5 病魔の陰
押し付けられた財布を持って出ていくパンジーの後ろ姿を見守る。玄関の扉が閉まった途端、ビオラは顔を曇らせて大きく息を吐いた。
「パンジーには聞かせたくないのかい?」
「……ええ。ちょっと、言いづらくて」
「どうして。友達なんだろう、あんたたちは」
「そうだけど……」
首を傾げるモナルダに、ビオラはきゅっと唇を噛んだ。
「友達だからこそ、仲が良いからこそ言いづらいっていうのかな。パンジーとは子供の頃からずっと一緒にいて、家族みたいなものなの。きっと知ったらものすごく心配して、あたし自身以上に傷付いて……そんな
「……そうかい」
モナルダはそれだけ言って目を伏せた。ビオラの言い分も理解はできるが、賛成はできない。傷付けたくないからと隠すのは、それが不用意に明るみに出たときの傷を余計に深くするだけだ。だが、そんなことはビオラにも分かっているに違いない。だから、敢えて言わなかった。代わりに、呟くように言った。
「だけど、あの子ももう薄々感付いているんじゃないのかい」
「……そうでしょうね、あなたをここに連れてきたくらいだし」
ビオラは小さく溜め息をつき、おどけたような顔をして肩をすくめてみせた。
「パンジーは頭の良い子だもの。あたしがちょっとくらい誤魔化したって無駄なのは分かってるわ。……それでも、知らない振りをしてくれている。そういう子なの、昔から」
本当に困っちゃうのよね、と笑うビオラは懐かしむように微笑む。その笑顔はとても楽しそうで、同時に少し寂しそうにも見えた。
「あの子……パンジーは、とっても良い子なの。昔からしっかり者で、面倒見が良くて、おっちょこちょいなあたしはパンジーにいつも迷惑かけてた。同い年なのにね。どんなことがあっても、あの子は一度だってあたしに愛想尽かしたことない、それくらい優しい子なの。その優しさに甘えちゃいけないって分かってるのに……今回も、つい甘えちゃったみたい」
そっと目を伏せるビオラの頬を、一筋のしずくが伝った。
モナルダは少しばかり戸惑っていた。魔法使いに持ち込まれる頼み事や相談事は、いつも多かれ少なかれその人生や過去に関わる話だ。魔法の助けを借りたい大きな悩みと、その人自身とを切り離すことはできない。しかし、今回はさらに個人的な……他人が入り込んで良いものかどうか躊躇われる感じがした。
「パンジーからも少しは話を聞いているけど、あんたからも詳しく事情を聞いても良いかい?」
「ええ、もちろん。でも手短にお願い。パンジーが帰ってくるまでにね」
しっかりと頷くビオラに、モナルダも心を決めた。
「じゃあ、早速。さっきの急な痛み……見たところ、あれ、心ノ臓だろう?」
「……たぶんね。胸のこのあたりの奥、体のまん中くらいが、時々あんな風にぎゅっと痛むの。最初は痛みではなくて、もやもやするような変な感じがしただけだったのだけれど、だんだん強く痛むようになって、それも頻繁になってきた。おまけに守り石の光りもだんだんと弱くなってきて……少し前、お医者様にも行ったけれど、痛み止めの薬をもらっただけで、あとはゆっくり休んで養生しなさいって言われたわ」
ビオラは苦々しい様子で、また重い溜め息を吐いた。
「それで分かったの、これは治せないんだって。何の病なのかも教えてもらえなかったけど、治らない病。それに、もう先も長くない。魔法使いさんにも、分かってるんじゃない? さっきの薬ありがとう、とてもよく効いたみたい」
「あれはただの痛み止めだよ。効きは強いが、一時のものさ。それに、私は病に詳しいわけじゃない」
「それでもいいの。少しでもいい、この体のことをちゃんと知っておきたい。知ったところでどうにもならないとしても、それでいい。治らないことは分かっているんだから、もっと悪くはなりようがないでしょ? だから、お願い、隠さず教えて」
ビオラの亜麻色の瞳は、まっすぐにモナルダの赤い瞳を見つめていた。その真剣さに答えなくてはならないとモナルダは思った。これはたとえモナルダが魔法使いではなかったとしても、人と人との思いとして、真剣さには真剣に答えるべきだと思うからだ。
「医者じゃない私の見立てだ、合っているとは限らない。間違っているかもしれない」
「構わないわ」
「医者じゃないが、病に苦しむ人たちは何度か見てきた。あんたの様子に似たのも、見たことがある」
「本当?」
「ビオラ、『魂喰い虫』って知っているかい」
魔法使いの言葉に、彼女は曖昧に頷いた。
「聞いたことだけはあるわ。でも、詳しくは……ただ、死に至る重い病だ、とだけ。どんな病なの?」
「まだ、分からないことが多い病だ。目に見えぬ虫が人の胸や腹の中に巣食い、命を……魂を食い荒らしていくそうだ。痛みが激しくなると、だんだんに痛み止めも効きにくくなる。何故、どうやって虫が人の体に巣食うのか、どうすれば虫を退治できるのか……分からないから、痛み止め以外の薬もない」
「命を、食い荒らす……」
モナルダの言葉に、ビオラもさすがにどう返して良いか分からなかったのだろう。口を閉ざし、蒼白な顔でうつむいて、長いこと考え込んでいた。
自分が重い病であること、治らないことはもう分かっていると思っていた。それでも、それを改めて外からはっきりと告げられたことの衝撃は、小さいものではなかったはずだ。
「……あたしは」
暫しの間のあと、ビオラがかすれた声で呟いた。
「あたしは、あとどれくらい生きられる?」
「短くて春まで。長ければ、夏を越えることができるかもしれない」
モナルダの言葉に、答えはなかった。ビオラは嘆くこともなく、怒りを露にすることもなく、ただ静かに考え込んでいた。
「……大丈夫かい?」
「……ええ、そうね。ただ、ちょっと、色々整理しなくちゃ」
うつむいたまま答えたビオラの頭をぽんと撫でて、モナルダは立ち上がってフードを被った。
「すまない、ちょっと用事を思い出したんで、出てくる。帰りにパンジーと行き合うだろうから、一緒に戻ってくるよ。戻ったらみんなでお茶にしよう」
モナルダのあたたかい手にすっぽり入るほどのビオラの頭。その表情はモナルダからは見えなかった。
玄関の扉が閉まると、ビオラの口からはまたため息がこぼれる。それと同時に、頬を幾筋ものしずくが次から次へと伝っていった。
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