第33話 女騎士、全てを出し切る

 火炎と改造魔物キメラの突入によって崩壊しかけていた建物から何とか脱出するが、そこが限界だった。

 ハノンは膝から崩れ落ち、ヒナにもたれ掛かる様に力を失う。

 

「ハノンさん!?」


 ヒナもハノンの悲惨な状況に気付かざるを得ない。

 明らかに背中の大部分が抉れている。

 内臓にも酷いダメージを受けているかもしれない。

 にも拘わらず、両肩で息をしながら、しかしそれでもハノンは立ち上がる。

 

 立ち上がって、群がって集まる改造魔物キメラ達に剣を向ける。

 数秒後には、自分達をデザートとした大宴会が始まる事だろう。

 そうなったら自分達は骨も残らないだろう。

 だからといって、最後まで抵抗しない理由にはならないとハノンは戦う意志を見せる。


「……さっきの朝ごはん、やっぱり食べておけばよかったな」


「は、ハノンさん! 傷を早く直さないと、ハノンさんが死んじゃうよ!」


 背中のダメージは、最早痛覚すら感じない。

 ヒナの言う通り、早急に治療が必要な傷だ。

 代わりに一線を越えて、体が死に向かっているのが分かる。

 

 それでも、ツルキだったら出会った少女の為に命を尽くすだろう。

 それでも、父親だったら世話になった少女の為に誇りに準ずるだろう。

 そんな二人の生き方を知る人間として、ハノンも命と誇りを懸けてこの少女を守ると決めている。

 

「ヒナちゃん。ここから一番近くまでの街、どう行くか分かる?」


「え……、う、うん……、買い物によく行くから……」


 ヒナが指差した先に、改造魔物キメラの気配はない。

 それを確信したハノンは一つの作戦に出る。

 

「ヒナちゃん、その街まで逃げて」


「いやっ、ハノンさんも一緒に……っ!」


「ごめん」


 そう謝りながら、ヒナの体を強く推し飛ばす。

 数メートルもの距離が空くと、次にハノンは渾身の魔力を込めて地面に手をやる。

 土属性の魔力を、全身全霊で地表へ穿つ。

 

「“遮れ”」


 瞬間、地面から天に向かって強靭な柱が何本も連なって伸び始める。

 村どころか、目視できる範囲全てに柱が隙間なく出現し、対魔物用の壁へと変貌する。

 

 鳥ですら飛び越せない程に成層圏まで伸び切った壁。

 改造魔物キメラであろうとそう簡単に崩せない強度の壁。

 

 この瞬間、世界は断裂された。

 丁度ハノンとヒナの間で、世界は二分にされたのだ。

 ヒナ側にはもう誰もいない。親も村人も、改造魔物キメラすらも存在しない。

 即ち、ハノンの方に化物達が密集している。

 

「ハノンさん! ハノンさん!」


「早く逃げて……私が、時間を稼いでいる間に……」


 そうとだけ言い残すと、ハノンは振り返る。

 化物達が、ハノンを食べようと群れて迫っていた。


 一人一人が“ローレライ”級の強さを誇る改造魔物キメラなのは分かる。それが目視できるだけで百体は下らない。

 一切の勝ち目はない。

  そしていかに鉱物を織り交ぜて強靭化した壁を以てしても、総攻撃を受ければ崩れてしまう。

 

「あの子には指一本触れさせないし、ここから先は通さないわ」

 

 だがヒナが逃げ切るまでの時間は稼げるし、何体かは道連れに出来る筈だ。

 覚悟が決まり切っていたハノンは凛とした表情で、世界で一番地獄に近い場所に足を踏み入れる。

 その瞬間、よく聞いた高笑いが戦場にこだました。

 

