番外編 初めて出会ったあの日

 学園生活って、もっとキラキラしていると思っていた。


 少女マンガを読んで憧れていたのに。


「ねえ、見て。橘さんよ」


「うわ、本当だ。こわ」


「何かいつも不機嫌そうだよね~」


 ヒソヒソとした話し声が聞こえて来る。


 けれども、何も言うことが出来ずに、一人で廊下を歩いて行く。


「橘はなぁ、顔立ちはよく見ると可愛いんだけどな」


「だなぁ。乳もデケーし」


「ただ、ヤンキーなのがなぁ」


 もう、違うのに。


 あたしは、あたしは……


 この胸の内をさらけ出したいけど、人見知りな性格が災いしてどうしても出来ない。


 金色の髪も、青い瞳も、みんなイギリス人のパパから受け継いだもの。


 あと、胸の大きさも、その血だ。


 けど、誰にもそんな話はできない。




      ◇




 また、朝寝坊をしてしまった。


 あたしの高校入学と同じタイミングで、パパが故郷のイギリスに長期出張することになったのだ。


 けど、あたしは一人で日本に残ることにした。


 ハーフだけど、ほとんど英語は話せないから。


 日本の方が落ち着くし。


「じゃあ、遥花。がんばれよ」


 パパはそう言って、ママと一緒にイギリスに発った。


 自分で選んだ道だけど、不安でいっぱいだった。


 この1年間、慣れない一人暮らしをして来たけど、未だに慣れない。


 家事はちゃんとこなして、料理の腕前も上がったけど。


 疲れちゃって、よく寝坊しちゃう。


 それがまた、あたしがヤンキーだというデマに拍車をかけるんだ。


 ガラララ!


 慌てていたので、強めに教室の扉を開いてしまう。


 案の定、クラスのみんなの冷たい視線が突き刺さる。


 2年生になって進級しても、何も状況は変わらない……


「……遅れました」


 本当はもっとちゃんと謝りたいけど、声が震えてしまいそうで、言えない。


「あ、ああ。橘の席は……あそこだ」


 先生に指を差された席に向かう途中も、クラスメイトの冷たい視線が刺さって胸が痛い。


 どうせ、あたしの隣に座る人はアンラッキーだって、みんな思っているんでしょ?


「……え、目が青い?」


 その男子は、開口一番にそう言った。


 何よ、悪い?


 ていうか、胸を見るな。


 あたしはつい、隣の席になった彼を鋭く睨む。


 彼は怯えたように身を引いた。


 ふん、バッカみたい。


「よし、じゃあ気を取り直して朝のHRをしよう」


 もう、何もかも嫌だった。




      ◇




 ヤバい、教科書を忘れた。


「えー、それでこの数式は……」


 あたし、こう見えても成績は優秀な方なのだ。


 だから、きちんと授業を受けたいのに……どうしよう。


 ふと隣の席に目をやると、黒田幸雄とか言うその男子がチラチラと見ていた。


 ウザいんですけど。


 あたしはまた睨みを利かせる。


 彼はビクリとした。


「……何?」


 つい、声を出してしまう。


 本当は、隣の席の人とは仲良くしたいのだけど。


 今のあたしはもう、心が荒んでいて……


「……いや、その……良かったら、教科書を見せてあげようかな~、なんて……」


 えっ?


 何かヘラヘラしながら言っているけど……


「……マジで?」


 あたしはつい驚いて言ってしまう。


「え? あ、うん」


 彼は頷く。


 私は彼のことをじっと見つめた。


 それから、おもむろに机を彼のそれに寄せた。


 コツ、と音を鳴らす。


「……サンキュ」


 本当はもっとちゃんとお礼が言いたかったけど、やっぱり恥ずかしいので無理だった。


「へっ? いや、まあ……どうも」


 何よ、その反応。


 ちょっと面白いかも。


 ていうか、やっぱり胸を見ているし……


「どうしたの?」


「いや、何でもありません」


 また間抜けな反応。


 けど、少しばかり可愛いと思ってしまった。




      ◇




 そして、昼休みを迎える。


 あたしは一度、気を落ち着けるためにトイレに行っていた。


「……やっぱり、ちゃんとお礼を言おう」


 鏡に映る自分の顔は、やっぱりちょっとキツい。


 だから、頑張って笑顔を作るように練習しようと思ったけど、他の女子が来て無理だった。


 慌てて教室に向かう。


 黒田幸雄はまだそこに居た。


「とりあえず、メシ行くか。あ、弁当派か?」


「いや、購買に行こうかな……」


 彼は友人とそんなやり取りをしている。


 声をかけるんだ。


 勇気を出して、『黒田くん、ちょっと良い?』って感じで……


「おい」


 自分でも驚くくらい、低い声が出てしまった。


 案の定、彼はとても驚いた顔をしている。


 ていうか、軽く怯えているような。


「な、何でしょうか?」


 敬語とか、傷付くよ~。


「ちょっと面貸してくれよ」


 何よ、コレ。


 本当にヤンキーみたいじゃない。


 あたしは内心で半べそをかいていた。


「いや、でも秀彦とメシに……」


 だよね、そうなるよね。


 一瞬、あたしは引き下がろうとするけど、なぜか胸の奥が疼いた。


「嫌なのか?」


 もう、またそんな怖い言い方をしちゃダメ、あたし!


