第28話 陰陽師、空も飛べるはず
霊力は重力に作用する。幽霊が浮かぶ理由だ。
だからこそ重力操作が、陰陽道の入口だ。
それは自分に限らず、別の人間を浮遊させることだってできる。
先程から黒布に覆われた脚をばたつかせて、水中で溺れた様な動きを見せるハノンだって一緒に飛ばす事が出来る。
重力を忘れた俺達は、やろうとすればこのまま宇宙にだって行ける。
「な、な、何これ!?」
「知りたいんだろ? 虹を上から見た時の風景を」
「つ、ツルキ君の仕業!? これ陰陽道!?」
「見せてやるよ。物凄い
そう言った時には、周りに見える雲が俺達と同じ背丈になった。
次第に雲の背中が見えた。下で寝転んでいては絶対に見えない雲の背中だ。
何も知らない赤ちゃんが飛び込めば、わたあめのように受け止めてくれると錯覚するだろう。
そんな夢が詰まった水蒸気の塊を飛び越して。
青天井の青空へ、俺達は飛んでいく。
俺達が青空になったと錯覚した時には、あれだけ大きかった魔術学院が指先に納まるくらいに小さくなっていた。
「って待って、ちょっ、ちょっと高い、高いよおおおおおおおおっ!?」
そりゃ高いだろうな。
もうとっくに雲なんて通り越しちゃったんだから。
既に俺達は一体地面へ落ちているのか、青空へ落ちているのか分からないくらいに成層圏を突き進んでいた。
どこかで見届けた事のある、子供が投げた紙飛行機の様に。
「いや、いやああっ! えっ、こ、怖いよ! 落ちる!」
「大丈夫!」
疑似的に無重力空間で手足をはためかせるハノン。
そんな小さくて暖かい一つ一つの両の指に、一つ一つ丁寧に絡ませる。
引きつるハノンの顔が、次第に落ち着いていくのが分かる。
「そう。そーっと、深呼吸してみ」
「深呼吸……あっ、ああああっ」
だが何故かハノンの呼吸が乱れている。
……っていうかハノンの掌、本当に吸い込まれそうなくらいに暖かかった。
おれまで深呼吸できなくなった。
「だ、だったら俺の服を掴むといい」
「こ、こう?」
しどろもどろになりながらも、俺の裾を掴んできた。
恥じらいながら掴む姿も可愛いい。
駄目だ、本当に可愛い。
だけど今は主役はハノンだ。
ハノンにこの大空を見せたいんだ。
「よし、もう一度深呼吸だ。出来るな?」
「う、うん……足がついてないから、なんだか変な気分だけど」
「自分で飛べるようになれば地に足ついているのと変わらないよ」
「なんだか、落ち着いてきた、かな」
「そうか。じゃあ虹を真上から見たらどうなってる?」
やっと俺達は落ち着いて、雲の無い真下を見た。
既に学院がどこにあるかもわからないくらいに、王都とその周りの森が一望できる。
まるで散らかった部屋の玩具たちみたいに、建物が点在し。
きっと既に見えないくらいに小さくなった人達は営みを送っていて。
どこまでも果てしなく続いていく森林が深緑の背景として彩られ。
連なる山脈は頂上の雪がまだ解けておらず、真っ白な鞘に剣山が納められ。
港町から広がる大海が『世界が丸い』って真実を、水平線で教えてくれていた。
そんな景色がほんの少しだけ、色褪せているように見えた。
俺達の視界に、七色の線で構成されたレンズがあったからだ。
雲と太陽が創り出す自然の芸術が、文句のつけようのない環になって景色を彩っていた。
上から見ると。
虹は、環に見える。
「虹って……世界って、こんな風になっていたんだ……!」
感動してくれてる。
嬉しいじゃねえか。
俺は見慣れている景色でもあるから、そこまでの驚きはない。
だけど世界の美しさって奴を、一緒に見る事は出来なかったから。
いつも大空では一人ぼっちだったから。
初めて一緒に青空へ昇れたのが、一番好きな人で良かった。
俺も嬉しい。
「み、見られると恥ずかしいよ……」
「ああ、すまん……」
ハノンを見すぎた。
「……私、聞いちゃったんだ」
「聞いた?」
何のことだろう?
