第76話 造り物、絶望する


 ガラス越しに映る自分の姿。

 そして掌を何度でも見れば、異形異色の手が広がっていた。

 更には背中に伝わる、まるで腕がもう二つ生えたかのようなおかしな感触。

 

「いたぞ! 化物だ!」


 化物。

 いったい誰の事だろう。

 反射的にエニーにはわかってしまった。

 

 ……自分のことだと。

 

「わ、わたし……」


 こちらが何を喋ろうとも、もう手遅れだ。

 彼らはエニーを魔物と同類としか見ていない。

 殺気だった気配と、向けられた切っ先全てに絶望した。


 気づけばエニーは上空高くまで飛んでいた。

 そんな風に逃避行を、繰り返すことしかできない。

 

「……なんで、なんで私が……改造魔物キメラ?」


 あの白髪のホワイトという少女の言う事が、何度も頭の中でこだまする。

 今までエニー自身も唾棄すべき存在として認識していた、存在。

 魔物よりも汚らわしく、かつ哀れな存在。

 そんな改造魔物キメラに自分が属するという事実が、エニーの感情を押しつぶしていく。

 

「それに……“天使”って……」


 794プロジェクトの成功作と、あのホワイトは言った。

 あのフレーズが、そして天使という言葉がずっと頭の中に引っかかっている。

 まるで今まで素通りしていた記憶の扉から、ノックがするような感触。

 

「私は……私は……」


 気づけば郊外に出て、森の中を彷徨っていたエニー。

 とてもこの状態で人の中にはいられない。

 人が住まう王都ユグドラシルにはいられない。

 紫色の肉体。自分の物じゃないと思えるくらいに軽い。手をついた樹木が簡単に折れてしまった。

 騒めきながら倒れるそんな光景が、エニー自身に自らの異端さを思い知らせる。

 

「……うっ」


 倒れる瞬間。

 見覚えがある。

 血を振りまきながら、倒れていく誰か。

 頭の中に蘇り始めた最悪の記憶にあらがうように、現実を見ようとする。

 

「おい! 増援を呼べ! こんな所にいやがった!」


 しかし既に王都からそれなりに離れた森の中にも関わらず、数人の兵士が放つ光に照らされる。

 沸き立つ焦燥。

 逃げようとするが、駆け付けた兵士が剣を振るう方が先だった。

 

「ウラァ! 化物め!」


「……!」


 途端、エニーの自我が曖昧になる。

 目の前の景色が色褪せて、エニー自身が体を動かしているような感覚を忘れ。

 一人でに突き出した両手に、魔力でも霊力でもない何かが渦巻いて収束していく。

 

「なっ……なんだこれは……!?」


 そんなのはエニー自身が聞きたい。

 

「あ、あ、あ、あ――」


 ルビーの様な深紅の光玉。

 エニーの両手に宿ったそれが、兵士が振るった刃を呑み込み消滅せしめた。


「い、いいい!?」


 次の瞬間、エニーの頭の中にその深紅の名前が浮かび上がった。



「“緋砲”……!」



 そして、緋色の濁流が一直線に放出された。

 草も木も土も、そして眼前に広がる森も、その背後に広がる山でさえも包み込む。

 一秒も経たない内に斜線上の全てが消滅し、後に広がったのは深く抉れた果てしない大地と、大きく欠けた山が残るのみだった。

 

「なっ、あっ……こ、ここまでとは……!」


 兵士たちにこそ当たりはしなかったものの、今の余波だけで恐ろしい衝撃を心身共に受けて倒れていた。

 起き上がるや否や、この人数では勝ち目はないとすぐさま逃げ去る。

 

「はぁ……はぁ……」


 気付けば自分の体は紫色の改造魔物キメラとしての体から、元に戻っていた。

 どうやら今の“緋砲”で力を使ったせいで、人間態に戻れたらしい。

 しかし最早そんな自分の変遷にすら気づかないほどに、今エニーがやってしまった事は次元違いの内容だった。

 

