第15話 陰陽師、魔術が使えない

 勘違いされがちだが、俺は魔術が使えない。

 否、正確には放てる魔術の火力が低い。


 アレンと戦った時、陰陽師としての自分と比べ、彼の魔術を低く見積もった。

 だが魔術師としての自分と比べれば、アレンの魔術でも十二分に頂点の存在なのだ。


 昨日のハノンなんて、違う次元に生きている存在かと思った。

 この短い期間に、魔術ってそんな事が出来るのか、と何回喉を鳴らしたか。

 

「そういえば君、学校機関は初めてだと言っていたね」


 訓練場に着くなり、アルフとこんな会話があった。


「普通は学院の初等部で魔術の基礎中の基礎を学ぶか、それなりの実績がある家なら家庭教師を付けて魔術を学ぶもんだ……この学院もそれを前提にプログラムが練り込まれている」


 生憎俺の地方に初等部の学校施設は無かった。

 行く暇もなければ、行く学校も近くになかったし、行く金も無かったからだ。

 金については勝手に懸念していただけで、お願いしたら行かせてくれたかもしれないが。


「親父には一応一通り教わったんだが、親父がその……魔術方面に正直疎くてな」


「どれくらい出来ないんだ?」


「魔法陣が描けない」


「本当か……グロリアス魔術学院に入学するなら前提として皆出来ているぞ」


 魔法陣は一定以上の威力を誇る、強力な魔術を放つのに必要な技術だ。

 アルフが言うには、これから漢字の授業をするのに平仮名が分かっていない状態だ。

 だがそれも弁えた上で、この魔術学院に入学する事を選んだ。


「……ヒューガ先生もいい事を言う。俺達はまだ助走の真っ只中だ。他の奴らよりも後ろにいるって事は、その分スタートラインに辿り着いた時の速度も速いって事だろう?」


「いや、名言っぽく言うが結構茨の道だよ」


 誘った僕が言えたことではないけどね、とアルフが両肩を竦める。

 

「でも折角魔術学院に来たんだ。そこでやる事が陰陽道なんてとてもつまらない。最高の魔術師を目指さなきゃ嘘だろ?」


「……君は。本当に自由な奴だな」


 だから俺はこの授業では陰陽道を使う気はない。

 魔術の授業をしているなら、魔術しか使う気はない。

 そのまま魔術を極めてやる。

 俺にとっては今の状況は知らないこと経験してない事だらけの、ヒントが散りばめられた宝島にいるような気分なんだ。


 俺がそこまで言い終えたあたりで、“魔術Ⅰ”の教員が出てきた。エレナという若い女性教師だ。

 入学試験で採点員だった人だ。

 

「今日はオリエンテーションも兼ねて、入学試験よりも一層皆さんの適正を見ます。今回は武器の使用をしても、素手で魔術を放っても構いません。地水火風好きな魔術を的に向かって放ってください」


 俺が知る限りの、魔術について解説する。


 魔術で発言できる基本的な魔術は火と水と風と地の四属性。勿論ここから応用版として例外があるが、まずはこの四魔術が使いこなせなければ話にならない。ここから火水木地金の五行が属性である陰陽道とは違う。


 当然魔法陣も属性に従って赤青緑茶と色で特徴がある。

 戦闘のクラスメイトが放った魔術は茶色。魔法陣から生み出されたのは、それなりに大きい岩の塊だった。弾丸の如きスピードで駆け抜けた岩が、的に直撃して炸裂する。恐るべきは魔法陣で守備力を上げた的と言うべきなのだろうが、それでもあの土魔術が織りなすパワーは相当大きい。


 それを可能にしているのは、高等技術である魔法陣だ。

 あれを出せるのが、そもそもこのグロリアス魔術学院では最低水準らしい。

 

「次! ゼブラ=ジブラルタル!」


 呼ばれて出てきたのは、金髪の偉丈夫だった。

 全てを下に見るような余裕のある表情は、村で傲慢し尽くすアレンと似たような雰囲気を醸し出していた。


 だがアレンよりも鍛えているのは分かる。

 自身を大きく上回る槍を手足の様に使っているのがそれを裏付ける。

 

「奴がこの学年二位で入学を決めた貴族の名門、“ジブラルタル”一族のゼブラだ」


 とアルフお墨付きのゼブラは、炎の魔法陣を目前に生み出すと、槍を投擲し始めたのだ。

 貴族に相応しくない強靭な筋力から繰り出される乾坤一擲の投擲。凄まじい速度だ。

 しかも炎の魔法陣を潜り抜けた瞬間、炎塵に包まれた一筋の線が的へ吸い込まれていく。

 威力を伺い知ったエレナ先生が戦慄の表情を浮かべる。


「いえ、二次試験であの的を破壊した不届き者がいると聞いてね。ちょっと張り切った次第ですよ」


 それだけ言うと、今度は俺とアルフの方を見た。

 殿下の身分にも怯まない様子で、ゼブラが話しかける。

 

「アルフ殿下。随分と興が乗る逸材を連れてきたみたいですね。その男でしょう? 二次試験で的をすべて破壊したのは」


「ああ、そのようだな」


「更にもう一つ上がっている噂を聞くには、ハノンも倒したとかなんとか……アレンのやり方も目に余るが、それに従うハノンもハノンだ」


 そこまで知れ渡っているのか。

 ハノンの表情に陰りが出てきている。自分のしたことがここまで広まるとは思っていなかったのだろう。

 確かに先程から、ハノンを見て陰口を叩く雰囲気がある気がする。

 主席入学とはいえ、彼女も騎士と言うだけで身分は低い。

 陰口を封じ込めるだけの権力は無いのだろう。


 そんなハノンを睨むゼブラの眼には、若干の苛立ちが見て取れた。

 主席合格を勝ち取れなかった、傷ついたプライド故だろうか。

 

