第5話 再会

 事件が起きたのはリリィとして過ごして一年を数える頃の事。


「手紙を、手紙を書くから、お前もちゃんと返事を書いてくれよ!? 頼むから危ないことをするんじゃないぞ!」


 リリィを指す言葉は「アンタ」から「君」になって、いまは「お前」である。

 心配性が過ぎて、妹として行く末を真剣に案じている兄のルークもそんな台詞を残して渋々と商売に帰っていった。


 兄がいなくなったことで迷宮探索をやめたリリィの稼ぎもそれ抜きに安定してきた。


 その日の事を後々思い返せば、神に囁かれた神の思し召しだったのかもしれない。


 特にやることもない、空白の日。

 それ自体が珍しいことだというのに、家には面倒を見る弟妹が誰もいなかった。

 やっと出来てきた友人たちもみな仕事の日で、予定は合わない。


 だからだろう、兄がいなくなってからめっきり足の遠のいていた迷宮に、その日なぜか行ってみようと思い立った。


 リリィが兄なしで迷宮に足を踏み入れる時、上層以外には行ったことがない。

 理由は一人では危険だからだ。


 わかっていたのに、リリィは中層に踏み入った。

 今日に限って妖魔の気配が薄く、拾い物をしているだけなのに実入りが異様なほどいい。


 これなら底なしの胃袋を持つ弟妹達に大目に肉を買って帰ることもできるだろう。

 もう少し、もう少し、そして気付けば中層も終盤。


「さすがにこれ以上は……」


 危険だと思う考えは常にあるのに、いっかな帰ろうとは思わなかった。

 それがすでにおかしいのだ。


「胸が、ざわざわする」


 眉根を寄せて考え込んでいたリリィを動かしたのは遠くから聞こえてくる声。

 身構えながら一瞬で退路を確認したのは兄の教えの賜物だったが、すぐに違うと気付く。

 妖魔ではなく、人の声だ。


 しかも笑い声。

 こんな場所で堂々と大声をあげられるのは随分と自信がある証拠だ。


 妖魔より性質が悪い人間はいる。

 直感的に隠れ場所に身を潜ませた。


 そもそもからして人の多い上層はともかく、人が疎らになる中層で女一人が行動するには相当の実力が必要だ。

 こんこんと兄から言い聞かせられていたが、言われなくてもわかっている。

 万が一、一人になってしまった時は人を避けるのが吉。

 すれ違う相手が善性であろうがなかろうが、この行動は理に叶っているのだ。


 そっと隙間から様子を窺う。


 男だけで構成されたパーティーのようだった。

 笑い方はひどく下品で、いやに上機嫌。


「な? 今回はチョロいって言ったろ?」

「まあな」

「それにしても今日は敵との遭遇率悪すぎじゃないか?」

「もしもこの稼ぎがなかったらマイナスどころの騒ぎじゃなかったかもな」


 中層に潜る様な探索者は拾い物ではなく狩りが主になる。

 リリィとは違って、遭遇率が悪ければ収穫もあがったりだ。


 だが、話の断片を繋ぎ合わせると、今日の収穫は最終的にかなりの稼ぎになったらしい。


 最後に大物にでも会えたのだろうか。

 そんな推測をしていると、隠れ場所から男たちの姿がちらりと見えた。


 ……血?


