第32話 女騎士、墓に語る

『お願い……来世の私……』


 最近、偶にハノンはある夢を見る。

 それは狐の耳を付けた見知らぬ少女が、訴えかけてくるのだ。

 しなやかな黒髪を垂らした綺麗な少女だが、明らかに人間ではない。狐耳もそうだし、臀部からは9つの太い尾が伸びているのだ。

 

 記憶のどこにも存在しない筈の少女なのに何故だろう。

 ハノンはこの狐の少女を、誰よりもよく知っている気がしてしまうのだ。

 

「狐さん、良く聞こえないよ……」


 ハノンはこの狐の少女を、“狐さん”と呼んで認識している。

 距離が遠いせいか、掠れた声しか聞こえない。

 だが狐さんは来世の自分と言ってくる。

 どうやら狐さんは前世の自分――という設定の夢らしい。

 

『あなたは決して死んではならない……鶴樹様には……あなたが必要……』


「ツルキ君の事を知ってるの?」


 一瞬だけ狐の少女は笑顔になるも、直ぐに懇願するように訴えかける表情をしてくる。

 

『鶴樹様に――奥義……“澱神おりがみの法”だけは、使わせないで』


「澱神の法……!? 何それ、陰陽道なの?」


『あれを使ったから鶴樹様は、“世界の一部を壊してしまい”、かつ寿命を縮めた……』


 夢が終わりかけ、二人だけの空間も狐の少女も消えかかっていく。


『覚えておいて……最早あなたの死が、“澱神の法”の発動条件になっている』


「い、意味が分からないよ……!」


『でも大丈夫、その時は私が……!』


 全てが真っ白になり、がらんどうになった空間。

 夢が終わり、朝日が瞼を刺激し始めたその刹那、既に姿も消えた狐の少女が口にする。


『私は嬉しい……鶴樹様が来世の私を……だからこそ……』


       ■      ■


 ……何とも後味がすっきりしない夢からハノンが覚めると、暫く寝床の上で夢の意味を模索していた。

 

「“澱神おりがみの法”……?」


 陰陽道のらしい。

 しかしそんな情報を、何故ハノン自身が知っているのだろうか、と思わず考えを張り巡らせてしまった。

 たかだが夢の戯言と流す事も出来る筈だったのに、何故かそれが出来ない。

 

 ハノンは知っているからだ。

 その“澱神おりがみの法”が引き起こす悲劇の感情が、何故か心の片隅に残っているからだ。

 何を犠牲にしても、その陰陽道だけは使わせてはいけない。

 その部分だけが、あの夢でだけ話が出来る狐の少女と感覚がシンクロしている。

 

 そもそも、あの狐の少女は誰なのだろう。

 連続で夢に出てくるあたり、更に既視感が恐ろしくある辺り、彼女の口から前世の自分である事を示唆する言葉が出てる辺り、少し不気味でならない。

 一応は“狐さん”と呼んでいるが、そのくせ名前を知らない。


「ハノンさん……朝ごはんはいかがされますか」


 思い悩むハノンの部屋に入ってきたのは、自分よりも年下のヒナという少女だった。

 この宿屋の娘で、まだ10歳前後と幼いながらに中々しっかりしている。

 

「どうしようかな、ちょっとこの後墓参りをしてからにするね」


「分かりました。じゃあお客様が帰って来た時に合わせて、朝ごはんを作りますね」


「ヒナちゃんが作るの? どんな料理?」


「オムレツです。私、料理するの得意なんですよ」


 むん、と腕まくりをするヒナ。何だか一時的に妹が出来たみたいで面白い。

 父親が眠る丘のすぐ近くにあるこの村は、自然とよい空気に囲まれており当然料理もおいしい。

 とはいえ先に墓の下に埋葬された父親と会話を交わしたい。

 

「でも私、ハノンさんみたいな騎士に憧れちゃいます」


「そんなにいいものでもないよ。私はヒナちゃんの方が羨ましいと思うの」


「どうしてですか?」


「私ね、料理下手なんだ……、だから好きな人に料理を振舞えなくて」


「ハノンさん、好きな人がいるんですか!」


「うん。お父さんにも好きな人が出来たけど、お弁当も作ってあげられないからどうしようって相談しに行くんだ」


「それなら私、ハノンさんに料理教えますよ! その好きな人に美味しいって言ってもらえるように!」


「ありがとう、ヒナちゃん」


「もしよかったら、後でその好きな人の事、私にも聞かせて下さい!」


「うん。恋バナ、沢山しよう」


 そんな女の子らしい会話を繰り広げた後で、ハノンは宿を出た。

 昨日棺桶に入ったまま埋葬された父の下へ行く。


 聳え立つ立派な十字架の前に佇むハノン。

 天候は曇天。されど、生まれたままの大自然が見渡せる素晴らしい場所だ。

 ツルキなら、紙飛行機を投げてしまいそうになるだろう。

 

「……おはよう、お父さん」


 ハノンは十字架の前に正座し、語り掛けるハノン。

 若干の寂しさはあるが、もう父親を失った喪失感に浸る少女の顔はない。

 次へ進もうとする、心配の要らない顔だった。

 

「葬式、沢山集まっちゃったね。本当はこじんまりとやりたかったけど、お父さん騒がしい方が好きだからよかったかもね」


 何も帰ってこない。

 当たり前だ。こんなのは生きている人間の自己満足だ。

 だがツルキの言う通り、ハノンの父親は確かに下にいるのだから。

 

「お父さん、私ね、好きな人が出来たんだ」


 生きていたら何て帰って来ただろう。

 巷の父親像らしく反対するのかな。それとも笑って歓迎するのかな。

 意外と父親の事、知らない事だらけだと自嘲するハノン。

 だがそれでも、その好きな人の特徴を面面と言い続ける。

 

