第19話 陰陽師、蜘蛛切を呼び出す。

 この世には救いなんてない。

 それを体現するようなハノンの視線の先で、親父さんの成れの果ては第二波を仕掛けてくる。

 

「グ、グゥォオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 雄たけびを上げながらローレライが魔法剣を真空波にして放つ。

 平方完成で再び防ぐも、もうその余波を受ける余力さえヴァロン邸には許されていなかったのか、崩落が加速する。 

 

「お父さん! 私だよ! ハノンだよ!?」


「待て、ハノン!」


 魔法剣の第三波。

 しかも前に出た娘に、容赦と見境なく放ってきた。

 平方完成のガードが間に合わなければ、簡単に人間が消滅するエネルギー量だ。

 

「完全に意識を消されている……!」


「……こんなの嘘だよ……嘘だって言ってよお父さん!!」


 目の前で変わり果てていた父親を、ただ膝をついて見つめる事しか出来ないハノン。

 最早、改造魔物キメラとなった父親に人間としての心が残っていない事に気付いてしまったようだ。

 

「うっ……」

 

 容赦なく降り注ぐ瓦礫が俺達とローレライの間に聳え立った。

 今なら動ける。

 俺の意識は迅速な脱出に向く。

 

「アルフ! 一旦ここから出るぞ!」


「……やむを得ないね」


 アルフがエニーを庇いながら出口に向かう。途中で、一部始終を見て腰を抜かしていたアレンも拾って三人で脱出していく。

 一方で俺は体に力が入りそうもないハノンを何とか抱えながら、玄関まで急ぐ。

 外に出たところで、ヴァロン邸は全てを包み込むようにして全壊していく。途端雪崩の様に迫ってくる瓦礫や粉塵を平方完成で防ぐ事を忘れない。


 俺達が外へ出たと同時、完全にヴァロン邸は形を失った。

 

 十分な距離を取ったところで、砂埃に塗れた瓦礫の山を見上げる。

 街の外れに位置するこの場所に人が駆け付けるのはもっと後だったので、直ぐに俺達が動くことは無かった。それよりもさっきまで目の前で起きていた悲劇への整理に一杯一杯だった。

 特にハノンは未だ心ここにあらずだ。

 

「アルフ。改造された人間を基に戻すことは出来るのか」


「……ハノンの父君は、見た感じだが明らかに一線を越えて改造されている。最早人間に戻ることは不可能だろう」


「……そうか」


 アルフが「無情だが」と枕詞を付け加えた上で、ハノンの親父さんが改造魔物キメラになった経緯の推察を語りだす。

 

「ヴァロンが父君にやっていたのは、病気を伸ばす事でもなく、延命措置でもなく、まさか改造手術だとはな」


「……私、気付けなかった」


「あのヴァロンの事だ。君が気付けない様に手を回していたのだろう。君のせいではない」


 そんなフォローに何の意味があるのか。

 そう思ってしまえる程、ハノンは深く頭を垂れた。

 ヴァロンは、人間として超えてはならない一線を越えた。

 今あの男がハノン達にしでかしたのは、死という安息よりも非情な行為だ。

 

 ずっと父親を救いたかった少女の想いを、これ以上にない悲惨な方法で踏みにじった。

 父親を、死体よりも残酷な化物へ変貌させてしまったのだ。

 

 ヴァロンと言う心に根付いた悪魔は、どうやら相当性質が悪いらしい。魔物よりも。妖怪よりも。


「おいアレン」


「ひいっ!?」


 どうやら相当見下した俺の眼が怖かった様だ。

 さっきまで自分は何も知らないという顔をしていたアレンが一転、顔を強張らせて俺を見上げる。

 

「取って喰いやしねえよ。どうせ何も知らないんだろう」


「……そうだ。お父様があんな事をしていたとは……」


「だがヴァロンが逃げた先くらいは想像つくもんじゃねえのか?」


「……別荘なら」


「無駄だろう。奴も別荘が抑えられることは想定済みだ。こういう時の為に隠れ家を用意していると考えるのが自然だ」


 アルフの言う事は納得が出来る。

 王子であるアルフを殺そうとする奴が、複雑に練り込まれた逃亡先も逃走経路も確保できていない筈がない。

 そして最終的に逃走する先は、相場が決まっている。


「だが奴がこの後取る手段は、亡命だろう……行き先は恐らく、“オール帝国”だな」


 オール帝国。

 このアイルラーン王国の隣にありながら、世界の支配を実質アイルラーン王国と二分している大国だ。

 ただしアイルラーン王国が周辺諸国を平和の協力体制として牽引しているのに対し、オール帝国は植民地として小国を喰らって成長している。

 