 目を見張る。

 ヒカリゴケに照らされた男たちの体に確かにこびり付いている赤。

 本人たちに怪我をしている様子が見受けられない事が酷くリリィを不安にさせた。


 妖魔の血は青い。

 亜人族は緑で魔物は黒。


 赤い血は、


「世間知らずは楽でいいぜ」


 ――赤い血は、人間だけのものだ。


 不吉な予感に体が震える。

 荒い息が聞こえてしまうのではないかと、自分の口を手で覆った。


「それにしてもトドメはよかったのか?」

「普段なら妖魔に食われるだろうが、なにせ今日はなあ……」

「それでも、放っておけば死ぬだろ」

「そもそも最初から死相がでてたしな。俺たちがやらなくてもどうせ早々にどこかでくたばってたぜ?」

「ちげーねえ」


 彼らが完全に通り過ぎるのを待って、リリィは隠れ場所から這い出し慌てて走り出す。

 彼らがやってきた方向へと。


 ずるりと滑って転んだ。

 一体なにに、と足元を見れば血だまりだ。

 引き摺る様な跡が行く先に続いている。

 ぞっと身を震わせた。


 急げ、急げと心が急く。

 血の跡を追い、転げるように駆けた。


 広間だ。

 中層の分岐路は大抵少しだけ広くなっている。

 それを広間と呼んでいるのだが、


「いた!」


 人だ。

 横壁に寄りかかる様にぐったりとしている。

 血の跡はそこで途切れていた。


「しっかりして!」


 駆け寄るとすでに意識はない。

 が、


「いき、してる」


 今にも止まってしまいそうな虫の息だったが、確かに生きていた。


「しっかりして!」

「う、」


 ほっと息をつく暇もなく、無我夢中で傷を探り手当をする。

 呻く声も今は生きている証拠だ。


「……、……だ、れ?」


 意味を伴った弱々しい声がした。

 思ったよりずっと若い、少年のような声。


「気が付いたのね!?」


 気色ばんだリリィは瞬間、次の言葉に声を失う。


「……アリ、シア?」

「え」


 自分はリリィだ。

 アリシアとリリィが入れ替わったことを知っている人間は限られているし、その少ない人々もリリィと呼ぶ。


 リリィは助けるのに必死で顔も見ていなかった少年を覗き込んだ。

 見覚えのある、青白い顔。

 血を失っただけではない、記憶の中の彼もやはり、いつも不健康なほどに白かった。

 彼の名を呆然と口にする。


「アルト?」

「……あり しあ、うしろ」

「きゃ!」


 振り下ろされた凶器を間一髪で避ける。

 鼓動がうるさく耳を叩く。

 まるで耳の真横に心臓があるようだった。


「ほーらな、俺の勘は当たるんだって」

「よく言うよ。だが随分とかわいいネズミがいたもんだ」

「そいつを助けられちゃ困るんだよ、お嬢ちゃん」


 先ほどの男たちだ。

 引き返してきたのだろう。

 なんてタイミングの悪い。


 ぐっとアルトの体を抱きしめる。

 呂律の回らない舌を必死に動かして、腕の中のアルトが視線を結んだ。


「ぼく は、いい。しぬ、さだめ だ。アリシア、きみは にげ て」

「いやよ!」


 即座に返ってきた強い返しにアルトが少しだけ目を見張る。

 その口が「アリシア?」と疑問をかたどったけど、もう声にもなっていなかった。

 一刻を争う事態だ。


 話す体力もなくなったアルトが、最後の力でぐいと手だけをリリィに押し付ける。

 明らかに意志を持った動き。

 油断なく男たちを牽制しながらその手を視界に入れた。


「これ……」


 思わず驚きに声を失い、アルトに問おうとしたがすでに意識があるのかもわからない。


 仕方なく、きょろきょろとリリィは辺りを見回す。

 中層は兄と何度も来たから大まかな地図を頭の中に描けるくらいには通い慣れていた。


「無駄無駄。お嬢ちゃん、悪あがきはよしな」

「そのを背負って逃げられるとでも?」

「鬼ごっこでもするか? 30秒くらいは猶予をやってもいいぜ」

「うるさい」


 リリィはそっとアルトを寝かせて、男たちから庇うようにその前に立つ。


「なになに、そんな細腕でなにをしようって?」


 にやにやと笑う男たちからは油断しか見えない。

 当然だ。

