第81話 本当に、命ってなんだろね


 灯る火が僅かだけの歪んだ暗黒。

 空気の淀み。尻を付ける石床の冷たさと、ぬめり具合。

 地下の洞窟である事は間違いなかった。

 エニーの直感通り、ここはジャバウォックが占拠した洞窟である。

 

「……私は」


 自由だったのは、焦点が定まらぬ眼だけだった。

 感知できるのは、松明の灯り。僅かな灯の中に佇む警備の人間。

 パチパチ、と火の粉が爆ぜる音だけが淋しく鳴り続ける。

 

「私……は」


 再度言いかけて、エニーは“そもそも私たる資格が無い事”を思い出した。

 

 いっぱい、思い出す。

 兵士達の怒号を聞いた直後、体内から沸き上がった緋色の破壊を思い出す。

 改造魔物キメラに、天使に成り果てた自分の鏡像を思い出す。

 姉同然の女性の返り血でいっぱいの掌を、思い出す――。

 

「わ、た……しは……」


「――私は中身が無い無い! 産声上げたことも無い無い! 描かれ創られ象られたからくり! 哀しい寂しい何故自分だけ!?」


 素っ頓狂なリズムの歌声が聞こえた。

 檻のこちら側で、妙な文字の仮面を被ったシルクハットの男が躍っていた。

 檻を掴んで垂直に体を伸ばし、上下をしていた。重力をどう見ても無視している。

 

「だ、誰?」


「俺っち名無しの権兵衛! これって噺の根源!? 俺は見た目通りモブ以下の黒子! 惚れたら駄目駄目、えっどーしてだって俺は“へのへのもへじ”! OK?」


 珍妙な空気に唖然とするエニー。

 だが何より珍妙だったのは、警備の人間だ。

 抱腹絶倒して、笑いこけてしまっている。

 

 妖しく光る笑い声が、逆にエニーの嫌悪感を逆撫でにしていた。

 勿論――“へのへのもへじ”という未知の単語が迫る様も。

 とん、とん、とんと再び刻むステップも。

 

「Yeah……どしたのんエニーちん? 辛い辛い生理きちった? 彼氏にでも振られた? 涙が並々! 美貌が台無し! お肌が張りなし!」


「……」


「でもやっぱ笑う門には福来る、笑う顔にも福来る? 見せてよ慈愛のスマイルにアイドルタイム! Hey!」


 エニーは無言を貫くしかなかった。

 生憎、目の前でカポエラダンスをし始めた奇異極まりない異質に反応する体力も持ち合わせていなかった。

 一体全体、自分がどうなったかもわからない。もしかしたらただの幻覚かもしれない。

 

 

「いやぁ、でも人間の力ってすげー。絆の力、定番いつもの宝! 感情を持たなかった筈のNo.Tナンバーティー“Any”が、こーんな感情豊かになっちゃうんだからねぇ」



「えっ」

 

 見上げながら、脳内の片隅の片隅にあった一つの声が、爆音を奏でる。

 『No.Tナンバーティー“Any”』――ずっと、そう呼ばれた記憶もまた、昨日揺さぶり起こされていた。

 

「私の……本当の、番号を……なんで、知ってるんですか……」


「俺の事は思い出さない悲しいなマンマミーア。794プロジェクトの頃から僕は“へのへのもへじ”だったんよ? ま、黒子故に君には会った事ないんだけど、ねー? 成功体の、“天使”ちゃん?」


 自分を創り上げたとされる禁断にして秘中の業。

 794プロジェクト。

 ある意味の故郷を知る存在の出現に、エニーの顔が停止した。

 

「あなたが794の人間だったら……私を……連れ戻しに来たんですか?」


「んー、正直帝国からはそう言われてるけどナイナイ。あと794プロジェクトは時代遅れナイナイ。それつまんナイナイ。OK?」


「……は?」


「俺はねぇ。君の笑顔が見たくて、捧腹絶倒させたくて、ずーっとうずうずしているだけ! 花には笑顔! 変わり果てたスマイル!! 皆違って皆いい! だってそれが命だもの! 生きてるって事だもの! もっとスマイルしよ? ライフ、しよ?」