と俺が顔を訝し気にしたら、ハノンが急に首を横に振った。
「やっぱなし! 今のなし!」
「いや、そこまで言われたら気になんだろ?」
「だから全部終わったら、お父さんの事も整理出来たら全部話すね!」
「……」
「その時は、私から!」
「なあ、さっきから何を言って――」
「お願い」
相変わらず顔は物凄い火照っているように真っ赤だった。
上空何千メートルの世界で、結構寒い筈なのに。
俺は真っすぐ真剣にいつまでも見てくるハノンの顔を見て、渋々頷いた。
「あと……もう一つお願いがあるんだけど」
「何だ?」
「思いっきり叫んでみていい? そういえば私達飛んでる姿見られてないかな?」
「さっき一緒に平方完成も投げといたから、人払いの効果で誰も見てないし、聞こえても見つからないさ」
「……そっか」
「一緒に叫んでみるか?」
「……これで私一人だけ叫ぶ、とかやだよ?」
そして俺は虹に囲われた、素晴らしき魔術世界へ。
一生分の声を使い切るくらいの気持ちで。
体全体で、叫んだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あ、あ、あ、あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――」
ひとしきり叫んだところで、二人とも息が切れていたが、同時に何だか笑えてきた。
気づけば枯れた声で笑いあって、お互いの額を合わせて両肩で息をしていた。
「やまびこ、聞こえないね」
「結構距離あるからな、まあ誰かに届いているといいな」
「そんなのいやだよ、だってこれ、二人だけの秘密にしたいよ」
上目遣いのハノン。
殺傷力は言うまでもない。
頬がかゆい、そんな錯覚があった。
「何か恥ずかしい事言うのやめてくれよ……!」
あはは、と口元に手をやって笑顔を見せるハノン。
破壊力は言うまでもない。
その後、俺達は今度は青空へ向いていた。
ただ太陽だけが独り占めしている、何よりも明るい彩の世界へ日向ぼっこしていた。
「あの青空の向こうに、お父さんはいるのかな。このまま昇って行ったら、お父さんに会えるのかな。この空の向こうってどうなっているんだろう。陰陽道ではそこも習うの?」
この世界の授業では、宇宙に触れていないらしい。
でも確かに、死んだ魂が届くだけの世界である方が、ロマンチックなのだろう。
しまったな。窒息死何て言わない方が良かったな。
知らない方が、幸せなこともあるもんだ。
だが既に後戻りはできないので、説明した。
「宇宙って言ってね。何もない世界だよ」
「何も?」
「命も、空気も、物語もない。世界で唯一無限を称する事を許された空間だよ」
「……そうなんだ」
「だけどあまりに無限だから、どこかに命はあるかもな」
「もしかしたらそこにお父さんは行ったのかもしれないね」
「そうだな。この青空のどこかへ、行ったのかもしれないな」
「いつか私もこの青空になるんだね」
「ああ。人は死んだら、青空になる」
「だから青空って、こんなに綺麗なんだね。近くに来てみて分かったよ」
「そうだね、本当に綺麗だ」
いつか、あの青空へ自由に紙飛行機を飛ばしたいと願った事がある。
いつか、あの青空を誰かと一緒に見たいと思った事がある。
いつか、心を無にして青空を眺めたいと思った事がある。
いつか、青空のコントラストを調べたいと思った事がある。
いつか、陰陽道で創る蒼をどこまで青空に近づけられるか調べたいと思った事がある。
いつか、こんな風に好きな人と二人と日向ぼっこしたいと思った事がある。
いつか、こんな風に青空を一緒に眺めたいと思った事がある。
いつか――。
いつか、やりたい事があった。
