第27話 陰陽師、女の子と約束する

 

 屋上の格子からは、昼休みに魔術で遊ぶ学生たちの姿が見えた。

 どの世界の人間だろうと、どの身分の人間だろうと、休み時間は遊ぶためにあるし、勉強するためにある。

 ところで俺らは、一体今何の時間を過ごしているんだろう。

 俺とハノンの食事もせず、沈黙のままでいるこの時間は何なんだろう。


 ハノンは何か先程から喋りたそうだが、やはり言葉が出てこない感じだ。

 申し訳なさそうで、しかし恥ずかしがっていてるような表情。

 正直見ているこっちがドキドキしてくる。

 

『あのっ』


 見事に被った。

 意を決して互いに部屋を出たら、激突した感じだ。

 向かい合った一瞬のハノンの顔もあって、何だか胸が落ち着かない。

 

 暫くそっちからどうぞ、そっちからどうぞと譲り合った後、俺から切り出す事になった。


「本当にごめんな。俺、無神経にハノンを励まそうとしすぎたかな」


「えっ、なっ、何の事!?」


 きょとんとしながらも、どこかここから逃げ出したいという表情のハノン。

 だが俺がハノンへの無神経さを口にすると、一転して絶対に違うと首を振って表現してきた。

 

「だ、だったら、謝るのは私の方……私がこんな風に慌ててるから、そんな風に思わせちゃったんだよね……?」


「ああ。昨日の親父さんの事を思い出して辛くなっているのに、俺があれやこれやお願いするから」


「でも、それは嬉しいよ、嬉しいんだよ!」


 ぐい、とハノンが迫って来た。


「こんな私でも誰かの役に立てるんだって、自信になるんだよ……ツルキ君みたいな凄い人が頼ってくれると、特に……!」


 ハノンは嘘を付けない。嘘をついたり、隠し事をしようとすると物凄い分かりやすい。

 だからこそ、全ての言葉を信用できる。

 ハノンが誰かの役に立ちたいって気持ちが、真っすぐなものだって分かる。


「……小さい頃から、お父さんみたいに騎士として人の笑顔を守るのが夢だった。お父さんみたいになりたくて、魔法剣だって自分が納得するまで研鑽してきた」


「いい夢じゃないか」


「でも、私はお父さんすら守る事が出来なかった。ヴァロンの手下として、いい様にこき使われてきただけだった」


 過去の事だ。と言うのは容易い。

 だがそんな簡単な言霊が、ハノンの傷への薬にならない事は知っている。

 右手で顔を覆うハノンの手を、剥がせない事を知っている。

 

「でもこんな自分でも誰かの役に立てるって知れたのは、ツルキ君が私に魔術を求めてくれたから」


「ハノンはもっと役に立てるさ。俺程度に必要とされたからって、満足しちゃいけない」


「うん。でも嬉しかったのは本当だよ」


 頼られる事で、嬉しいと思う、か。

 後からヒューガ先生に聞いた話、それが人間の欲求を満たす不思議なメカニズムらしい。

 

「き、今日はちゃんと教えてあげられなくてごめん。でも次の授業からは、びしびし行くからね!」


「ああ、それは頼む! ハノン先生」


「その代わり……さっきも約束した通り、陰陽道教えてね。ツルキ先生」


 ああ、確かに頼られると心が躍る。

 キャンディーの様に甘くて可愛い顔で、こんな笑顔で言われると断れないなぁ。

 

 だがここまで口調が戻っていたハノンだが、一瞬向かい合うとまた真っ赤にして目を逸らした。


「ご、ご、ごめん……今ね、色々あってあまりツルキ君と向かい合えなくて……」


「うぉっ、どうして?」


 両手で顔を隠されてれば、その理由も気にかかって然りだ。

 

「ほ、本当にごめん……今は……言えない……」


「言えないのか……」


「でもね、信じて! ツルキ君は絶対に悪くない! それに私だってツルキ君ともっとお話ししたいし、色んな魔術教えたい、陰陽道教えてほしい、もっと、もっと一緒にいたい、だから……!」


「待て、ちょっと待て、すごく待てハノン、その言い方は俺もおかしくなるから待て」


「わぁっ!? ごめん!」


 今この子なんてすごい事を言ってきたんだ。

 ハノンも自分の言った事の重大さに気付くも、覆水盆に返らず。

 自分の発言でどんどん顔が茹蛸みたいな事になってる。

 

 一方で俺も多分普通の顔してない。

 えっ、ハノンにこんなことを言われていいのか?

 天使みたいなこんな子に、今言われるべきじゃない事を言われたぞ?

 

「だだ、だから……私は、もうツルキ君から逃げない……どこか行きそうになったら、つ、捕まえて下さい……」


「……あぁ」


 としか返せない。

 

 よし、まず整理だ。

 恐らく何故か知らないがハノンは俺に恥じらいの感情を持っている様だ。

 でも俺と一緒にいたい気持ちもあるから、物理的な手段を使ってでも留めてほしいという事か。

 

 

 ん? ハノン、俺の事好きなのか?

 

 

 その可能性が過った途端、俺までハノンの顔を上手く見れなくなってきた。

 

 いや待てよ。

 いや待つんだ。

 いや待ちたまえ葛葉院鶴樹。

 

 前世で色々学んだろう陰陽師。

 女性の言葉は裏を読むべきだ。男の脳でいい方に考えては、痛い目を見る。

 雪女とか、飛縁魔ひのえんまとか、毛倡妓けじょうろうとか、女性ならではの誘惑で男を虜にしてきた妖怪もいたもんだ。

 ハノンが妖怪あいつらと同列とは思ってないが、下手な増長は身を滅ぼす。

 

「ん?」


 厚い曇り空だと思っていたが、強い雨が突然降って来た。

 屋上にいる俺らは防ぐものも無いので、土砂降りに打たれるがままだった。

 

「……さっきから気持ちが晴れねえと思ったが、そりゃ天気が雨降らすほど曇ってちゃ晴れないわな」


「きょ、教室に戻ろう!?」


「いや、晴らす」


 あまり自然の摂理に反してはいけないのだけど、今日はそういう気分じゃない。

 俺とハノンの間に水を差してほしくないから。

 俺は右手に赤い紙飛行機を持つと、天に向かって放つ。

 頭上の入道雲まで到達するのに時間はいらなかった。

 

 

「“晴女”」



 晴れた。

 青空が中心から拡散され、雲が彼方へ吹き飛んで消えたのだ。

 

「……本当に、何でもありなんだね。陰陽道は」


 ぽかんと青々とした空を見上げるハノン。

 ハノンが指差した先で、七色の線が弧を書いていた。

 

「見て、虹! 綺麗……」


 青空を更に際立たせる天然の神秘。

 勿論あれは陰陽道による必然ではなく、自然による偶然だ。

 

「虹ってね、上から見るとまんまるに見えるんだって。本当なのかな」


 ハノンにとってはありふれた、心からの疑問だったのかもしれない。

 そんなハノンの横顔を見て、俺の中に一つのひらめきがあった。

 それはひらめきとも呼べないような、奇跡とも称えられないような、たった一つの冴えたやり方だった。


「試してみるか?」


「試し……えっ?」


 ハノンが疑問符を浮かべた時には、ハノンごと俺達の体を宙に浮かべた。

 とっくに屋上が小さく見えるくらいの位置まで飛翔していた。

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