「どんな目にあっても折れなさそうな人で、世界で一番優しくて、だけど誰よりも熱い心を持っていて。努力好きで、私の話をよく聞いてくれて、ちょっとデリカシーに欠けるけど、ずっと一緒にいたいって思える人なんだ」


 独り言なのに、なんだか赤くなる。

 やはり聞こえてしまった自分への告白が頭の中でこだましている。

 

 二日間、色々考えた。

 この気持ちはただ恋に恋しているだけの、思春期の少女ゆえの迷いなんじゃないか、と。

 告白を受けたが故に、自分もツルキの事を意識したいと思っているだけなんじゃないか、と。

 

 しかし三日前に一緒に青空から眺めた虹の環。

 ずっと一緒に眺めていたかった。

 あの気持ちは嘘じゃないと結論が着いた。

 それからもう叶わないけれど、父親とツルキと一緒に食卓で囲う風景を良く頭に浮かべる。その時が一番、落ち着く。

 

 帰ったら、ツルキに魔術を教える。その時にどれだけ顔が近くになるか。

 ツルキから陰陽道を教わる。その時、どれだけ一緒に二人でいられるか。

 自分の気持ち、受け止めてくれるかな。

 誰かを好きになるなんて初めてだから、緊張しっぱなしだ。


「もうずっとね、ツルキ君の夢、見てるんだ」


 父親が、頷いた気がした。

 すると安心して、ハノンが続けようとする――。

 

「今度、改めて紹介するね。私が一緒に奇跡を作っていきたいっていう、男の子を――」

 

 

 破壊音。

 鼓膜を破らんくらいの轟音が、平穏を圧倒的に押しつぶしていた。

 

「何!?」


 丘の下、村の方からの爆音だった。

 さっきまで安穏としていた平和な村が謎の黒い影達に覆われている。

 たちまち村人が喰われていき、建物が嵐でも通過しているかのように吹き飛ばされていく。


「あれは……改造魔物キメラ!?」


 こうして判断している間にも、改造魔物キメラが放った強力な火炎が一瞬で村全体を火の海に変えた。

 火の粉と一緒に、明らかに人の命が散っていく。

 あんなに優しい村の人たちの命が、まるで簡単に――!

 

「やめてぇ!」


 改造魔物キメラが巻き起こす悲劇。それを見るだけで胸を突き刺すような激痛が迸る。

 何故、改造魔物キメラが悍ましいほどの数で村を滅ぼしているのか。

 そんな疑問に自問自答する暇もなく、丘を駆け下りて、村まで一目散に突き進む。

 一刻も早く、救える命を救わないと。

 

「そんな……」


 だがものの一分も保たなかった。

 そもそも村人の数よりも改造魔物キメラの数が多いのだ。

 村人達はあっという間に胃袋の中に納まるか、原型を留めない程の暴力を受けて果てていた。

 

 改造魔物キメラを掻い潜りながら村のどこに行っても、生きている人間はいない。

 確信してしまった。

 火炎に包まれた村に最早命の気配はなく、村人約100人はとうの昔に死亡した。

 その事実を思い知った瞬間、絶望と憤怒がハノンの中に雪崩れ込む。

 

「ヒッ……イッ……」


 押し殺した少女の声。

 爆炎と改造魔物キメラのけたたましい雄叫びの中に、確かにまだ生きている人間の声を聞いた。

 すぐ隣、ハノンが今日泊まった宿からだ。

 火の手に包まれているが、まだ突入できる。そんな判断すらする暇もなく、ハノンは宿屋の中に突っ込んだ。

 

「…………」


 宿屋の気前の良い主人とその妻は、既に体の一部を喰われて死亡していた。

 先程まで会話していた人だったものが、辺り一面に散らばっている。

 卒倒しそうな光景だった。

 生存の気配は、気のせいだったというのか。

 

 ガタッ。

 とその時聞こえた微かな物音をハノンは聞き逃さなかった。

 

 音がした台所の方に行くと、物陰に震える少女の影があった。

 帰ってきたら料理を教えると約束してくれた、ヒナという確かな命だ。

 

「ヒナちゃん!?」


「ひっ、ひぅ、ひ……!?」


 ハノンが近づくとヒナは怯え切った様子を見せる。

 最早目の前の存在が魔物かどうかも判断がつかないくらいに混乱し、精神が衰弱しきっているのだ。


「大丈夫! 私だよ!」


「ハ、ハ、は、ハ、ハノ、ン……さん」


 ヒナの眼の焦点があうと同時、ハノンは涙した。

 やっと生存者を見つけた。殺される前の、まだ救える命があってよかった。


「ヒナちゃん……良かった、まだ生きていてくれて……」


「は、は、ハノンさん、急にね、魔物達が現れて、み、み皆が……お母さんが、お父さんが、あなただけは隠れてなさいって……そしたら、た、食べられちゃって……! あ、ああああああああああああ!!」


「もう大丈夫だよ!」


 目の前で親が喰われる恐怖、村人たちが死んでいく絶望を目の当たりにした少女を、ハノンは抱きしめた。

 気持ちが分かるなんておいそれとは言えない。

 それでも同じく父親が目の前で化物になり、死んでいく様を見た者としてヒナを放っておくことは出来ない。

 

「とにかくここから逃げよう、私についてき――」



 途端、建物の壁が紙のように破られた。

 同時、出現した改造魔物キメラの爪がハノンとヒナを目掛けて放たれる。

 

「危ない!」


 ヒナを庇った結果、背中を強靭な爪が抉った。

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