第34話 陰陽師、神になる

「ハノン」


 返事をしない。

 そもそも生きているというには、あまりにも傷を負い過ぎている。

 

 前世での経験が、ハノンに触れた瞬間、完全な死の状態にある事を悟らせた。

 覆しようのない事実を、俺は受け入れる事が出来てしまった。

 その瞬間、俺は怒りという深い暗闇に取り残されていった。

 深海の様に暗くて、宇宙の様に寂しい場所だった。

 

 怒りって、誰への?

 ヴァロンへの?

 いや――俺へのだ。

 

 陰陽師の時代、仲間が斃れるのは日常茶飯事だった。

 昨日はいた筈なのに、今日いないという悲劇に違和感を覚えたことは無かった。

 

 だけど、お袋を失った事は確かに辛かった。

 しかし、お袋の場合は覚悟の準備期間が十分にあった。

 だから、こんなに感情が絶対零度の領域にまで落ちたことは無かった。

 

 ハノン。

 ハノン。

 ハノン、ハノン、ハノン。


 ねえ、ハノン。

 起きてよ、ハノン。

 ハノンに、会いたいなあ。

 

 見せてよ。

 父親を失って、笑いながらもくしゃくしゃになっていた泣き顔を。

 必死にあれこれ考えを張り巡らせて楽しそうに魔術を教えてくれた笑顔を。

 青空から一緒に虹のレンズを通して見た、感動する横顔を。

 

 ……ああ、そうか。

 もう、駄目なのか。

 もう、見れないのか。

 もう、ハノンに会えないのか。

 

 いやいや、ちょっと待ってくれよ。冗談言うなよ。

 そりゃ、ないだろう?

 これからだろう?

 まだあって一週間もしていない。

 これから物語は始まるんだ。

 

 なのにハノンは俺の前で、次第に温度を失っていく。

 陰陽道に、他者の命を吹き返す術はない。

 もう、救えない。

 

 もう、ここには、ない。



「あははぁ、良いぞ。そういう顔だ。そういう色だよ、俺が見たかった人間の表情ってのはぁ!」


 うるさいなあ。

 何か化物が言ってる。

 あ、よく見たらヴァロンだった。


 酷く耳障りだ。

 蝉の鳴き声の方が可愛いくらいだ。

 こんなに耳を噛み千切る様なノイズ、聞いた事ねえや。


 ……何でこんな子を一方的にいじめ殺して、喜びの感情を取れるんだ?


 うん。こいつは生きてちゃいけない。殺そう。

 しかもただ殺すだけじゃ、いくらなんでも天秤が釣り合わないなぁ。

 一度地獄を見せよう。


 

 

           ■       ■


 

「俺の計画を阻んだ貴様が、いい表情をしている。曇って、萎んで、今にも狂いそうだ……愛を覚えた子供ほど、その価値は尊い」


「……」


 ヴァロンの言う通り、ツルキは悲劇に打ちひしがれた顔をしていた。

 好意を抱いていた少女の壮絶な最期に、変わり果てた姿。乾ききった表情。

 そんなハノンの亡骸から静かに目を逸らし、一切の慈悲を失った殺意に溢れた目で、化物達の群れを睨む。

 

「貴様とて、これ程の数の改造魔物キメラ相手にはどうする事も出来まい」


 腕を組んで、誇示するヴァロン。

 一方でツルキは、無表情でそれらを睨みつける。


「……すっかりモンスターに成り果てたな、おい。神様にでもなったつもりか」


「ああ。俺は創造神だ。脆い人間が最大の価値を発揮するのは、死ぬ時の滑稽さだ。花は満開の一瞬だけが美しい。そこから先は枯れるだけ。それと同じだ。俺は、悲劇と喜劇を同時に造れる奇跡の男だ」


「そうかい。そりゃ随分と人外魔境の領域にまで行っちまったな。正直会話する気にもなりゃしねえ」


「楽しく行こうじゃないか少年! 世界はパーティー会場だ! 最後に踊り狂って死ね」


「お前死ぬって事の意味考えたことあんの?」


「あ?」


「人の死を、馬鹿にしたな」


 死を芸術と言い放った化物へ。

 死を喜劇と曖昧にした化物へ。

 死を舞踊と同一視した化物へ。


 何より。

 愛しき温もりを、一瞬にして奪い去った怨敵へ。

 ツルキの――最悪の陰陽道を始める。


「“千羽鶴”」


 迫る無数の怪物たち。

 それを見上げながらツルキが袖から噴き出したのは、千枚の金色の折紙だった。

 

