、背もたれに背を預けて客人を迎えたアルトは混乱の最中だった。
他に人は居ない。
普通年頃の男女が一つの部屋に二人きりになる、なんてことは邪推を招くので避けるのだが、一方がアルトであるなら話は別だ。
腕力も体力もない彼に何ができるわけもない。
そしてもう一方は怪しげな町娘。
いくらアルトが話を通していたからと言って貴族の家に平民が上がり込めたのは、彼女がかつて学園に通っていた実績のある、つまりは身元の確かな人間だったからだ。
だが貴族にとっては平民など塵芥。
万が一、億が一にも何事かがあっても、切ってすてればいいだけの話だった。
また、彼の家が人員不足だという理由も加味されてもいいだろう。
そう言った複合的な理由で、ありがたいことに二人だけの空間は得られた。
「迷宮は静かで不気味だし、胡散臭い人間はたむろしてるし、見つけたあなたは今にも死にそうだし!」
「待って、ちょっと待って、アリシア」
先ほどから話が見えない。
整理する必要があると、まだまだ続きそうな彼女の愚痴をアルトは無理矢理止めた。
だが、彼女がぴたりと話をやめたのはほんの一瞬。
「そう、それよ! アルト、どういうことなの? どうして私をアリシアと呼ぶのよ」
「それは僕の台詞だよ。一体どうしてそんな姿なのさ」
互いの疑問で互いにハテナを浮かべる。
先に口を開いたのはアルト。
「だって、アリシアでしょう?」
「リリィです」
「……どう見てもアリシアなんだけど」
そもそもアルトはリリィを知らない。
同じ学園に通っていたとはいえ、レアキャラのアルトがリリィと遭遇するにはかなりの確率の壁が存在する。
「……アルト、あなた本当になにも知らないのよね?」
「なにもって何? 具体的に言って欲しいんだけど」
迂遠な質問に頭が痛んで、アルトは思わず指で揉んだ。
確かに何が言いたいのか、何を確かめたいのか、これではまるでわからないと反省したリリィはずばりと切り込む。
「私がこの姿になったことを知らないはずなのに、あなたが私をアリシアと呼ぶから、まさかどこかから秘密が漏れたのかと思っただけよ。どうやら本当に知らないみたいだし、心配損ね」
かつてならあり得ない事に、彼女は軽く肩を竦めてお手上げのポーズをした。
彼女がアリシアだとアルトは確信していたが、それにしては口調だって仕草だって随分とぞんざいだ。
アルトの知っているアリシアとは、少し違うのかもしれない。
「素直に聞くけど、どうして私がアリシアだと断言するの?」
「なぜ、と言われても。そう思うからとしか……」
不満そうに睨まれた。
アルトは苦笑して、彼女の納得する答えを差し出すことにする。
「多分『ギフト』が発動したんじゃないかな」
アルトにとって、それは真実。
だが聞きようによっては誤魔化しともとれる。
なぜなら、他人のギフトへの詮索はしないのが常識だから。
質問を防いだとも解釈できるのだ。
だが、リリィと名乗った彼女は頷いた。
「ああ、そういうこと。確かに、あなたのギフトならあり得るわね」
慌てたのはアルトだ。
「待って、どうして君が僕のギフトを知っているの! 僕は神殿で鑑定すらしてないんだよ!?」
そもそも貧弱な身体のせいか、ギフトの発現がすこぶる遅かった。
ここ数年の話なのだ。
両親などはいまだにギフトを持っていないと思い込んでいる節がある。
アルトは聞かれていないから言っていない。
「そりゃ、一緒に居ればそれくらいはわかるわ」
そしてリリィは声を潜めてアルトの耳に近づいた。
「『炯眼』でしょ?」
別名、真実を見通す目だ。
「ずっと、あなたにぴったりだと思ってたの」
ふふと笑ったリリィに、アルトは眩しさを覚えて思わず目を細めた。
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