 油断してたってリリィに勝ち目があるとは思えない。

 せめて本物のリリィのように魔法が使えたらまた別だったろう。


 でも使えない。


 リリィは獣臭い男たちの一人に跳びかかる。


「はは、自棄になった?」


 男の正面。

 捕まえられて終わり。


 ――とはならなかった。


 別に一撃を与えることが目的ではない。

 一人逃げおおせることが目的でもない。


「あ、こいつ! 俺の、」


 攻撃に構えていた男からしたら予想外の行動だった。

 首から下げていた冒険者証を力任せに奪い去る。

 ついでとばかりに、焦った男の腰から構えられてもいなかった血塗られた短剣を抜き取り、一足で飛び退った。

 スリの才能が彼女にはあるかもしれない。


「何を考えてやがる! 優しくしてりゃつけ上がりやがって。それを返しな!」

「これは証拠に貰っておくわ」


 じゃあね。


 リリィはアルトの手に自分の手を重ねてそう告げた。


 世界がぐるりとまわる。

 飴のような質量を持った空気がどろりととぐろを巻いた。


「なんだ!?」

「まさか、魔術!」

「バカな! 道具なんてどこにも!」


 狭い洞窟が伸びて縮んで、波状になって、裏返る。

 男たちはその魔術が引き起こす現象にやっと気付いた。


「転移だ!」

「おい、まずいぞ! 逃がすな!」


 もう遅い。

 一回限りの転移陣が足元に広がり、目の前の景色を消し去る。


 魔具の使用をあっさりと許した男たちが悪いのではない。

 それを持っていると噂されるのは、どこぞの王族だとか皇帝だとか、あるいは成金商人だとか、湯水のように金を使う一流の冒険者だとか。

 冒険者が持っていたとしても、持ち歩けもしない大仰な装置をどう使うのだと馬鹿にされるような類のもの。

 決して町娘が持っていていいものではない希少品であり、探索に持っていけるような物でもない。

 持っているという可能性を念頭に入れていなかった彼らを愚かとは誰も言えないだろう。


 だが、取り逃がした事実は物理的に彼らの首を絞めることになった。


 転移場所は冒険者組合の建物。

 突如現れた血まみれの男女に、冒険者たちでごった返していた建物内は騒然となった。


「組合員に刺された! 疑うなら照会を。でもその前に彼を助けなさい!」


 ぴしゃりと、端的に告げられた状況と要求。


 慌てたのは職員だ。

 血まみれの少年を抱える少女は完璧な証拠を差し出してきた。

 冒険者証と、凶器。


 それは誰が実行犯なのかを確実に示すだろう。

 被害者は貴族章を着けてはいなかったが、身なりから貴族とわかる。

 貴族と冒険者を繋げるのは依頼だ。

 被害者と加害者が依頼主と被雇用者だとした場合、それを仲介したのは組合になる。


 正式に冒険者組合を通して冒険者が派遣されたのなら、こんな結果が齎されてはならないのだ。


「とにかく今すぐ治療を!」


 調べることはあとから出来る。

 だが、死ねば命に取り返しはつかない。


 ここまで啖呵を切っている彼女が言うのだから、わずかなりとも真実はあるだろう。

 もし組合に責任がなかったとしても貴族ならば治療代くらいは出るだろうし、そもそも貴族というのが嘘だとしても、彼女に請求すればいい話だ。


 職員たちは優先順位を間違えずに、すぐさま最善を尽くした。




 口腔に無理矢理流し込まれた液体を嚥下しながら、「ああ、また始まるのか」と、アルトは苦痛を覚悟した。

 いつも通りの、忍耐の時間だ。

 痛い、辛い、苦しい。


 傷付いた内臓が悲鳴を上げながら、限界を超えて働かされる。

 治癒とはいつもアルトに苦痛をもたらすものだった。


 どうして、どうしてどうして。

 いつも、僕は。


 塗りつぶされた負の感情に、無理矢理割り込んでくる声。


「アルト、アルト! 苦しいのはわかってるわ。でも今だけでいいから聞いて。下町の娘、リリィがあなたの家に行くわ。いい、リリィよ? 必ず面会が通るように伝えて」


 アルトは夢うつつで頷く。

 聞き覚えのない名前。


 でも、懐かしい音が体に沁みた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る