第22話 陰陽師、一緒に笑いあった

 王国軍がヴァロン邸に駆け付けた。


 状況を説明するアルフとエニーを残し、俺とハノンは帰路についた。


「……」


 俺は、いい。

 でもハノンは、どこへ?

 どこへ帰せば、いいのだろう。


 ベンチがあったので、そこに彼女を座らせる。

 暖かい紅茶を近くで手に入れ、彼女の両手に置く。

 

「親父さんは立派な人だった」


 俺はハノンの隣に座って、語り始めた。

 ハノンの気が少しでも紛れてくれれば、それでいい。


「要は体を弄られたんだ。恨み辛みで魂が穢れ、悪霊になってもおかしくなかった」


「悪霊になると、どうなるの?」


「最悪、魂の完全消滅を行う事になる」


「……そう、なんだ」


 魂の完全消滅程、最悪な概念を俺は知らない。

 何せその魂は二度と転生が出来なくなるのだから。

 二度と青空を仰ぐことも、思念思想の一切も出来ないのだから。


 それでも、悪霊を陰陽師が駆逐する理由はある。

 放っておけば自然と一体化して大災害を起こし、人を呪い殺すことだってある。

 人の命と、魂の重み。

 天秤にかけるのも、陰陽師ならではだ。

 

「だけどハノンの親父さんには、そういった穢れが無かった。ただ純粋に娘を想う気持ちでいっぱいだったよ」


「お父さんは、天国へ行けたかな」


 暮れかかった茜色の空へ、ぼんやりと探すようなハノンの目線が言った。

 俺もつられて、かつて自分もいた空を見上げた。

 紙飛行機が似合う、空だ。

 

「それは親父さん次第だな。陰陽道は天国か地獄か選ぶ権利まで与えない」


「……でもきっと、大丈夫だと思う」


「ああ。俺もそう思う。この空の向こうに、親父さんはいる」


 今度はハノンから質問するのだった。

 

「ツルキ君は、異世界でも亡くなった人と、残された人を救ってきたの?」


「……蝶々結びを使うのはこれが初めてなんだ」


「えっ?」


「地球って世界で俺に与えられた役割は、ただひたすら妖怪や悪霊を滅していく事だった。人を救うなんてのは二の次でさ」


「……だから、あんなに強いんだね」


「陰陽道がただ破壊と手品に向いているだけだ」


 ただ脇目も振らず、片っ端から妖怪達を倒した。その結果世界は救った。

 だけどその過程で、一体どれだけの命が失われた事だろう。

 どれだけの悲劇に、間に合わなかった事だろう。


 今回もそうだ。

 結局親父さんを、ハノンの下へ生きて帰すことは出来なかった。

 終いには黒幕であるヴァロンは逃げっぱなしだ。

 

 なあ、親父。

 今日の一体どこに、あんたが言ってた奇跡があるって言うんだ。


「そんな事ないよ。陰陽道はきっと、そんなものじゃないよ」


 カップを掴むハノンの両手が震える。


「ツルキ君がいなかったら、私はこのままヴァロンやアレンの奴隷だった。いつかヴァロンに殺されていたかもしれない、改造魔物キメラにされていたかもしれない」


「ハノン……」


「ツルキ君がいなかったら、お父さんに親不孝したかもしれない……きっと、何も別れの言葉を残せなかった」


 いくつもの悲惨にして残酷な“もしかしたら”、という世界。

 散々繰り返した後に告げた言葉は、俺の目を覚まさせた。

 

「奇跡だと思う。私がこうして生きてるのも、お父さんとお話しできたのも。だからね、私とお父さんは救われたよ!」


 いつの間にか俺が励まされてた。

 ハノンの気持ちを落ち着かせるつもりが、ハノンに気を遣わせてしまった。

 それが何だか申し訳なくて、だけど何だかおかしくって笑ってしまった。

 

「どうしたの?」


「救われた、なんて言われた事なかったからさ。慣れてなくて」


「だって、だって本当の事だから……!」


「何というか、初めて達成感というものを知ってさ」


 前世では賞賛の言葉も、救われたなんて感謝とも縁遠い所にいた。

 勿論そんなものを欲したことは無かった。

 それでもいざ面と向かって言われると、とても嬉しくなる。

 だとしたら、俺もハノンに救われた事になるな。


「はっはっはっは……」


「ツルキ君変なの、いつまでも笑って……ふふ……」


 高笑いする俺に同調するかのように、ハノンも噴き出す様に笑うのだった。

 しかし同時に瞼から涙を垂らし始めた。

 

