第80話 陰陽師、指名される


 教室に戻るなり、ヒューガ先生は俺に頭を下げる。


「ありがとう。ツルキ、アルフレッド。君のおかげでエニーの席は残してもらえそうだ」


「いえ、先生方の中にもエニーに味方してくれる人がいて幸いっす」


 他にもエレナ先生等、エニーをしっかりと生徒として見てくれた大人たちはそれなりにいた。

 理事達と反対側のテーブルに着いて、エニーの退学に反対してくれたこの人達の顔はマジだった。

 

 アルフを見る。多少は希望になったんだろうな。

 屋上で殴りあった時の必死な顔から、少しだけ冷静を取り戻していた。

 深く息を吐いて、深く頭を下げ返す。

 

「ヒューガ先生達がいなければ、エニーは帰る場所を失くす所でした。この恩、いずれ返させていただきます」


「恩に感じる必要はない。子供の安全と自由を守るのが、大人の役割だ。だが安堵ばかりもしていられない。早くエニーを見つけて、手を引っ張ってでも連れ帰ってこなくてはね」


 当の本人であるエニーは未だに発見されていない。

 最も、アルフの言う事を聞き入れない王国軍に見つかれば魔物として攻撃されるのは目に見えている。


 通学路の大人達がエニーに向けていた恐怖、嫌悪感は正直凶器と変わりなかった。

 今や王都ユグドラシルにとって、エニーは敵になってしまっている。


「王国軍よりも先に、エニーを見つけねえとな」


「先ほどエレナ先生と話してな。教師達総出でエニーを探すことにした。エレナ先生をはじめ協力してくれる先生は少なからずいる」


「それなら心強いです……」


「王国軍と比べれば気休めレベルかもしれないがな」


 気休めでも安堵するのは分かるぜ、ハノン。

 先生たちはエニーを改造魔物キメラでも敵でもなく、逸れた生徒として探すんだからな。

 俺も若干の余裕が出来た心で、その場にいた皆に呼びかける。

 

「さてと、じゃあ俺達も探しに出るか」


「それは駄目だ」


 しかしヒューガ先生の咎める声が、俺達の時間を一瞬止めた。

 何故、とは思わなかった。

 正直ヒューガ先生なら、そう言ってくれると思っていたからだ。

 

「……ヒューガ先生。悪いけど、今日の授業は休みにさせてください。親友の命がかかってる時に、とても集中出来ねえ」


「それでもだ。猶更君たちの命がかかっているなら、授業があろうと無かろうと無理はさせられない」


 静かな雰囲気の中で、語気を強める。


「昨夜、エニーも含め君達はウォーバルソード隊に襲われている。今ここで生きていることが奇跡だと思うべきだ」


 荒げてはいないにしても、低い声には教師としての熱を感じる。

 俺達の担任であり、陰陽道部の顧問でもあるヒューガ先生の立場も分かる。

 俺達が未だ可愛い生徒だからこそ、危険だと分かっている橋を渡らせるのは怖いんだろう。

 

「心配してくれてありがとう、ヒューガ先生」

 

 でもここは俺達も譲れない。

 

「……教師に教師の矜持があるってんなら、生徒には生徒の意地がある。ここは俺達の我儘を聞いてくれませんかね」


「我儘を通した結果、命を失う事もある。私はエニーを失う事も怖い。それと同じくらいに、君達が亡くなる事も怖いんだよ」


 俺もヒューガ先生なら、生徒を止めてる。

 だからといって、ここで足踏みしているつもりはない。

 

 どうする。

 大恩だらけのヒューガ先生相手に陰陽道は使いたくないが、やむを得ないか?

 

「ヒューガ先生」

 

 議論の平行線。

 そこに割って入ったのはアルフだった。


「先生方はエニーの味方をしてくれています。ですが、大衆はそうだとは思っていません。エニーを……あろうことか、魔物と捉えています。改造魔物キメラの恐怖を知った国民達は、真実を捉えるには時間がかかります。彼らの前にエニーが現れた時、一体彼女が何者かを悟る事もなく、迫害するでしょう」


 ヒューガ先生のあくまで慈愛と冷静を両立させた眼鏡の奥。

 ハノンの心配そうな瞳。

 ジャスミンの推し量るような視線。

 色とりどりの視線の中で、あくまで不安を前面に押し出してアルフは語る。

 

「このままではエニーは集団という免罪符を持った人間に圧され殺される。一刻も早く彼女の基に駆けつけて、僕は世界と戦ってでも守りたい。その為なら例えヒューガ先生と戦ってでも、ここを出る所存です……先程私達が退学届を叩きつけたのは、そういう覚悟があっての事です」


「アルフ……」


「ツルキ。君のせいだぞ。さっき君が殴ってくれたおかげで、僕はどうやらおかしくなってしまったようだ」


「さっきまで人間の集団心理って奴に絶望してたくせに」


 俺達は互いに笑いあう。

 悪くねえ。それが自由だ。


「支度をしたまえ」


 呆れたような溜息を吐きながら、ハンカチで眼鏡を吹くヒューガ先生。

 『負けたよ』と諦観の感情が見える。


「君達は閉じ込めても恐らく脱走してエニーを探しに行くだろう。それで行方不明になるくらいなら、私の目の届く範囲に居てくれた方がありがたい」


「よっし!!」


 ハノンも揃って、三人で手を合わせて、喜びを分かち合う。

 久々に見たぞ。皆のこんな笑顔。

 そうと決まればさっさと探しに行くぞ――の前にちゃんと礼を言うぞ。


「ヒューガ先生、ありがとうございます」


「手のかかる生徒達だ。でも君達……いいチームだ」


 ヒューガ先生も微笑を浮かべていた。

 笑っていないのは――ずっとドアの方で腕組をしていたジャスミンくらいだ。



 ん?

 空気を擦る殺意が一気に近づいて――。


「――危ない!」


 と、俺もヒューガ先生も同時に叫んだ。

 俺はハノンを抱きかかえて右に、ヒューガ先生はアルフを押し倒して左に倒れ込む。

 結果、窓を貫通した“それ”は、何もない床に突き刺さるのみだった。

 

 矢。

 かなり遠くから射られたのか。

 下手人を追いかけるのは現実的じゃねえな。

 

「この矢……何か巻かれているぞ」


「矢文?」


 毒針等が含まれていないか念入りに確認しながら(というか陰陽道で防ぐ準備を整えながら)、矢のシャフトに巻かれていた紙を開く。

 まず、その差出人の欄に書かれた名前が目についた。

 

 

「ヒューガ先生。すんません。どうやら俺達だけで行かなければならないようです」

 

 “ジャバウォック”三人兄弟長兄の――“グレー”。


「“指定されているのは”、俺、アルフ、ハノン、ジャスミン先輩みたいだ」

 

 

             ■        ■

 

 

 この時、ツルキの教室に放たれたものと同じ矢が、ウォーバルソードのアジトにも突き刺さっていた。

 同じく巻かれていた矢文をニコーが開く。

 

 

「ジスト、ホワイト、アレンを呼べ。どうやら“指定されている”のは我を含めて四人の様だ」



             ■        ■

 

 

 

 二陣営に投げられた手紙に記された文字は、要約すると以下の通りである。


 

 エニー=ノットはこのグレーが預かった。

 身柄が惜しくば、ある地点へ来い。

 “指定されている”人間以外が来たら、エニー=ノットを消滅させる。

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