「はーっはっはっは!! これはこれは、いつか私を裏切ったハノンじゃないか」


「ヴァロン!」


 魔物達の中心から現れたのは、憎き父の仇だった。

 しかも本人も改造魔物キメラ化しているのか、人間の原型から逸脱した灰色の筋骨隆々の肉体に生まれ変わっている。

 更には三つの眼でかつての奴隷を睨みつけてくる。

 

「残念! 君はまた誰も救う事が出来なかった。村人たちはさぞかし悲しい事だろう」


「……そうだね。だからこそ、ヒナちゃんだけは絶対に救って見せる」


「今更騎士気取りとは笑わせる。この改造魔物キメラの群れを見た時点で、俺も近くにいるって分かり切っていただろう。絶望的な生存者を探すよりも、仇である俺の首を狩ろうとは思わなかったのか?」


 背中から残酷に滴る真っ赤な液体。

 ハノンの命が少しずつ漏れていくのを見て、ヴァロンは楽しそうに付け加える。

 

「そんな傷を負わず、もしかしたら俺の首も取れたかもしれなかったのになぁ!」


「でもあの子を助ける事は、きっと出来なかった」


 ヴァロンの誘導には屈さない。

 確かに言う通り、ヴァロンがここに存在する事は分かり切っていたし、油断している所を後ろから殺すことだって出来たかもしれない。そうすれば仇も取れ、背中一面を覆う大けがもしなかったかもしれない。

 最早この先に死しかないような運命を、覆せたかもしれない。


「仇を取る事なんかよりも……目の前の命を救った方が、父さんはきっと喜ぶから」


(そうだよね、父さん)


 崖の上に一つだけぽつんと立っている十字架に、ハノンは笑みを浮かべた。

 後悔の無い笑みだ。

 だけど、笑顔はここまで。


 ここからは。

 人として殉ずる、剣士の時間だ。

 

「あなたは許されざる罪を犯した……、あなたは最早王国の敵……」


 刃に渾身の魔力を帯びさせる。

 一通り魔法陣を通過させて、本気の魔法剣を煌めかせる。

 その先端は、すっかり身も心も魔物と化したヴァロンに向ける。


「故にあなたをここで殺すことに、躊躇いはない!」


 強制されてツルキと戦った時とは違う。

 仕方なく父親を殺す時とは違う。

 自分で自由に選んだ死地だ。


「で? お前は本当に俺の所まで来れるのかな? 一矢報いれるのかな、はい頑張れ頑張れ!」


「……討伐対象“ヴァロン”。覚悟!」


 グロリアス魔術学院、首席入学。

 その実力を裏付ける様な足運び。燕を思わせるような目視も出来ない速度で一目散にヴァロンまで特攻する。

 さりとて相手は全神経と全肉体が改造された本能に生きる暴走する魔物。

 ハノン以上の速度で突っ込んできた改造魔物の突進が真横から迫る。

 

「うわあああああああああ!」


 それを、魔法剣で斬る。

 先程の討伐隊の攻撃で傷一つつかなかった魔物が、一刀両断される。

 だがハノンも勢いを殺しきれず、自分が創り出した壁に激突する。

 

「まだ、まだ……!」


 まるで安全席から鑑賞でもしているかのようなヴァロンへ突っ込むが、また他の改造魔物の乱入に阻まれる。

 何百もの攻撃が、殺意が、食欲が一気にハノンの下まで雪崩れ込んでくる。

 四方八方を一撃必殺の暴力に囲まれながらも、更なる致命傷を受けても、まだハノンは戦い続ける。


(大丈夫だよ、ツルキ君。ちゃんと帰るから)


 飛ばした魔法剣でまた一体の改造魔物キメラを倒す。

 だが直後に放たれた火球をかわしきれず、吹き飛ぶ。

 巨人に叩きつけられたような衝撃。余波だけであちこちの骨が潰えた。

 

(ツルキ君がいたから、私はやっと自分らしくいれた)