『いつか』という枕詞を頭に敷いた夢を、ずっと見てんだ。
とある人間もどきの願いをハノンは、叶えてくれたんだ。
「……!」
「……!」
ふと目が合って、俺は思わず顔を逸らした。
なんだか心を擽られている気分だ。
しかも何故か鏡映しの様にハノンも同じ反応をしている。
「……そろそろ戻るか」
「そ、そだね……」
「結構急いだ方がいいね」
「う、うん……」
「ここからは危ないから、その、ちゃんと手をつないでくれるか?」
一瞬心臓を撃たれたような反応をしながら、顔を真っ赤にして俺の右手を握る。
抑えようのない思いを一旦置いて、指同士がしっかり絡まったのを確認して俺は口にした。
「“落ちるぞ”」
「えっ、ひゃああああああああああああああああ!?」
俺は二人に掛けていた霊力による浮遊を解いた。
待ち受けるは当然、数千メートルからの自由落下だ。
「あああああああああああああああああああああああああああ!」
「流石に怖いか……」
俺は問題ないが、ハノンが恐怖で心臓が止まりそうだ。
紐なしバンジージャンプなんて一般人がやれば、どの世界でもこんなものか。
俺は若干霊力で速度を和らげると、止め処ない恐怖に泣きそうなハノンと向かい合う。
「や、急に止めて……! 怖い、怖かったよ!」
「ちょっと驚かせてみたかった」
「もう、もう……!」
「あはははは」
最初はちょっと涙腺から涙が溢れそうだったけど、下からの風圧に靡く髪とスカートを抑えながら楽しそうに笑う。
子供の頃に、初めて心から楽しいと思える遊びに出会えたような夢中な顔をして、俺達は額を合わせ合った。
流れてくる。
風圧と冷気の中、ハノンの体温。
鼻腔を優しく包む、ハノンの香り。
互いに恥ずかしい事をしているって分かってるけど、逆に額が離れない。
だっていつまでもこうしていたかったから。
ハノンと一緒に、額を合わせて、笑いあっていたかったから
大空がいつものように遠くなるまで。
大地がただいまって着地音で教えてくれるまで。
俺達はずっと手をつないで、たった二日に凝縮された悲劇と奇跡を無言で共有しながら、半円に広がる虹を見上げていた。
「私ね、決めたよ」
薄らと透き通っていく虹から、俺へ命一杯の笑顔を向けた。
先程まで俺に怯え恥じらいでいた彼女は、もうどこにもなかった。
「ツルキ君にね、言いたい事があるんだ」
「言いたい事?」
「でもちょっとだけ待ってて……その前に私はお父さんの事をしっかり弔う。そうしたら、ツルキ君にしっかり伝えるね」
「……あ、ああ、分かった」
一体何なんだろう。
陰陽師になりたいとかかな。
それにしても、一緒にこんな青空を眺めたいと思ったのは初めてだ。
青空が、虹が、こんなに豊かな彩度に見えたのは初めてだ
虹が作ったレンズなんかじゃない。
君が横にいたから、君の笑顔が見れたから、俺はうれしかった。
ああ、そうだ。
笑わば笑え。
俺は出会ってたった二日の少女に、恋してんだ。
「俺も……じゃあその時、伝えたい事があるんだ」
「そ、そうなんだ」
「勿論ハノンの親父さんの事が落ち着いてから、だな」
ハノンは腰を折り曲げて、上目遣いに俺を見てくる。
うわっ、腰のラインが顕著だ。
その姿勢は男の子には共通の凶器なはずだ。
「私ね、ツルキ君が何を言おうとしているか、分かるよ……?」
「……な、なんだよ急に」
そこで甲高い予鈴の音があった。
俺とハノンの不可解にして不思議な意識はその程度で覆る者ではなかったが、無意識に二人そろって教室に向かう事になった。
心臓を無駄に鳴らす奇跡を、結局拭えないまま。
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