「帝国に逃げられたら、いよいよ追えねえ」


「勿論そんな事はさせない。軍と連携し、奴の隠れ家を探す。最悪亡命する所を反逆罪を適用して抹殺する」


「頼むぜ。アルフ……お前が頼りだ。このままじゃ……」


 触れたら崩れ去ってしまいそうな砂細工の様なハノン。

 彼女の死にそうな背中は、正直見ていられない。


「……ハノンの無念はどこにぶつけりゃいいんだって話だろ」


「……」


 何も声を掛けてやれない。

 あの子の笑い声を、笑顔を作ってやれそうにない。

 モノクロになってしまったハノンの風景に、彩を加える方法が分からない。

 静かに涙を流して、悲嘆にくれる彼女をただ見ているだけしか出来ないのか。

 

「……!?」


 全員の視線がそこへ釘付けになった。

 絶望の淵に沈んだハノンでさえも、顔を上げた。

 

 ヴァロン邸だった瓦礫の山の頂点。

 墓の下から出現したがしゃどくろの様に、巨大な影が這い出てきたのだ。

 すっかり漆黒に染まってしまった、ハノンの父親だった改造魔物キメラ“ローレライ”だった。

 背景にした橙色の夕日が、より一層黒くローレライを照らす。

 

「生きていたのか……」


 確かに改造魔物キメラの中でも、ローレライは上物だ。

 建物に潰された程度で死んでいたとは思っていなかったが。

 

「う、うわああああああああああああああ!!」


 アレンが逃げ出した。

 恐らくはローレライからではなく、ローレライを生み出すような父親と言う影からだろう。

 だが逃げてくれてよかった。あんな奴でも死なれると寝覚めが悪い。

 

「アルフ、お前もハノンとエニーを連れて逃げろ」


「君は!?」


「……どうやら、父殺しとしてハノンに嫌われるしかないようだな」


 俺らを追って街に辿り着かれたら、何をされるか分からない。

 人へ戻れないというなら、これ以上ハノンの親父さんを汚さない為にも、俺が穢れ役を背負ってやる。

 生憎前世でも妖怪を使役する悪人を暗殺した事もある。

 人殺しも陰陽師の務めだ。あってはならない事だが、珍しい事でもない。

 

「ハノン、悪い。アルフと逃げてくれ」


「……」


「ああなった以上、もうこれしか手段がないんだ。分かってくれ」


 ハノンには嫌われる。でももう仕方ない。

 このまま放置して犠牲になる命と、やっと出来かけた絆。

 天秤にかければどっちを優先するべきかは、明白だろう?


「これより……私はローレライ一族の騎士として……戦います」


 だがハノンは、何かに憑かれたようにユラ、と立ち上がる。

 そして腰に刺さった細剣を抜き取り、血走った眼で頂上に佇む怪物を捉える。



「討伐対象、改造魔物キメラ“ローレライ”!」



 昨日俺と戦った時の様な、迷いのある動きでは無かった。

 燕の様に。

 迷いも重力も全て拭い去って、瓦礫を一気に駆け上がる。


 そして脚力を活かした跳躍。

 上段に翳した魔法剣に、魔力を全力付与している。

 

「うおあああああああああああああああああああああああ!!」


 ローレライも同じく、巨大な刃に虹色を充填し終えている。

 ハノンと同じタイミングで、鈍重そうな得物で軽快に薙ぎ払うのだった。

 

 虹色と虹色。

 魔法剣と魔法剣。

 騎士と騎士。

 子と親。

 人間と魔物の激突は。

 

 ハノンが何十メートルも吹き飛ばされた事で、ローレライに軍配が上がった。

 

「“水不知みずしらず”」


 紙飛行機の様に飛んでいくハノンの射線上に人体を噴水を打ち上げた。

 同時、ハノンの体が水圧に受け止められる。

 水流に巻き込まれる形になったハノンは、噴水とは真逆の下へゆっくり落ちて地面に着地する。

 

 水を飲んだのか、咳込みながらも再びローレライに突っ込もうとするハノン。

 化物の攻撃の直撃は受けなかったにせよ、全身が既に傷だらけだ。

 

「落ち着けハノン!」


「ハノンさんの父親でしょう……!? 無理にハノンさんが挑むことは無いです!」


 エニーの指摘通りだ。

 だって今瓦礫から降りてきて、俺らを殺そうとしているのはハノンの父親なのだ。

 恐らく自我も意識も手術の際に奪い去られてしまったとはいえ、最早魔物とはいえ、紛れもないハノンの父親だ。

 