「俺は高貴な人間じゃねえからよ。仇を取ってもハノンが生き返らないとか、そんな聖人君子の理論持ち出す気はねえぞ」


 全てが折り鶴になり、竜巻の様にツルキの周りを回転する。

 次第に地面と水平に四角形を描き始め、かつ垂直に星形の模様を象り始める。

 

「ただ殺すだけじゃ気が晴れねえ。せめて一回絶望して死ね」


 金色の嵐に触れた魔物達が忽ち消滅していく。

 異常なまでのエネルギーが放流されていることは間違いない。

 ヴァロンの表情が一気に険しくなり、星と四角形の中心で二本の指を充てるツルキを凝視する。

 何やらツルキの背後に亀裂が走った。

 

 

 世界そのものがツルキの存在に耐えられないと悲鳴を上げていた。



澱神おりがみの法……!」



 遂に亀裂が完全に割れた。

 出現した宇宙の様な暗黒空間。

 そこから泥とも濁流とも喩える事の出来る何かがツルキに紛れ込んでいく。


 この世の色でない。

 十二個の流れ全てが、世界には存在しない色で塗り潰されていた。

 どれも忌避すべき、しかし祀るべき力で構成されているのは間違いない。

 触れれば忽ち汚染され、浸食され、溶解されそうだ。

 渦を巻きながら、それら全てがツルキの中に入っていく。

 

 同時、ツルキの周りに巨大な朱雀、白虎、玄武、青龍を象る光が出現し、それもツルキの中に入り込んでいく。

 暗黒と光明。

 万華鏡の様に左右上下対象に広がっていく。


 ありとあらゆる数式が関数となって解かれていく様に。

 永遠に黄金の花弁が開いていく様に。

 無そのものが全てを飲み込んでいく様に。

  

「うっ!?」


 白黒滲んだ衝撃波が飛び出し、辺りの魔物達を軽く吹き飛ばす。

 ヴァロン自身も数十メートル吹き飛ばされ、そのエネルギーのすさまじさに表情を凍らせていると、遂にツルキがその姿を現す。

 

「いい表情になったじゃねえか、ヴァロン」


「き、貴様、その姿は……」


 ツルキの体は、絶対的な黒に変色していた。

 その表面に血管の様に、ところどころに金色の線を張り巡らせている。

 だが外見の変化は問題ではない。

 彼の周りに漂う空気、空間の歪みが目視で来てしまっているのだ。

 まるで次元違いの存在が、次元違いの場所に降臨してしまったかのように。

 

「俺の中に神をよどませた。言っただろう、神を見てから絶望して死ね、と」


「……神」


 曰く。つまり。

 ツルキは、今の術で“神”と同等の存在になったらしい。


「じゃあ、今から十全に絶望しろ」


 ……へのへのもへじから力を貰ってから、全てが面白き事のように見えた。

 人間の絶望を手中に収め、人間の最期を自由に扱える、そんな神様の気分を味わう事が出来た。

 どんな相手が出てこようとも、最早世界は自分のものといわんばかりの態度を取れた。

 

 そんな自分だけのユートピアが、ガラガラと崩れていく音が聞こえた。

 ただ目の前に漂う少年が、全ての価値観を圧搾し、溶解させた。

 浅はかな三日天下が、竹細工の様にあっけなく散っていく。

 

「う、嘘だ……!」


 神なんて言葉が容易く出る事自体、子供の戯言だ。

 そう言い切るのは簡単な筈だったのに、出来なかった。

 同一の空間にいるだけで、全ての空気が重く感じるからだ。

 

「嘘だ! この俺こそが王だ、神だ! 生殺与奪も酒池肉林もこの世の快楽全て思うが儘の存在の筈だ!」


「……」


 遠吠えにしか自分でも感じられない。

 言えば言う程、空しさを自分で感じてしまう。

 周りの改造魔物キメラ達にも異質の存在に畏怖しているのか、先程までの殺戮っぷりもどこ吹く風ですっかり固まってしまっている。

 

「や、やれ! やるんだよ!」


 主としての強制力を行使してようやく魔物達が襲い掛かり始めた。

 対してツルキは歩く事すらしない。浮遊して向かってくる。

 ハッタリの筈だ。

 ハッタリの筈だ。

 あの折り紙の様に、噛み砕かれてしまえと一番後ろで願うヴァロン。

 