 堅い装甲で剣は折れ、既に素手の魔術のみで対抗するしかなくなった。

 それでも効き目はあるようだが、魔物達の突進は止まらない。

 魔法剣で無くてはその表面を焦がす事さえ出来ない。


(あなたに、まだ何も恩返ししてない)


「何をどうしたって詰んでいるだろう? どうだ? 後ろの壁を解いてガキを差し出したら助けてやろうか?」


 左手の感覚はない。

 折れた右足が動かない。

 泥と傷に塗れた全身は、まるで自分の体じゃないみたいだ。

 どうやって戦えばいいかもわからない。


(私は死ねない……だってツルキ君に何も伝えていない……)


 切れた息を地面に吐きながら、ヴァロンへ未だ死なぬ眼を向ける。

 折れた刃を、肉を切らせ血に塗れながら握る。


(ツルキ君に会いたい……好きって言いたい……でも!)


「さあ。死にたくないだろ? 譲れ、その道を」


 痛い。

 でもヒナを殺させる事はもっと痛い、だから。


「いやだ、死んでも通さない。これ以上あなたに何も奪わせはしない!」


 一番近くにいた魔物の顔面にしがみつくと、その刃を目玉に突き刺す。

 激痛に悶える魔物へ、渾身の魔法剣を爆ぜた。

 四方八方へ飛び散った魔物の顔面。

 その衝撃波に乗って今度は隣の魔物へ突進する。

 

(また、一緒に虹の環を見ようね。今度は陰陽道覚えて、自分の力で飛ぶから)


 それも、頭上に全属性の魔力を混ぜた渾身の光球を携えながら。

 全身全霊の力を込めて、一体の改造魔物キメラに叩きつける。


(今度は弁当作って、屋上で一緒に食べようね)


 ……既に数体の改造魔物キメラを斃した。

 討伐隊でさえ、1,2体が限界だったのにも関わらず、だ。


(でもその前に……いちばん好きな人に、いちばん恋したい人に、告白したいな)


 それでもまだ百体近くの怪物達が満身創痍のハノンの目前に聳え立つ。

 ハノンには最早立っているだけの体力も、魔力も残されていない。


(好きだよ、好きだよ、あの日からずっと、私の方こそ好きだよ)


 次第に、視界もぼやけてきた。

 このまま走っていくと、いつもの教室が待ってくれている様な気がした。


 エニーと。

 アルフレッド殿下と。

 ――ツルキが元気づけてくれる笑顔で、そこで待っていた。


(だから、一番近くにいてねって、言おうとしたんだ)


 やっと、褒めてくれる気がした。

 手を伸ばしたら、手を取ってくれる気がした。

 あと、もう少しだったのに。

 

(……ごめんね)


 気づけば胸から腰を三本の線が抉っていた。

 宙に沢山の血液が舞う。

 自分の服と肉片が絡みついた魔物の爪を見ながら、遂に膝から崩れ落ちる。


(……ねぇ、私を好きでいてくれて本当にありがとう)


 開いた魔物の顎。覗く涎塗れの長い舌。

 一体何人もの命を喰らったのか分からない、鋼さえ咀嚼しそうな鋭い牙。

 自分が齧られるその直前、ハノンは上空を見た。

 青空も、虹も見えない、暗雲だった。


(嬉しいな、ツルキ君)


 最後の幻だろうか。

 目前に、ツルキがいるのだ。


「――ハノン!」


 その瞬間ハノンを喰らおうとした魔物の腕と首が、両断された。

 それは幻でも、偽物でもない。

 ハノンを抱き寄せたのは、本物の愛しき陰陽師だった。



 しかし悲しい哉。

 既に心臓も呼吸も、とうの昔に停止している。

 微かな痙攣を見せた後で、まるで時が止まった様に。

 一番好きな人の、一番近くで。

 わずか13年の生涯を、ハノンは閉じるのだった。



『泰山府君祭』


 筈だった。

 とある狐の介入さえなければ。

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