7     魔法使いの仕事

 茶菓子を買って路地へと戻ってきたパンジーは、ビオラの家の前に佇む背の高い姿を見て足を止めた。


「魔法使いさん、どうかしたんですか?」


 モナルダはフードを被ったまま、ちらりと顔を上げてパンジーを見た。


「……すまない、ビオラに少し辛い話をしてしまってね、一人にしてほしいそうなんだ。一応こうして様子は窺っているが、今のところは何もないようだから安心しておくれ。もう少ししたら戻るつもりだよ」


 魔法使いの落ち着いた声は、何故か悲しげだった。


「……そう、ですか」


 パンジーはただ一言だけ答え、あとは黙ってモナルダの隣で扉に軽く背を預けた。そんな彼女を、モナルダは不思議そうに窺う。


「何の話をしたか、聞かないのかい」


「察しはつきましたから。病気のこと、ですよね?」


「ああ。それでも、それ以上は聞かないんだね」


「ビオラが話したくないのなら、わたしは聞きません。きっと、話したくないのにはそれなりの理由があると思うから。今回のことは特に、話すだけでも辛いことだと思う……そんなことまで無理させたくないんです。ただでさえ辛い思いをしているんだから、それ以外はせめて嫌なことがないように、できるだけ穏やかに過ごしてもらいたい」


 言葉を選びながら懸命な様子で話すパンジーを、モナルダはじっと見つめていた。そして、ふっと微笑んだ。


「……優しいんだね、パンジーは」


「いいえ。ただ、怖がりなだけですよ」


 パンジーは俯いて弱々しく笑った。


「ビオラを傷付けるのが、ビオラに嫌われるのが怖いから、何も言えないだけなんです。嫌がりそうなことは言わないで、ただビオラが望むなら側にいたいだけ……我が儘だし、卑怯です」


「……そんなに卑屈になることはないんじゃないかい」


 呆れたように肩をすくめ、モナルダはパンジーの頭をぽんと撫でた。


「私は、人を傷付けないのも「優しさ」って言うものなんじゃないかと思うよ。大事な人に嫌われたくないのだって誰でも一緒さ。みんな何かを怖がりながら生きているんだよ。あんたが怖いと思うことは何も特別じゃない、普通のことだ」


 微笑みながら語りかけるモナルダを、パンジーはぽかんとして見上げていた。


「……魔法使いさんにも、怖いことなんてあるんですか」


「当たり前じゃないか。私の周りなんて、怖いものだらけだよ」


 冗談めかして笑う赤い瞳は、優しかった。つられてパンジーの口元もほころぶ。二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。


 その時だった。


 扉の向こうから、どさりと重い音がした。


「ビオラ!?」


 はっとしたパンジーが慌てて家の中へと駆け込む。モナルダもその後を追った。


 居間のテーブルの傍ら、台所との間に、身を縮めて横たわり震えるビオラの姿があった。


「ビオラ! ビオラ、しっかりして! ビオラ!」


「パ、ンジー……だ……いじょ、ぶ……大丈夫、だから……」


 再び薬を飲み、ビオラは少し落ち着いた様子で大きく息を吐く。しかしそのまま立ち上がって椅子に戻ろうとはせず、ぐったりと背をもたせて床に座り込んだままだった。


「ビオラ、大丈夫? 体が辛いなら、少し休んだ方が良いんじゃない?」


「……ええ」


 パンジーの言葉に素直に頷くビオラは、先程よりも見るからに元気がなかった。手を貸すモナルダに半ば寄りかかるようにして、寝室へと向かう。


「二人が戻ってくるからお茶の準備をしなくちゃと思って、立ち上がって……手足に妙に力が入らなくて転んじゃっただけなのよ。でも、そうね、なんだか体が重たい……少し休むから、食事とお茶は台所を自由に使って。ごめんね」


「いいのよ。ビオラの分も用意しておくから、起きて食べられそうだったら声を掛けて」


 甲斐甲斐しく世話を焼くパンジー。こうして見ていると、本当の姉妹のようだ。実際、実の姉妹にも等しい親友同士なのだろうということは、今日会ったばかりのモナルダにも分かった。


 パンジーは、ビオラの家の台所も勝手知ったる様子でてきぱきと食事を用意する。その間ずっと眉間に皺を寄せているのにモナルダは気付いていた。二人で食卓についても、パンジーの表情は固いまま。モナルダは休んでいるビオラを気にしながら小声で問いかけた。


「パンジー、大丈夫かい?」


「大丈夫です……と言いたいところですけど、やっぱり平気ではないですね。辛そうなのを見ているだけでも辛いですし、何より見ているだけではどのくらい悪いのか分からないから心配で。元気そうにしてみせているけど、無理しているんじゃないかしら」


「……」


 モナルダは何とも答えられなかった。彼女は、パンジーの心配が的外れではないことを知っていたからだ。しかし、それを隠そうとしているビオラの思いに反して、パンジーに伝えてしまうことは躊躇われた。


(……人の命に関わるというのは、難儀なものだ)


 長いこと魔法使いとして生活してきて、魔法を求める人々にはそれなりに出会ってきた。幻想を抱き、人には手の届かないような奇跡を求められることもある。生きるか死ぬかの瀬戸際に関わったことも、実際に命が消える場に立ち合ったことも、一度や二度ではない。人ひとりの命がかかれば、周りの人々の思いは様々に渦巻き、揺れ動くことがほとんどだ。その渦を見ることは、ましてや中へと巻き込まれるのは、何度目でも慣れることはなかった。


(まったく、魔法使いになるなんて、お勧めできるもんじゃないよ)


「……宿の予定をしばらく延ばさないとね」


「え?」


「いつもと同じつもりで、一泊しか取っていなくてね。……あんたの望むように「助ける」ことはできないかもしれない。だが、せめて先が見えるまでは付き合おう。もうここまで関わっちまったんだからね」


 肩をすくめて言ったモナルダをパンジーは驚いたように見つめ、顔をぱっと輝かせた。


「あ、ありがとうございます!」


 助けることはできないだろう、ということは既に分かっている。それでも、見捨てることはできなかった。固い絆で結ばれた二人が共に過ごす最後の時間が、幸せであるように支えたい。辛い結末は分かっていてもこう思えたのは、この二人の情にほだされたからだろう。


「そういうわけだから、しばらく頼むよ、パンジー」


「はい! もし魔法使いさんの手伝いが必要だったら、わたし、なんでもやりますから。弟子でも助手でも自由に使ってください!」


 勢い込むパンジーに微笑みかけるモナルダ。二人の食卓は、いつの間にか少し明るい空気にかわっていた。

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