「それでも……! だとしても……!」


 ハノンは唇を強く噛み、血を垂らしながら父親だったものを睨んだ。


「このままあの怪物が街に行けば! 多くの犠牲者が出る!」


 立ち上がるハノン。


「これ以上……っ! 私と同じ思いを誰かにさせちゃ駄目なんだ……!」


 唇から流した血以上に、目からは何列もの涙がこぼれている。

 昨日の俺を相手にした時の強制感と違う。使命感と懺悔で動いている。

 昨日以上に、自分の心を殺して戦っている。

 父親に抱きつきたい気持ちと、娘として接したい気持ちと一緒に父親を殺す気だ。


「あの人が父親だからこそ……あんなになるまで気付いてやれなかったからこそ……! 私が命を懸けてでも、止めるべきなんだ……っ!」


「“水不知みずしらず”」


 今度は噴水レベルじゃない、少量の水を込めた紙飛行機を彼女にぶつけた。

 ずぶ濡れから更にずぶ濡れになったハノン。まさに水を差したってこれを言うんだろう。

 

「何するの!」


「“平方完成”」


 投げた折り鶴は4つ。

 向かってくるローレライを囲んで封じる。時間を稼ぐためだ。

 ちょっと待ってろ。

 今あんたの娘さんが死なない様に説得するから。


「なんで……私が戦う! ここから出して!」


「ハノン。命を懸けてってなんだ」


「え……!?」


「親父さん、あんな姿にされただけでも最悪なのに、その上愛娘まで殺さなきゃいけないのか。後味悪い通り越して猛毒だ」


「でも……」


 まだ反論の言葉を探すハノンへ、更に思いつく限りの悲劇を告げた。

 

「想像してみろよ。制御の利かない体が、自分の愛娘を串刺しにするんだぜ!? それは自分が死ぬ事よりも、世界で一番不幸な事だって、あんたが救いたかった親父さんなら思うんじゃないのか!?」


「……じゃあ……じゃあ!」


 涙ながらに、ハノンが必死に訴える。

 

「他に……どんな手があるの……! 父さんをあのまま放っておけって言うの!? 私は父さんに……もう他に何が出来るって言うの……」


「生きろ」


 一番大事な事を、伝えた。

 

「命を懸けないと倒せないなら、まずは生きろよ。世界なんて救わなくたっていい。それが親父さんへの一番の親孝行だ」


「……生きる」


「今のハノンでは親父さんは倒せない」


 アルフも頷いた。

 改造されたことによって筋力、魔力も極大化された“ローレライ”。

 その上凶暴化して、理性を失っているとなればいよいよハノンに勝ち目はない。

 実際ヴァロン邸で倒した改造魔物キメラとは、格が違う。

 

「親父さんを介錯する。許せよハノン」


「……」


 ハノンに聞くのは野暮だった。彼女なりに覚悟は決めているんだ。

 それを揺らすようなことをしてはいけなかった。

 だからついでに、こんな事を言ってみた。

 


「――だが親父さんと最後に話す事、準備しとけ」



 俺の言った事が分からない、という顔をしたのはハノンだけじゃなかった。

 エニーも驚く顔をして訪ねてくる。

 

「話す事って……戻す方法があるのですか!? 改造魔物キメラは今の技術では戻すことは出来ない筈です!」


「陰陽道はそんな都合の良い何かじゃない。破壊と手品しか能がないからな」


 意味が分からない、という三人に精一杯のフォローをしてみる。

 

「魂って奴までは親父さんも穢されてねえからよ。あの肉体から解放した後、幽霊と話をするんだよ」


「……幽……霊?」


「まあ、百聞は一見に如かずという奴だ。見てろ」


 そして俺は“ローレライ”と向き合う。

 ハノンの親父さんと見つめ合う。

 

 縛り付けていた平方完成を解き、闘牛の様な息を吐きながら俺を睨む改造魔物キメラ

 漆黒の巨体に、俺は最大限の礼儀を尽くす。


「ハノンの親父さん。自己紹介がまだだったな」


「グルル……」


 返事はない。

 代わりに獣に成りきったような呻き声だけだ。


「俺はツルキ。娘さんのクラスメイトだ。趣味は紙飛行機を飛ばす事。あんたが守りたかった娘さんも、娘さんが守ろうとした街も傷つけさせねえ」


「……ググ」


「……騎士のアンタに倣って、俺も剣で応じるとするよ」


 俺は前世から久しぶりに両手で印を組む。

 破邪の法と並ぶ、“九字”の一つ。そして九回印の形を変え、最後に唱える。



「――“剣印けんいんの法”」



 印を終えた俺の手から飛び出す。

 “蜘蛛切”と呼ばれる、かの平安の伝説である源頼光の愛刀が。


「俺が自由にしてやるよ。あんたたち親子をな」

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