4     亜麻色の瞳

 ノックの音に、扉の向こうから明るい女性の声が答えるのが聞こえた。


「ビオラ、わたしよ。食材を買ってきたよ。あと、一人、わたしの知り合いが一緒なんだけど……入っていい?」


 パンジーが声をかけると、一瞬の間をおいて扉が細く開く。その隙間から亜麻色の瞳が覗いた。


「パンジーの知り合い?」


 モナルダはフードを深くかぶったまま軽く頭を下げる。それを興味津々で見つめる綺麗な瞳は、病に冒されているとは思えないほど明るく、澄んでいた。部屋の主はにこやかに親友と突然の訪問者を招き入れる。


「もちろんどうぞ、入って入って。狭いし何のお構いもできないけど」


「……お言葉に甘えて、邪魔するよ」


 モナルダはこぢんまりとした居間に足を踏み入れる。いつもの森の一軒家に慣れているのに加え、モナルダが長身である為もあるだろうが、三人で動くと少々窮屈に感じるほどの部屋。しかし、一人で生活するには充分だと言えるだろう。物は多いが雑多な印象はなく、清潔に整えられている。置かれている家具や飾りものは色合いも華やかで可愛らしいものが多く、持ち主の趣味をよく表していた。


 ビオラは細身で小柄な女性だった。頬がやや痩せてはいるが、髪も身なりも小綺麗にしていて、襟元にさりげない刺繍の入った服がかわいらしい。パンジーに言われていなければ病人とはとても思えなかっただろう。モナルダに席をすすめ、買い物袋を台所に置いたパンジーも引っ張って座らせてから、彼女はいきなり核心に切り込んだ。


「で、あなたはどなた? この町にパンジーの長い知り合いなんていないし、パンジーが会ったばかりの人に心を許して家に招くのなんて初めてよ。部屋に入ってもフードをかぶったままだし……もしかして、何か訳ありなのかしら?」


「ビオラってば」


 慌てるパンジーを軽く制し、モナルダは笑って口を開いた。


「訳ありといえばそうだね。顔を見せられない事情があるって言うのではないんだけど、私は人と違った見た目をしているものだから……でも、あんたは物怖じしなさそうだね」


「あら、あたし、これでもこの町で働いて長いのよ。宿場には色々な人が来るもの、大抵の人間は怖くないわ」


「それは頼もしい」


 モナルダは微笑み、思い切ってフードをはね除けた。亜麻色の大きな瞳が真ん丸く見開かれる。大きく息を呑んだその唇から次にこぼれたのは、恐怖の言葉ではなかった。


「……すごいわ!」


「え?」


「この町には色々な人が来るけど、目と髪と両方ともこんなに真っ赤な人なんて初めて会ったわ。確かに町中でこれは目立って騒ぎになることもあるでしょう、だから隠していたのね」


 興奮した様子でまくし立てるビオラ。その表情も口調も、強がっている様子はまったくなく、本心をそのままに表へ出しているように見えた。好奇心に瞳を輝かせる彼女は幼い少女のようですらあった。


「あんたは、この色が怖くはないのかい?」


「すごくびっくりしたけど、怖くはないわ。人と色が違うことは、誰かやあたしを傷付けることではないもの」


 昨日森の中でパンジーが言った「わたしの友達なら強い子だから」という言葉と、今目の前にいるビオラの勝ち気な微笑みが、モナルダの中でぴたりと重なった。ただ強いのではない。彼女は、何よりも自分の見たものや思いを信じ、人の考えや世の中に流されない芯を持っていた。


「改めて、あたしはビオラ。よろしくね、素敵な赤いお客様」


 ビオラが差し出す手を、モナルダはふんわりと握った。か細い白い手は柔らかく、まるで冬の外気に晒されていたかのように冷えていた。


「モナルダだ。人には魔法使いと呼ばれている」


「魔法使い? ますます素敵。魔法使いと会うの初めてなの。色々聞いてしまってもいい?」


 屈託のない彼女の笑顔は眩しくて、モナルダは目を細めた。


「構わないよ」


「ありがとう! ふふ、何から聞こうかしら。じゃあね……」


 勢い込んだ彼女の言葉が、不意に詰まって途切れた。か細い右手が咄嗟に胸元を強く握り、激しい苦痛に耐えているように表情を歪める。パンジーが慌てて立ち上がり、友人の傍らに駆け寄った。


「ビオラ! ビオラどうしたの、どこか痛むの?」


「だ……いじょ、ぶ……大丈夫……」


(これは……!)


 モナルダはさっと腰の物入れを探り、奥から指先ほどの小さな紙の包みを引っ張り出した。包みを開けながら、テーブルを回り込んでビオラの震える肩をぐっと支える。


「魔法使いさん……!」


「パンジー、慌てないで。あんたがしっかりしておくれ。水を一杯貰えるかい」


「は、はい!」


 パンジーは涙目のまま頷き、ばたばたと台所へ駆けていく。唇を引き結んで堪えるビオラの顔を覗き込んで、モナルダは彼女の冷たい手を取り、開けた包みを握らせた。


「口を開けて、飲めるかい? ゆっくりで良いよ、落ち着いて……ちょっと苦いけど辛抱しておくれ。そうそう、大丈夫だよ」


 震える細い手を支えて、包みの中身を彼女の口の中に落とし、パンジーから受け取った水をゆっくりと飲ませる。声をかけ続けながら痩せた肩を撫でる魔法使いを、パンジーは泣きそうな表情で見つめていた。


「大丈夫だよ、大丈夫……落ち着いたかい?」


「……ええ。ありがとう」


 肩を上下させるビオラの青ざめた顔を、魔法使いはじっと見つめる。その赤い目が言わんとしていることが伝わったのだろう、ビオラは唇をぎゅっと引き結んで俯き、やがて心を決めた様子で顔を上げた。


「ねえ魔法使いさん、お昼はもう食べた?」


「あ、ああ。ついさっきね」


「あたしたちはこれからなの。ねえ、良かったら、お茶だけでも付き合ってもらえない? あたしがご馳走するから。そうそう、すぐそこの表通りのお店のお菓子がとっても美味しいのよ。パンジー、行ったり来たりで悪いけど、ちょっと買ってきてもらえないかしら。ね、魔法使いさん、いいでしょう?」


 パンジーには、明るい作り笑顔で自分の顔を見上げるビオラの真意は分かったに違いない。一瞬、反論しようと口を開きかけて閉じ、暫く躊躇った後、不承不承ゆっくり頷いた。


「……分かったわ」


「ありがとう、パンジー」


 押し付けられた財布を持って出ていくパンジーの後ろ姿を見守る。玄関の扉が閉まった途端、ビオラは顔を曇らせて大きく息を吐いた。

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