「ふ、ざけない……で……」


 悲嘆から憤怒へと感情が入れ替わっていくエニーの前にもかかわらず、ふざけ倒した踊りを繰り返す“へのへのもへじ”。

 こんな地下の洞窟を舞踏会と思っているかのように、エニーが落ち込むほど反比例してハイテンションになっていく。

 

「私には、その命が、無い……命である資格が、無い……だって私は……私は!! 私は、改造魔物キメラ……天使」


 ただの怪物であり、人形であったという事実が。

 世界で一番愛してくれた女性を殺害し、世界で一番愛したかった少年を悲しませた罪悪が。

 エニーに、既に変わりようのない結論を叩きださせていた。


 地面に突き立てる、割れた爪。

 掻き毟る掌から順々に、色が変わり果てていく。

 天使へと、飾られていく。

 

「私は……命じゃない!!」


「うわ出た! くだらなさ過ぎるすっからかん命題『命とは?』!!」


 どう見ても宙に浮いて、しかも逆さまになっている。

 逆転した“へのへのもへじ”が、腕組しながら首をかしげる。

 

「命なんて幸福のお膳立て。幸福は笑顔の奴隷。故に命は制作著作共にスマイルのもの!! この三段論法、抑えときゃテストは満点」


 何かを返そうとしたエニーを、触れる程に接近した“へのへのもへじ”の袋が遮る。

 顔だけ、エニーの眼前にぴたりと固定して。

 首から後ろが短針長針の様に、一定のメトロノームで姿勢を変えている。。

 

「君はNo人間。Oh残念! 改造魔物キメラで天使! 兵士が殺せと、平気な顔で! もう帰る場所ない、命じゃない、死にたい――なんてバットエンドは流行らない」


 まるで金縛りにでもあったかのように。

 反論も、動く事も出来ない。

 

 頭から下の踊りも止まった、“へのへのもへじ”の言霊。

 ただ脳に突き刺さる音の羅列を、頭が勝手に演繹してしまう。

 

 

 宿


「……アルフ様はずーっと、大人をやってたね」


「……」


「玉座からでは何も救えない。だからお忍びで全国津々浦々語るも涙聞くも涙」


「……」


「悪を挫き、弱きを助ける。王を超えた、英雄。でも帰ってくるときはいつも傷だらけ」


「だから、私は……」


「アルフ様の帰る場所になろうとした? アルフ様が大人じゃなくて、年相応になれるようにした? アルフ様の為に? アルフ様を心配して?」


「……それの、どこが、わるい、ですか」


「Really?」


 空気が無くなったと思った。

 苦しい。

 辛い。

 哀しい。

 胸が、痛い。

 喉を通る気流を、エニーは全て毒に感じていた。


「……エニーちん。本当は全部、薄々でも知ってたんじゃない?」


「……」


「アルフ様が東西奔走してたのは、全部エニーちんの為だって」


「……」


「そんなサイン、遠回しに。さりげなく、味気なく、出していた」


「そん、な」


「エニーちんは全部薄々勘付いてた。だけど触れなかった」


「私」


「そもそも794プロジェクトが狙ったのは、アルフ様でもなく、エニーちんだって事を」


「知らな」


「自分が化物だという事も。アルフ様がエニーちんの事を化物だと知っていた事も」


「ちがう」


「いつかバレる日が怖くて。爆弾が爆発する日が怖くて」


「ちがう」


「アルフ様はいつも笑っていなかった。建前では笑ってて、本音はいつも苦しんでた」


「笑って」


「でも乾いた笑顔の不安定な日々、どこかエニーちんは満たされていた」


「満たさ」


「だって寄り添えるのは自分だけ。本当の素顔、見せてくれるの自分だけ」


「いや」


「だけど、自分の為に笑わない彼に、抱いていたろう。独占欲」


「いやだ」


「ここに居れば、例え歪でも、ずっと私を見てくれる」


「ただ私」


「その家族ごっこは、終わっちゃったけどね」


「……」


「泣く必要は無く無く。もうエニーちんもアルフ様も笑えない、それなら頑張ればいい」


「……」


「大好きなアルフレッド殿下の天使になればいい」


「……」


「悪魔を全て穿つ天使になればいい」


「……」


「世界から全部、やかましい邪魔者は、消えろブスとジエンドする」


「……」


「そうしたらアルフ様は君の横で、スマイル、スマイラー、スマイレストしてくれるよ」


「……命」

 

