第72話 女騎士、世界最強の剣士と相対する
かつて
その中で、ある試みがされていた。
古代、人類を滅亡に追い込んだ悪名高い天使を再現するプロジェクトだった。
最終的には数に頼り、天使を返り討ちに出来た。
天使は歴史上から姿を消し、存在が疑われる程に陽の目を見ることは無い。
理由は、人類が戦争後にやり過ぎたからだ。
魔女狩りの様に純白の翼を見つけては、一方的に処刑してきた。
結果、この世から天使は一掃された。
故に、少なくなった天使は貴重品扱いをされている。
価値は天使が見つかれば国が“買う”レベルにまで達している。
美術品だけでなく、戦力として。
794プロジェクトの際に闇に葬られたとハノンも聞いていたばかりに、あまりに想定外の出来事だ。
「ぐあっ……!」
かなりの高さから落下したものの、すぐに浮遊を取り戻して殆ど速度は殺せた。
だが着地するや否や、これまた凄まじい飛行速度でハノンに接近する。
今度は間合いに入られる訳にはいかないと、剣を抜きそのまま鍔ぜり合った。
「エニーちゃん! 逃げて!」
「でも……」
壁に手を突きながらだが、歩くことは出来そうなエニーだ。
しかしハノンを置いていく事を躊躇っている様子だ。
「よくわかんないけど……この人達の狙いはエニーちゃんだから……」
「今更逃げられるとでも思うな。新入り、塞げ!」
「……」
エニーが唯一逃げられそうな道の先には、アレンが立ちはだかっていた。
アレンとてグロリアス魔術学院を合格するくらいには秀才。意識が安定しないエニーでどうにかなる相手ではない。
しかしあのプライドの塊だったアレンが、ただ指示に従うだけの兵士と化している事に違和感を禁じ得ない。
「燕、お前は殺す。動かなければ一刺しで楽にしてやる」
「……生憎、私が死ぬと悲しむ人がいるので死ねない!」
力任せに押し返して、再びエニーの横につく。
事情は分からないが、ホワイトが
今は隠密に徹しているから使用してきていないのかもしれないが。
もし本当に“天使”を衒った存在だとしたら。
本当の恐怖は、魔術と“唄”にこそある。
余裕を保ったようなすまし顔のホワイトは、ハノンに刻み付けるように言う。
「死ぬと悲しむ。お前達人間は、成程そんな甘い世界で生きている」
「悪いですか」
「うん。十分嫉妬の対象。でもあなたが甘い世界で生きていようとそれはどうでもいい。今から殺すし」
「殺されない……エニーちゃんも殺させない!」
「そう。あなたが今エニーって“記号”で呼んでいるその女こそ、甘い世界で生きるに相応しくない」
「……!?」
ホワイトの意味深な発言に、訝し気になるハノンとエニー。
当のエニーでさえ自覚がない。そんな態度に、ぴく、とホワイトの瞼が揺れる。
「心配するな“キョーダイ”。お前は殺さない。ただし甘い世界から引っ張り戻すだけだ」
「……どういう事ですか」
「――ホワイト。悪い癖なり。感情が昂揚すると、口数が増える」
ホワイトの後ろからやってきた影を見て、ハノンは絶望した。
同時に、今自分達が何に囲まれているのか理解した。
「チェックメイトだと。お嬢ちゃん、悪いが人生は諦めな、と」
「抵抗せねば、最低限の痛みに抑えよう」
最初からハノンが相手にしていたのは、ウォーバルソード隊。
オール帝国が誇る、一人で万人力にも成りえるという最強の精鋭部隊。
更には世界三大最強戦士に名を連ねるニコーと、そのニコーに引けを取らない実力を持つジスト。
その二人が、殺しに来た。
唐突に訪れた絶対の死への恐怖が、ハノンの足をすくませる。
ニコーが発する、死神の様な気配がハノンの呼吸を乱れさせる。
ニコーが大剣を背から半分だけ抜く。だがまだ抜ききらない。
巨大な刀身を背中から少しだけ抜き、居合の理屈で縦振りを繰り広げる気だ。
巨体を覆うくらいの面積を誇る、大剣。
剣に通じているハノンだからこそわかる。あの剣の重さは異様だ。真正面からのぶつかり合いでは
まるで断頭台を思わせる雰囲気。この雰囲気だけで、ハノンは気圧されていた。
(……)
泣き面に蜂と言わんばかりに、隣のジストも得物を抜いていた。
こちらは長槍。
左手を後方、右手を前方に添えて――いつでも蜂の巣に出来る準備は完了していた。
死神が二人。
勝てる、筈がない。
ハノンは、一瞬剣を手放しそうになった。
だが、すぐに思い出す。
陰陽道部での、平和な思い出を。
「死ねない……死ねない!」
戦闘継続。ハノンの選択肢はそれだけだった。
ハノンは両手に九字の印を結ぶ。
「狐さん……力を貸して! “剣印の法”! 吸ってよ、“村正”!」
自身の身長を超える反った刀が、ハノンの右手に出現する。
左手の剣も話さないまま、二つの剣を左右に向けながら、エニーを背後に徹底抗戦の姿勢を見せる。
(アレンの方向に走れば突破は出来る……けれどニコーとジストを背にしたら確実に殺される……、かといってニコー相手に牽制は効かない)
こうなれば、もう一度飛ぶしかない。
飛行能力で上回るホワイトが睨んでいるが、これしかない。
少なくともニコーとジストを相手に上の有利を取れるのは大きい。
村正でホワイトさえどうにかできれば、アレンを突破するよりも逃げ切れる可能性は大きい。
賭けだ、と歯を食いしばった瞬間。
雷撃が、ウォーバルソード隊の後ろから突き抜けた。
「!」