「退け」



 ツルキが腕を一振りしただけで改造魔物キメラが破裂した。

 ツルキが足を蹴り上げただけで、巨体が曇り空に消えていった。

 ツルキが拳を放っただけで堅固な体が千切れた。

 

 あまりに一瞬の一方的な大虐殺に、他の魔物達が完全に硬直する。

 改造で恐怖という機能を消した彼らに、怯えるという感情はない。

 ただ、ツルキを喰らう事に、ツルキ相手に生きる事に諦めてしまったのだ。

 観念し、断念し、降参した。

 

 しかし村一つ滅ぼし、一人の勇敢な少女の命を奪った咎人達をツルキが許すはずもない。

 ツルキが右手を伸ばした瞬間、全てが終了した。

 

 ある改造魔物キメラは全身が突如発火して灰になった。

 ある改造魔物キメラは全身が凍てついて砕け散った。

 ある改造魔物キメラは全身が溶解して地面の染みになった。

 ある改造魔物キメラは全身が稲妻のように発行し、消え去った。

 ある改造魔物キメラは全身が圧縮され、原子よりも小さくされて潰された。

 ある改造魔物キメラは全身が光になり、ツルキに吸い込まれていった。

 

「……なん、でぇ?」


「随分と泡沫だったなぁ。てめぇの奇跡は」


 一分も経ってない。

 十秒も経ってない。

 そもそもツルキは浮遊して手を伸ばしただけで、何もしていない様にしか見えない。

 

 ただ、魔物達の体を“別物質に変換”しただけなのだ。

 それは火炎だったり、氷だったり、水だったり、稲妻だったり、原子レベルの極小サイズに小さくしたり、霊力にして自らの源にしたり。

 

「じゃあ、本当の奇跡を拝ませてやる。とっくり堪能しろ」

 

 ヴァロンが息をのんだ瞬間。

 “左手が消失していた”。


「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 阿鼻叫喚。阿鼻叫喚。

 左手が永遠に奪われる絶望。

 死んだ方がマシと思える痛覚という絶望。

 自分が滅ぼした村の中心で、これから滅びゆく絶望。

 既にヴァロンは跪き、これらの絶望に打ちひしがれていた。

 

 そして見上げる。

 ツルキという、凄まじい神の怒りを。


「おい、笑えよ」


 笑えない。強張るしかない。

 次に自分は何を失う。

 これ以上地獄の釜で煮えられるような痛みはごめんだ。

 圧倒的な存在が、ヴァロンを矮小な感覚へと引き戻しきってしまった。


 取れる選択肢は一つだけ。

 逃げる事だった。


「……!?」


 逃げた方向に、既にツルキはいた。

 反射的に別の方向を向くと、またツルキが待ち構えている。


 逃げようとした先に、必ずツルキがいるのだ。


「……ど、どどうしてなんだよ……お前……一体何体いる……」


「神は全であり、全は一。お前が恐れる先に、必ずいる」


 瞬間移動でもない。

 分身でもない。

 ただ、ヴァロンが逃げる先に佇むだけ。


「何を恐れてんの? 死は花のように綺麗で、踊り狂えるものなんだろ? 最高じゃないか」

 

 まるで作業の様に、無表情な顔で浮遊し、向かってくるツルキ。

 しかもこうしている間にも“神”として進化していた。

 頭上に紅の環が出現する。

 背中からビキビキ、と宝石の様な翼が左右に伸びていく。


 呼応して、周りの世界を破壊し始めていた。

 周りの木々が浮遊を始めている。

 地面が、建物が、躯が、その姿形を忘れていく。

 ツルキを中心にして、何かに侵食されていく。


「あ、ああ、あああ……」


 畏怖する哀れな羊に、飾る事を知らない神は簡単に言い放つ。


「死ね」


 その時だった。


 


 

「駄目です! 鶴樹様! 人に戻れなくなります!」



 ツルキの背中に、女性の体がしがみ付いた。


「……ハノン?」


 確かにヴァロンもハノンの死は確認したはずだが、身形からハノンである事は間違いない。


「ハ……ノン?」


 だが細部が違う。

 紙は黒くなかったし、狐の耳はしていないし、臀部に9本の尾を宿していない。

 しかしツルキはまるで懐かしむような顔をして、徐々に体を人間に戻しながらその名前を口にするのだ。

 

「遊……奈……?」

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