「い、嫌と言いますか……」


 ほら、すっかり怯えちゃっているじゃない。


 もう、あたしって、本当にバカ……


 半ばあきらめかけた時。


「おい、幸雄。この際、言うことを聞いた方が身のためだぞ」


 黒田くんの友人の……藤堂くんだったかな?


 彼がそんなフォローをしてくれる。


 その内容はちょっとムッだけど、ありがたいフォローだった。


「ひ、秀彦。助けてくれ」


 ちょっと、何よ。


「すまん、無理だ」


 ひ、ひどい~。


「おい、黒田……だっけ? 早く来いよ」


 とうとう焦れたあたしはそう言ってしまう。


「……はい、分かりました」


 黒田くんはガックリとうなだれてしまう。


 ごめんなさい、ごめんなさい。


 あたしは恥ずかしくて、すぐに教室を出るために、踵を返した。


 あたしの後ろに黒田くんが付いて来てくれる。


「可哀想にあいつ」


「舎弟にされたな」


「学校生活終了だな」


 何よ、何よ、みんなして~。


 もう、バカ。


 何より、あたしがバカだ……




      ◇




 屋上で空気を吸えば少しは気分も晴れると思ったけど、そんなことは無かった。


 相変わらず、彼は怯えているし。


 けど、何か言わなくちゃ……


「ここなら誰もいない、二人きりだな」


 だから、何でこんなヤンキーみたいなセリフを吐いちゃうの!?


「あ、うん。けど、二人きりで何をするつもりなのかな?」


 ほら、黒田くんやっぱり怯えているし。


 えっと、とりあえず、腰を落ち着けて話さないと……


「お、あそこにベンチがあるな。黒田も来いよ」


「あ、はい」


「よし、座れ」


「はい」


 って、何で本当に黒田くんを舎弟みたいに扱っているのよ~!