アルフが固有の魔術である雷撃を魔法陣から放っていたのだ。
音速に匹敵する雷の軌道を、しかも背後からの魔術。
だがニコーとジストは一瞬でその軌道を見切り、体を横にずらしてかわす。
「ぐあっ……!」
だがその先にいるホワイトには掠め、電撃が体中に迸り膝をつく。
「ホワイト!」
「っと……流石に若いのには雷避けは厳しいな、と」
「エニーを連れて逃げてくれ! ハノン!」
腹部を抑えながら歩きつつ、雷魔術の第二波を放とうと魔法陣を形成していた。
エニーは最強の部隊に相対そうとしている主人に、首を横に振った。
「アルフ様を置いて……逃げるなど」
「いいから逃げろ! 早く!」
「従者の為に命を捨てるとは、噂通りの人格者だ、と。にしても狸寝入りしていれば、長生きできたんだけどな、と」
槍で手足の様に自由自在縦横無尽の軌道を描きながら、アルフの前に立ちはだかったのはジストだった。
「ニコー。外交問題になるがもうしゃーないだろ、と。アイルラーン王国の第三皇子にはここで“不運の事故死”してもらう、と」
「ああ、止むを得ぬ。我々の動いている事が王家の人間から口走られれば、後々厄介也」
豪雨は増し、まるで悲劇の序章であるかのように全体を雨が包んでいる。
そんな視界の中、ハノンも逃げるべきか決めあぐねていた。
確かにホワイトは今の雷魔術で、すぐに動ける状況ではない。
だがここで飛べば、殿になるアルフが確実殺されてしまう。
かといって三人が同時に確実に助かる方法が見当たらない。
「……僕の雷を避ける事が出来る辺りは、実力では叶わないと思うが。食い下がらさせてもらう!」
稲光。
黄色の円から放たれたジグザグの瞬きは、しかしジストの目前で突然消失した。
自由奔放に動く穂先が、まるで雷を喰らってしまったかのような光景に、アルフの表情が暗くなる。
対照的にジストは殺すのが惜しいと残念そうな顔を浮かべて、まるで敵ではなく先輩として諭す様に言ってきた。
「確かに雷魔術は厄介だが、まだまだ若い、と。軌道は一度見れば大体把握できるさ、と」
「武器を伝って、お前の体を焼く筈なんだがな……」
「俺の愛槍“避雷針”は特注品。触れた魔術を大小関係なく無効化出来るのだ、と。雷だけじゃなくな」
特殊部隊とだけあって、支給されている武器も一級中の一級だ。
やはりあらゆる面で勝ち目がない。
悟ったアルフは改めて、迷うハノンの背中を思いっきり押す様に言い放つ。
「ハノン! 頼む、エニーを連れて逃げてくれ! 僕は僕の方で何とかする!!」
「……っ!」
その一押しに押され、アルフの下へ行こうとするエニーを抱えて浮遊を始める。
しかしまた上空を覆う影。
ホワイトか、と二回目という事もあって、その方向に村正を向けながら構えた。
だが並行に飛行……と勘違いするくらいの跳躍力を見せていたのはニコーだった。
死神と勘違いするような兵士の一睨みに、怯んでいると、ハノンを一刀両断せんと巨大な刃を上から振り下ろす。
(この巨体でこのパッション……反則……!)
世界最強の兵士であるが故の驕りも一切ない。
目の前の兎にすら、十三歳の少女にすら容赦なく全力で殺しに来ている。
「覚悟」
「……!」
だが、一つの建物を跡形も無く粉砕しそうな破壊を、村正が遮った。
明らかに手入れされた特注品である大剣。その凶刃にして強大な刃を、村正はただ鍔ぜりあっただけで逆に斬り進んでいた。
霊力を注いだ妖刀は、世界最強の剣士が振るう刃にさえ打ち勝つ。
防ぎきれる、そう確信した時だった。
「良い剣だ」
「……!?」
だがニコーは一瞬で村正の脅威を知るや否や直ぐに大剣を止め、代わりにハノンの腹部を蹴り薙ぐ。
ハノンとエニーの華奢な体が壁に激突し、そのまま地面まで落下する。
腹部への一撃と、背中から猛烈に伝わった衝撃で指一本動かせなくなっているハノンの右手から消滅した村正。
そして自らの大剣に走っている刃こぼれを見て、微かにニコーが眉を潜める。
「まさか……そうか。貴様も“魂から剣を取り出せるのか”」
「……?」
「ならば我が剣が逆に削られるのも自明の理」
(この人、陰陽道を知っている……!?)
だがそんな事に疑問を持っている場合じゃない。
自分は最早戦闘不能。エニーも眠り薬に加え、落下の際のダメージで同じく立ち上がる事さえ出来なくなっている。
「苦しかろう。然らば眠れ、気高き騎士よ」
振り上がる大剣。
もう駄目だ、と目を瞑る。
だが後ろからミシミシ、と何かが軋み壊れていく音が聞こえた。
「むっ!?」
ニコーも後退る。
ハノンもその行動が無くとも、後ろの建物が先程の衝突の衝撃ゆえに、崩落を始めている事が分かった。
下手すれば死んでいた筈の激突で、まだ意識が保てていたのは老朽化した壁故に衝撃が拡散していたから。
そして建物が崩れる。
しかもよりによって――エニーの方向に瓦礫の雪崩が発生していた。
「エニーちゃん!!」
「……!!」
ハノンが手を伸ばした時には、圧倒的な質量がエニーを押しつぶして――
「エニー!!」
アルフが悲痛な叫びを上げた時には、もう墓石の様にエニーの全てを瓦礫の山が覆ってしまっていた。
「――エニー……」
ハノンとニコーの間にツルキが降り立ったのは、その時だった。
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