「ねえ、エニーちゃん」


 既にエニーの背中からは、神秘を形にした純白の翼が膨らんでいた。


「『命とは?』まだお好き?」





 その問答から、1日間、ずっと。

 『命とは』を踊り続けていた。

 

 拳法演舞の様に、手足を殴りつけるように四方八方へ放ち続ける。

 それでも、一定のリズム。一定の周期。

 芸術と呼べるような一連の動作を、“へのへのもへじ”はしていた。

 

「Hey!! セイっ!! エニーちゃん朗報だ高評価いいねサイン出しまくり!! 王子様、この隠れ家な、そら来るやっ! ハッ、ワン、トゥー、スリー、フォーウ! フォーウ! フォーウ!」


 エニーは、未だ鎖に繋がれていた。

 しかしそれでも、もう直に解放されることは間違いないだろう。

 既に“へのへのもへじ”は、答えを与えてしまったのだから。


 ピタ、完全停止する。

 ぐるりと、首だけ折れたように真後ろへ振り返る。

 

「今宵の祭りは、神の特盛。ゲストは誰も彼もオールスター」

 

 蒼の新鋭――グロリアス魔術学院。

 中でも世界を救った陰陽師、元“降神憑き”ツルキ。


 白の帝王――ウォーバルソード隊。

 中でも世界三大最強戦士の一人、“闇王”ニコー。

 

 灰の死神――ジャバウォック。

 中でも暗殺の玉座に君臨する、グレー。

 

 これらを散々高らかに歌い上げた後で、再び不自然な姿勢で停止する。

 “へのへのもへじ”の文字は、檻の中へ向けられている。

 

「しかもジャバウォックには僕ちんから“龍王”も貸与してるからねー。もう集まる人間達で国滅ぼせるかもだよー。カオスだねー。不安だねー。アルフ様、大丈夫かなー。いくらなんでもオーバーキルキルじゃないのかなー、死んだんじゃないのー?」

 

『……ふ、ふ』


 荒い呼吸が降りの中からは零れていた。

 禁断の魔物の、唸り声。

 

「大丈夫だよ。エニーちん。理論は簡単。笑顔を壊す奴らを、片っ端から消し飛ばしてまえ。そしたら、今度こそアルフ様は、君の隣でずっと笑って許してくれる。昔の事なんて忘れて、二人で誰も届かない場所でいちゃいちゃ暮らそしてくれる。良かった良かっためでたしめでたしホロリホロリ」

 

 少女の声は、そう形容するしかない程に変わり果てていた。

 一日もの間――“へのへのもへじ”の踊り狂いを見せられて。

 

 “へのへのもへじ”の踊りは、今日も絶好調。

 天井に括られた、鏡だらけのボールからの光を何度も浴びながら。

 中心で、操り人形の如く、関節限界を無視して四方八方に折れ曲がる。

 

「壊せ壊せ誰の為!? だってお前成れの果て!! でもアルフが大変オーバーキル!? やるっきゃねえ、殺るっきゃねえ、やられる前に当たって砕けよ皆殺し、ってそれがお前のライフスタイル! HEY!」


 指を差して、激動から静止。

 直立不動。

 妖しく、“へのへのもへじ”は言った。


「君は今日からこの世界のヒロインだ。魅せて、見せてくれ、この世界ならではの18禁を」


「……ふー、ふー」


愛する準備は出来た?Are you Ready?



 檻の中から。

 寂しく、嘲笑が聞こえた。

 

「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふふふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ――」


 壊れた人形の、鳴き声だった。

 794プロジェクトの最高傑作――“天使”。

 No.Tナンバーティー“Any”。

 美を凌駕した純白の翼が、今はただ悍ましく伸びる。

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