第35話 陰陽師、最高の式神と再会する。

 俺の背にくっついていた感触は、間違いなくハノンだった。

 しかも、先程触った時と違ってちゃんと生きている心音と、体温が確認できた。

 振り返ればそこにいたのは――ハノンではなかった。

 

「鶴樹様。良かった、澱神の法から戻られましたね」


「遊……奈……?」


「はい。鶴樹様の式神である遊奈です」


 姿形、顔のパーツこそは紛う事無くハノンなのだ。

 しかし狐の耳、紅い眼、黒に変色した髪、何よりスカートから溢れている九つの尾。

 見間違うものか。

 俺の前世で、最愛の式神であり、俺の最期を看取ってくれていた遊奈だった。

 

「おやおや、狐につままれたような顔ですね。久々に見るそんな顔も愛おしい!」


「……」


「お忘れですか。私の泰山府君祭を。私を憑依していただき、何度も傷を治させていただいたじゃないですか」


 泰山府君祭。

 致命傷でさえも回復可能な、遊奈のみ使用可能な妖術だ。

 他者への憑依が可能な九尾の狐であり、細胞回復能力の霊力を持つ妖怪である遊奈だからこそ可能な奇跡だ。

 見ればハノンの大きな傷口に藍色の炎が宿って、少しずつ再生が始まっている。


「泰山府君祭……って事は」


 勿論目の前に、ハノンの肉体が立って、覗き込むような姿勢を取っている。

 だがここに来てようやく、俺は一つの結論を受け止める事が出来た。


「ハノンは……生きている?」


「はい。泰山府君祭の為に寿命を少し頂くことになりますが……、それでも鶴樹様にこの娘は必要です」


 ハノンを借りた笑顔で、遊奈が返した。


「あ、あはは……生きている……そうか」


 俺はしゃがみ込んで、泣いてしまった。

 まるでハノンが親父さんを亡くした時みたいに、ハノンが死んだかと思っていたから。

 人が生きている。

 ただそれだけで、こんなに嬉しいのか。


 俺はまた、ハノンから魔術を教えられるんだな。

 俺はまだ、ハノンに想いを伝えられるんだな。

 一緒に空を飛んで、丸い虹を見下ろす事が出来るんだな。


「良かった……良かったぁ……」


 ひとしきり泣いた後で、俺は遊奈に向かい合った。


「……で、だ。えっと……」


 思わず呟きそうになった声を、喉の奥に引っ込めた。

 ハノンは、遊奈の転生体?

 その質問が分かり切っていたのか、両肩を竦めて遊奈は驚きの結論を簡単に言う。


「はい。このハノンという娘の魂は、元は私の魂です」

 

「……」


 いや、その兆候はあったんだ。

 以前ハノンに遊奈の面影を見た事があった。

 あれは俺の疲れとかそういうものではなく、ハノンの魂が前世では遊奈のそれだったからか。

 

「いやでも、そんな事が……」


「まあ一重に、これも私の鶴樹様への愛故の奇跡ですね、ほら、前世の時みたいに撫でて下さいよー」


 そう言って頭を差し出す遊奈。

 狐耳は確かに前世の者と何も変わらない。魂の形が肉体に具現化しているという事か。

 

「私は良かったです。転生先で、鶴樹様を探し出す事が出来たんですから」


「……お前には敵わないな。遊奈、本当によくやった」


 俺は遊奈の頭を撫でた。

 物凄い耳がピクピクしてる。

 擽られている様な顔の遊奈の表情を見て、俺は思わず笑った。

 

 本当に良かった。ハノンは生きている。

 そして本当に嬉しかった。遊奈と前世ぶりに話が出来た。

 しかしその感情に俺はあえて蓋をして遊奈に言う。

 

「それでも、この体はハノンのものだ」


「ええ、分かってます。私はあくまで魂にこびり付いた残滓の様な物。ツルキ様の如く、前世の人格のみで構成されている訳ではありませんので。再生が終わったら、私はまたこの子の魂に戻ります」