「……私、笑えるんだ」


「いい笑顔じゃん」


「陰陽道ってすごいね。人を笑顔にする力があるんだね」


 そんな陰陽道はないんだよ。

 でも、泣きじゃくりつつ、心から笑っていたハノンの笑顔。これを俺の陰陽道が作ったって言うのか。


 ……例え悪霊になってでも、一緒に笑っていたい顔だった。

 そして、気付けば視界一杯にハノンの笑顔が広がっていた。

 

「……っ!」


 目が合って、俺達は思わず後ろに退いた。

 やっべえ。

 心臓が鷲掴みにされてる。

 どくん、どくんと転がってる。

 

「ち、ち、近いよ……っ!」


「ああ、悪い……」


「でも、こここっちもごめん……」


 真っ赤になったハノンが思わず距離を取る。

 挙動不審になり、口調も何だか不自然になりやがった。


 ずるいぞ。

 そんな照れてる顔を見せられたら、俺もうまく喋れないじゃないか。


「ごめんね……私、もっと余裕があればいいんだけど……お父さん、死んじゃった後で……」


「言わずも分かってる。本当に不謹慎だった。ごめん」


「でもね、でもね、でもね、でもね……でもね」


 何度も「でもね」を繰り返すハノンが、感涙と小さな笑みの中でようやく言葉を絞り出す。


「ねえ、もっと笑っていい? こんな時に笑うのはおかしい? 不謹慎?」


 冗談で言っているのではない。

 真剣に彼女は、父の死を笑顔で飛び越えようとしている。


「ごめんね。でもお父さん、笑う事が好きだったんだ……いつも私を笑わせるために、馬鹿みたいなことをしてたから……あの時笑えなかった分まで今笑って、お父さんに届けたいの」


 きっと誰かは、不謹慎極まりないと冷たい言葉を浴びせるだろう。

 きっと誰かは、残された人に似合うのは泣顔だと価値観を押し付ける。

 きっと誰かは、死んだこともないのに、浅い考えばかり押し付ける。


 それでも、こんな時に笑う事が出来ないのが心だ。

 それは正しい。ただ泣き続けるという整理の仕方もある。

 

 勿論ハノンの喪失感は計り知れない。

 父親という支えが突然いなくなり、心は想像を絶する深手を負っている。

 

 でもハノンはちゃんと立ち上がろうとしている。

 無理矢理に笑顔になってみせてでも、正直に泣いてみせてでも、がらんどうの暗闇から這い上がろうとしている。

 そんな時、陰陽道は無力だ。魔術も無力だろう。

 精々、俺以外には見えない様平方完成で人払いするしかない。 


 涼風に揺れる稲穂の様に、たくましく、柔らかく。

 何度だって、起き上がろうとしている。

 

「今からツルキ君に物凄いみっともない顔を見せると思う」


「それに言ってたじゃないか。親父さん。これからは自由に、笑顔になれって」


 それが、ローレライ家の。

 ハノンと親父さんの、愛の形だろう?


「沢山泣けばいい。沢山笑えばいい。喜怒哀楽は、生きている人間の特権だから。空の上の親父さんに届けてやれ」

 

 それから俺ら二人は、人払いの平方完成の中で日が暮れるまで笑いあった。

 人目なんて気にせず、ベンチに座ったまま笑いあった。

 理由なんてない。だから笑いあった。

 時々悲劇を思い出しては、それすらも笑いの中に織り交ぜた。

 よく泣きじゃくっては、それすらも笑い声の中に忍ばせた。

 空のどこにいても聞こえるくらいに、ずっとずっと笑いあった。

 俺もハノンも、確かにそこに笑う姿が、在った。


「おかしいね」


「ああ、おかしいな」


「本当に……おかし……いね……お父さん、ずっとこんな気持ちだったのかな」


「それもこれから探せばいい」


「……ツルキ君。本当に、本当に、本当に、ありがとう……!」

 

 ハノンの前で、俺も一緒に笑ってみせた。

 俺が最初に起こした、ささやかな奇跡は確かにそこにあった。

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