 とりあえず、あたしは黒田くんの隣に腰を下ろす。


 何か、緊張しちゃうな……


「黒田」


「は、はい」


 言わなくちゃ……けど、伝わるかな、この気持ち。


 やっぱり、怖い。逃げたい。


 けど……


「さっきは授業で教科書を見せてくれてありがとう。これはお礼だ」


「すみません! すみません! どうか命だけは勘弁を……って、え?」


 あたしはお弁当を出しただけなのに、黒田くんはそんなことを言った。


 まあ、仕方ないか。これまでのあたしの態度じゃね。


 ショックだよ~。


「えっと、それは……?」


 あたしは改めて『お弁当だよ♡』と言うのが恥ずかしくて、無言のまま包みをほどき、パカっと蓋を開ける。


「……お弁当?」


 やっと気づいてくれた。


 遅いぞ、もう。


「うん。さっき、購買に行くって聞いたから。だったら、もっと栄養のある物を食べなよ」


「ちなみに、これは……橘さんのお母さんが作ったのかな?」


 あたしは少しだけムッとしてしまう。


「いや、あたしだよ。両親は海外に居て、一人暮らしだから」


「え、本当に?」


「ああ」


「ちなみに、もう一つだけ突っ込んだ質問をしても良い?」


「もしかして、この目のことか?」


「う、うん」


「カラコンじゃないよ。ちゃんと自前。この髪の色もな」


「え、それって、もしかして……」


 目を丸くする彼に対して、あたしは小さく息を吸って言う。


「そう。あたしはハーフなんだ。父親がイギリス人で、母親が日本人だから、あたしの正式名称は橘・メアリー・遥花だよ」


 やっと、初めてあたしの本当のことを言えた。


 彼が、黒田くんがその初めての人……


 そう思うと、何だか自然と笑っていた。


「……ごめん。みんなが学年一怖いヤンキーだって騒いでいたから、てっきり……」


 やっぱり、そうか。


「まあ、無理もないよ。あたしはこんな見た目だし。先生は事情を知ってくれているから良いけど。あたしって、人見知りというか、口下手だからさ」


 あたしは苦笑しながら言う。


「……何か、ごめんね。勝手に勘違いして、失礼なことを言って」


 やだ、こんな風に素直に謝ってくれるなんて……不覚にも、キュンとしてしまう。


「ううん、全然気にしていないよ。むしろ、嬉しかった。教科書を見せてくれるって言って。みんなあたしに怯えて、そんなこと絶対に言わないから……」


 やっと、伝えたい気持ちを言えた……


「橘さん……」


 彼もまた、どこか噛み締めるような顔をしている。


 そんな彼のことが、何だかいじらしくて……


「あ、それから。あたしの胸チラ見していたよね?」


 つい、そんなことを言ってしまう。


「ご、ごめんなさい」


 また素直に謝っちゃって。


 何か、可愛いなぁ。


「あはは、別に怒ってあないよ。実際、大きいもんね。お父さんの血に感謝だ」


 尚もいじらしくあたしを見つめる彼を見て、もっとサービスをしたくなってしまう。


 あたしは胸を持ち上げながら、


「何なら、触ってみる?」


 そう言うと、


「え? いやいや、そんな恐れ多いから」


 予想通り、また可愛い反応が返って来る。


「くす、幸雄って面白いね。あ、ごめん。勝手に名前で呼んじゃった」


「あ、良いよ。ていうか、僕の名前を知っているんだ」


「黒板に書いてあったから」


「あ、そっか」


「じゃあ、あたしのことも、遥花って呼んで良いよ」


 少しドキドキしながらそう言った。


「え、何か照れ臭いな」


 もう、可愛い。


「じゃあ、二人きりの時だけで良いから」


 あたしはまた、自然と笑って言う。


「……は、遥花」


 その瞬間、今までの人生で初めてと思うくらい、胸が高鳴った。


 キュンキュン、と大きな胸の奥底が疼いて仕方がない。


 だから……


「ありがと」


 思わず、ちゅっとキスをしてしまう。


 さすがに、唇は恥ずかしいから、ほっぺにだけど。


「えっ……あっ……そ、そっか。これは海外だとあいさつみたいなものだよね」


 バーカ。


 あたしは日本生まれの日本育ちなの。


「ここは日本だよ?」


「えっと、それは……」


 ヤバイ、目の前の彼が可愛くてたまらない……


「あたしって、結構単純な女だから。もう幸雄のこと好きになっちゃったかも」


 これは今までのような冗談交じりではなく、割と本気だった。


「え、えぇ……」


 何よ、そんな風に困った反応をしちゃって。


「だから、付き合っちゃおうか?」


 金髪・碧眼・巨乳。


 こんな彼女はなかなか居ないぞ?


 でも、幸雄ってば何か黙りこくっちゃって……もしかして盛り上がっていたのは、あたしだけなのかな?


「やっぱり、あたしみたいな女は嫌かな?」


 あたしはシュンとしてしまう。


「いや、ぜひともお付き合いをしてもらいたい……けど、自信が持てなくて。僕と遥花じゃ、あまりにも差があり過ぎるから……」


 え、本当に……?


「そんなの気にしなくても良いのに。幸雄だって十分魅力的な男子だよ?」


 これは本心だ。心の底からの。


「ハハ、そんなこと言ってくれたのは君が初めてだよ」


 あたしだって、初めてだったよ。


「……じゃあ、こうしよう。しばらく一緒に過ごして、幸雄が納得したら、あたしを彼女にして?」


 どうしても彼とお付き合いをしたいから、そんな少し無茶な提案をしてしまう。


 もし、しつこくて嫌な女だと思われたらと、不安だったけど……


「え、でも……」


 お願い……


「もちろん、その間に他に好きな子が出来たら、あたしのことを振ってくれても良いから」


 本当はそんなの絶対に嫌だけど。


「そんな身勝手なことは出来ないよ。遥花こそ、それだけ魅力的なことを知ってもらえたら、僕よりもずっと魅力的な男子と付き合えるよ」


 やだ、もう……好き。


 大好き。


 今日まともに話したばかりの彼のことを、もうたまらく愛おしく思ってしまう。


 けど、同時に少しだけ怒ってしまう。


 あなたはもっと、自分に自信をもつべきよ。


「あたしにとって、一番魅力的な男子は、今目の前にいる君だよ?」


 すごく恥ずかしいから、怒ったように頬を膨らませたままそう言った。


 目の前の幸雄は口をパクパクとさせている。


 やだもう、可愛い。


 たまらず、あたしはその唇に指を置いた。


 そして、自分の唇にも指を添える。


「いつか、この唇同士で結ばれたら、嬉しいな」


 きゃー! 言っちゃった、すごく恥ずかしいセリフを言っちゃったぁ!


 あたし、顔とか真っ赤じゃないかな?


 大丈夫かな?


「あ、幸雄」


「な、何?」


「早く弁当を食べないと」


 あたしは誤魔化すようにそう言った。


「そ、そうだね」


 けど、もう少しだけ、恥ずかしくても、彼をからかいたい。


「あーん、してあげようか?」


「いや、結構です」


 即答とか、もう!


「遠慮するなって♡」


 だから、笑顔でしつこく迫っちゃう。


 その後、結局、優しい彼はあたしに人生で初めての『はい、あーん』を体験させてくれた。


 これがあたしの初体験だ。







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