 つまり、あくまで主人格はハノンのものだ。

 だが別人格として遊奈の人格がある、ような状態だ。

 見た所ハノンは遊奈の存在には無自覚で、遊奈はハノンの時の記憶も有しているようだが……。


 ですが、と今度は遊奈が語尾を強めて俺に迫る。


「私とて、その領分を侵さねばならない時はあります! 鶴樹様、あの程度の輩に“澱神おりがみの法”を使いましたね!」


「……悪かったよ」


「完全発動ではなかったとはいえど、下手すれば鶴樹様の寿命を一気に使って死んでしまってましたからね!? それだけじゃない! 怒りに任せて神を澱ませるなんて! あのままでは確実に世界の一部が吹っ飛んでました!」


「……」


 この後滅茶苦茶説教された。

 結局転生しても、オカンっぷりが変わらんな。この狐は。

 確かに澱神の法は禁術中の禁術だ。

 俺にしか扱えない、陰陽道の最奥の奥義だ。

 

 神を澱ませ、神を同一化した瞬間、世界を創った神と同一の力を得る。

 世界を創れるという事は、世界を壊す事も出来てしまうという事だ。

 前世では怒りに駆られることなく、ただ山本五郎左衛門率いる一騎当千の百鬼夜行を打ち破る為に正しく使用できた。


 だが今回。つい先程の澱神の法はまずかった。

 確かにあのまま、何かがどうなっていたかもしれない。

 

「まぁ、それだけ来世の私に好意を抱いてくれていたと言う事で、とんとんとしましょう」


「……いや別に、そういう訳じゃ」


『ああ。俺はハノンに一目惚れしてる。俺はハノンが好きだ!』


 ん? なんだ今の遊奈の台詞。

 しかも胸を張って、声を俺に近づけて豪語した。

 聞き覚えがあるというか、言いおぼえがあるぞ。心当たりがあるぞ。


「ああああ! 私も鶴樹様にあんなこと言われてみたかった!」


「……ちょっと待て」


 思い出した……。

 ゼブラにハノンへのいじめを辞めさせる時に口走った言葉じゃねえか!

 

「お前っ……! 何であの言葉を……っ!?」


 してやったりみたいな顔をして、その理由を説明する遊奈。


「来世の私、実はあの時聞いてたんですよ。しかもめっちゃ悶えながら……あー、魂の中で聞いてて楽しかった」


「何いいいいいいっ!? 嘘だろっ!? 待て、ちょっと待て、凄く待て!」


 あの時ハノン聞いてたの!?

 嘘だろ、平方完成で人払いしていたのに!?

 一番聞かれたくない人に聞かれてるじゃないか!

 

 何か今になって澱神の法の後遺症がやってきた。

 物凄いやっちまったという罪悪感が血液中を流れてる。

 

 だからハノンあの時様子がおかしかったのか。

 流石に俺もこの不手際は耐えきれない。穴があったら入りたい。

 

『すっかり恋に落ちちまってる。だから全身全霊であの子を哀しみの淵から救い上げてやりてえ』


「やめろおおおおお!」


『ああ。一般人らしく、好きな子の為に俺は動いてる。悪いか』


「うわああああああああ!!」


 俺の台詞を一言一句、最大限俺に似せて発音してくる。

 黒板を引っ掻いた音を聞いている気分だ。

 苦しむ俺を見て、遊奈は心底ご満悦そうに楽しんでやがる。

 くそっ、何が忠臣だ! 何が最高の式神だ!

 

「でもそれだけ鶴樹様が一生懸命な子なんですよね。だから私も死なせたくないと思いました」


「……そ、そうだな」


「色々約束したのでしょう。次からはちゃんと助けてあげて下さいね。私もいつこの子の中からいなくなるのか、認知出来ていないので」


「……」


 でも、本当に遊奈が転生後の理に踏み入ってまでハノンを直してくれたからこそ。

 泰山府君際を使って、ハノンを死の世界から救い上げてくれたからこそ。

 俺はまだ、ハノンに想いを伝える事が出来るチャンスがある。

 俺とハノンが、一番近くに居続ける事が出来る。

 

「遊奈。ありがとう。ハノンを助けてくれて」


「えへへ、また後で撫でて下さいね」


「……まずはヴァロンの野郎をとっちめてからだな」


「あの髭がチャームな下郎ならさっき逃げましたよ」


「うぇっ!?」


 本当だ、燃え盛る村の中に、死屍累々の中にヴァロンがいねえ。

 というか遊奈、気付いていたんなら声かけてくれよ。

 

「大丈夫です。あの汚濁極まりない臭いなら追えます。私の鼻が利く事、お忘れですか?」

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