Epilogue  新たな世界

「はああぁぁぁぁ……」


 秋晴れの空が続き、収穫の良かった村は活気づいている。そんな中で、ダリアは一人憂鬱だった。


 モナルダの魔法で追い出されるように森から出て、座り込んでいるところを村人に発見された。そして家に戻ったダリアは案の定、実の兄と姉に加えて兄の妻と姉の夫、伯母、それから顔なじみの村人たちも総出で、こっぴどく叱られた。母の弔いで皆集まっていたこともあって、娘が消えたと村中大騒ぎだったらしい。人攫いが出たんだとか、母親の後を追ったのではないかとか、ものすごい心配をかけたんだぞと長々と説教を食らった。そこで問い詰められて、正直に森に行っていたなんて言ってしまったものだから、本当に死ぬ気だったのではと誤解されてしまったのも無理はないことだった。


 でも、そんな事より、ダリアの胸は魔法使いへの思いでいっぱいだった。説教もろくに耳に入らなかった。村へ戻ってから何日も、気付けば森の方を眺めていることが多くなった。


「あんたはいい子だ。だからこそ、ここには置けない。一時の迷いで、こっち側に来るもんじゃないよ。ダリア、もうお家へお帰り。あんたの住む世界へ」


 耳の中ではモナルダの言葉が何度も繰り返している。あの時のモナルダの顔が、突き放す言葉の中でも優しい、そして寂しそうな顔が、瞼に焼き付いて離れない。


「私の住む世界……」


 以前のように畑仕事を手伝っていても、気付けばそのことを考えてしまって、ちっとも身が入らなかった。


「ダリア、どうしたんだい。そんなにぼんやりして」


「お姉ちゃん……」


 心配して声をかけてくれた姉にも、ダリアは何も言えず俯いてしまった。


「よければ、話してみてくれないかい?」


 姉は優しく言って、ダリアの隣にそっと腰を下ろした。


「……ごめんなさい」


「やだね、もう怒ってないよ。心配しただけ。森へ行ったんだって、あんたなりに何か考えがあってのことだったんだろう?」


 言われて、ダリアは顔を上げて姉を見た。姉は妹と同じ鳶色の目を優しく細めて、包み込むようにダリアを見つめる。


「お姉ちゃんには分かってるよ、あんたがそんな馬鹿なことしないって。よかったら、森で何があったのか教えてくれないかい?」


 ダリアは少し躊躇って、ぽつりぽつりと話し始めた。壊れた石をどうにかしてもらうため、森に住むと言う魔法使いを探しに行ったこと。赤い魔法使いが助けて、道標をくれたこと。魂の世界で、自分の石を自分で探したこと。そして、助けてくれた魔法使いはとても素敵で、自分もあんな人になりたいと思ったこと。


 姉は、ダリアの話を否定もせずに黙って聞いてくれた。


「ねえお姉ちゃん、私が魔法使いになりたいって言ったら、どうする?」


「どうするって……」


「私、あんな人になりたい。魔法使いさんにはああ言われたし、魔法使いになるのは無理だって分かってるけど……私でも、誰かを助けられるような人になれるかな」


 自分でも気づかぬ間に、ダリアの目には涙が浮かんでいた。姉は、そんな妹をじっと見つめたまま、ただ黙ってその頭を撫でた。


 それから数日が経ったある日。家の台所で、ダリアは唐突に姉に呼び止められた。


「ダリア。あんた、あの魔法使いに魅入られちまったんじゃないのかい」


「え?」


 魅入られた、という言葉の意味することがよく分からなくて、ダリアは戸惑いの声を上げた。不自然に少し大きな声で、姉は続ける。


「あの森に行った後、あんたは変だよ。あんなに働き者で明るかったあんたが、始終ぼーっとして……。兄さんや義姉さんとも話したんだけど、あんたは、魔法使いに呪われちまったんじゃないかって」


「そんな! モナさんはそんなことしない! 優しい人だったもの」


 ダリアは強い衝撃を受けて、思わず叫んだ。信じられない。いつも陰口など言ったことがない優しい姉が、会ったこともない人相手にこんなことを言うなんて。一体、どうしてしまったというのだろう。


 でも姉は、ダリアの抗議など耳に入っていないようだった。


「とにかく、呪われた子なんか下手に嫁に出すわけにもいかない。この家で養っていくというのも……義姉さんにもうすぐ子供が生まれるし、厳しくなるだろう。呪われた子を養ってるなんて周りに知れたら、あんたも兄さんたち夫婦も生きづらくなる」


「私は呪われてなんか」


「だからダリア、家を出なさい」


 強い口調で突き放した姉の目に涙が浮かんでいるのが見えて、ダリアはハッとして何も言えなくなった。


「この村を出て、森へでもどこへでも行っちまいな。あたしは、石をなくして呪われた妹を森に追いやったひどい姉で結構。かわいそうなあんたは、きっと良い魔法使いが助けてくれるよ」


「お姉ちゃん……」


 ダリアは、家を飛び出した。着の身着のままで、荷物ひとつ持たず、灯りも持たずに森へと入っていった。


 家が見えなくなる前に、一度だけ振り向いた。


「ありがとう。さよなら」




 かさり、かさり。一歩進むごとに、足の下で落ち葉が鳴る。


 この音を聞きながら、もうどれくらい歩いただろう。見渡す限り緑、そして茶色。その二色の中にただ一つ、陽光の欠片のような金色が揺れていた。


 ダリアは真っ直ぐに前だけを見つめて、森の中を歩いた。その足取りに迷いはない。目指す場所をしっかりと目指して、歩みを止めることなく進み続けた。頭上を羽音が通りすぎ、彼女は空を見上げた。青い小鳥が、まるで彼女を導くように、少し先の木の枝に止まっていた。


 森を満たす緑と土の匂いの中、誰かが火を焚いている香ばしい匂いがした。思わず足が早まる。木立の向こうには灯りも見える。並木がふっつりと途切れ、視界が開けた。空が見える。


 森の中にぽっかり空いた草地の真ん中に、小さな家がぽつんと建っていた。その前にいた黒髪の子供が、こちらに気づいて三つ編みを揺らして駆けてくる。苦笑する魔法使いの傍らで、大きな茶色い犬まで笑っているようだった。


「ダリア!」


 チコリに手を引かれて、ダリアは走った。赤い魔法使いの前まで駆け寄って、彼女は笑顔で言った。


「私、家を追い出されちゃいました。ここに置いてください、モナさん!」


「……まったく、しょうがない娘さんだねえ」


 魔法使いは呆れたように笑いながら、ダリアの手を取った。細くしなやかでたくましく、さらりと乾いた、あたたかい手だった。


「丁度お茶の時間だ。あんたを魔法使いのお茶会に招待しよう」

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