「“緋砲”って……」


 かつて太古の昔、天使が扱っていたという“唄”という特異な力。

 天使が持つ特殊な魔力を衝撃波に変換するその技術は、人類が持つあらゆる魔術を凌駕する威力を誇る。

 その唄の中でも“緋砲”は存在が危ぶまれている程、天使達が束になってようやく発動したという伝説の唄。

 

 それをたった一人で、エニーは放ててしまったのだ。

 その結果、一つの山を吹き飛ばした。

 

「……、ああ、あああ……!」


 次から次へと記憶がよみがえってくる。


(六年前……アルフ様の下に行く前、私……あの白衣の人達に囲まれてて……)


 余りのフラッシュバックに激痛さえ伴う。

 

(六年前……“私を作るために試作された”子達が、制御が出来なくて“駆除”されてって……)


 稲妻が走るような感覚に頭を地面につけて抑え込む。

 

(そして突然よくわからない人達に連れられて……そこで薬みたいなのを投与されて……それまでの事が良くわかんなくなって)


 よく分かんなくなっていた景色が鮮明になるにつれ、心が滲んでいく感覚を得る。

 

(ずっとあれから……何でもない事の様に王家で教育されて、それでアルフ様の付き人になって……)


 アルフと、彼の姉であるハルと付き人という名の家族として扱ってもらえたあの幸せすら、作り物のように思えた。

 

(だけど四年前、また良くわからない人達に誘拐されて、また何もかも分からなくなって)


 たどり着いた記憶の狭間は。

 先程放った紅の閃光よりも。

 真っ赤な嘘であってほしかった、真っ赤な世界だった。

 

「ハル様が……私の前で、死んでいて……」


 冷たい、研究所の床。

 部屋中に飛び散った、ハルの返り血。

 助けようと、先陣切ってエニーの元まで駆け付けてくれた、姉のような存在。

 だけど食い物にでも食いちぎられたような、ハルの末路。

 敬愛するべき女性の、最期。

 

「違う……ハル様は殺された……殺された……殺した……!」


 ノイズと共に、もう少し前の世界が舞い戻る。

 本当に家族を助けようと、手を伸ばしたハルを。

 

 “自分の中から駆け抜けた閃光が、その胴体を消滅させてしまった事を”。

 

「殺した、殺した……殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した!! 殺したのは私! 殺したのは私! 殺したのは――」



 すべてを思い出して。

 今までかくれんぼしていた罪が、心を食い散らかす。

 唐突にハルが元気づけるように背中をたたいてくれていた笑顔。そこから反転して、自分に殺される時の虚無的な表情。

 

 

「ハル様を……アルフ様の一番大事な人を……殺したのは――私」



 一縷の涙が、頬を伝った時には。


「あは、あは、あはははははは」


 もう嘘と目を背ける事さえできない記憶の津波に息すら忘れ、その場に倒れこんでしまった。

 

「私は――化物でした。ごめんなさい、アルフ様……どうか、どうか……」



 その言葉を最後に。

 エニーの意識は暫く、闇へと落ちる。

 

 

「私を殺してください……!」




 暫くして、物陰から出てきたのは兵士ではなかった。

 グロリアス魔術学院の生徒でも、かといってウォーバルソード隊の人間でもなかった。

 

 殺すために生まれた、世界最大の暗殺者。

 ――ジャバウォックを取り仕切る最後の砦、グレーだった。

 

「……まさかとんでもないカードがこんな所にあったとはな」


 オール帝国に完全に利用され、ウォーバルソード隊の前座でしかなかった上、ジャバウォックの兄弟たちは皆殺しにされた。

 別に仇を討つ気はないし、薄々感づいてはいたが――それでは面白くない。

 

「このままじゃ終わらねえぞ……ウォーバルソード隊、そして黒金の鶴スワン

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