「俺はハノンとは戦ってはいない。俺を昨日襲った奴のことを言っているなら、それは別の奴だ」


「ほう。あくまで庇うか」


「次、ツルキ君!」


 俺の名前が呼ばれた事で、訝し気な表情をしていたゼブラから目を逸らした。

 今は授業中だ。授業に集中したい。


「お願いがあるのだけれど、今度は的を破壊しない程度に魔術を抑えてくれる?」


 俺が的の前に立つなり、エレナ先生が未だ疑問符を浮かべた様子で頼み込んできた。

 安心させる意味で、俺はこう返事した。


「俺、魔術はからっきしですよ。これから頑張ろうと思ってました」


 はぁ? とエレナ先生が面白い表情を見せてきた。

 この時、ゼブラも訝しげな表情で振り返ったのが面白い。


「嘘よ! あなた入学試験の時、的を破壊したわよね!?」


「あれは魔術じゃないです。陰陽道といって、魔術とは別の存在なんです」


「いや、あれが魔術じゃなくて何だっていうのよ!? っていうか……陰陽道って何」


「だからこれ」


 破邪の法発動。

 縦四横五の線を書いて、格子の交点に20の霊力の集約。

 そのまま霊力を20の光線に転換し、的に向かって一斉斉射。

 

「いいっ!?」


 訓練場を白の瞬きが一瞬包んだ。

 しかし本当に一瞬だけだ。今度は的を破壊する訳には行かない。


 破邪の法が織りなす光線が消えて、的が魔法陣ごと残っている事を確認して俺は安堵した。

 しかし後ろではクラスメイト達が鳩が豆鉄砲を食ったようになっていた。

 ゼブラも目を丸くしていて、アルフとエニーも苦笑いが止まらなくて、ハノンの表情も唖然となっていた。

 

「いや、だから……! これのどこが魔術じゃないっていうの!? 確かに未知のものではあるけれど!」


「だから魔術じゃないんですって。実は陰陽道と呼ばれるもので」


「だから何よそれ……」


 あまり深く説明すると授業に差支える。

 

「じゃあ魔術放ちますね」


「いや今放ったでしょ……!?」


「だから今のは陰陽道ですって」


 今度は俺の霊力ではなく、魔力に語り掛ける。

 伸ばした手の先に魔力を集めて、イメージした火の玉へ近づける。

 丁度前まで、同世代のエリート達が模範解答として放っていただけに、イメージは容易い。

 

「よし、出来た!」


 手の先に集約した魔力の集合体、火の玉を放つ。

 だが投擲された火の玉は、的に辿り着く事も無く鎮火してしまった。

 ……分かってたことだが。

 

「……って感じで、普通の魔術はからっきしっす。なので人一倍頑張るんで、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」


「…………」


 流石に理解が追い付いていないか。生徒達も同じだ。

 ここまで魔術が出来ない奴が、何故魔術学院に入ってきてんだ、って感じだ。

 だがここばかりは仕方ない。これから頑張るしかない。分不相応な所に入った分、根を上げるような努力が必要って事だ。

 

「……と、とりあえず、全員の魔術を見るわ。次!」


 エレナ先生はなんて声を掛ければ良いか分からない顔をしながら、とにかく授業を進める事を選んだ。

 やはり次のクラスメイトも、その次のクラスメイトも魔法陣を出現させてはそこから強力な魔術を放っている。

 勿論的まで届いて、着弾の瞬間に地が震えるほどのエネルギーが炸裂している。

 やはり皆目の前に魔法陣を創り出している。俺に足りないものが何か明白だった。


「ひとまず魔法陣が創れるところまで到達しないと話にならん、という事か……」


「アルフレッド」


 アルフが呼び出された。

 そういえばあいつの魔術を見るのは初めてだな。

 魔法剣や、ゼブラの槍等武器に頼らず、利き手を前に出すだけだった。

 

 アルフの眼前に現れたのは黄色の魔法陣だった。一瞬場がどよめく。

 綺麗な円から迸ったのは、横向きの雷だった。

 雷光が全員の眼を晦ませ、爆音が容赦なく鼓膜を叩きつける。さも、王の威厳を示すような背中だった。

 

「魔術は雷生み出せるのかよ……」

 

 いとも簡単に出したように見えるが、魔術は地水火風が基本属性だ。

 帰って来たアルフは何でもない事の様にやってのけたが、ハノンやゼブラも見入る程の特殊な魔術なのだ。


「たまたま雷という例外属性に適性があったから極めただけだ」


「例外属性……?」


「その人間の個性によって発動できる、特殊な魔術の事だ……って君、そこからか」


「まずは基本から学ぶとするよ。俺は魔法陣を生み出すところからだな」


「それなら最適の先生がいるぞ」


 アルフが差したのは、丁度魔術をし終えて帰ってくるハノンだった。

 俺の視線が向くと、びくっと体を震わせた。

 

「ハノンは例外属性は使えないが、故に“基本を徹底している”。この一点のみでで第一次試験を主席合格したんだ」


「いえ殿下、私そんな……!」


 ハノンは謙虚にも否定するが、俺もハノンの強さはどちらかと言えば“基礎が染み込んでいる”部分にあるとは思っていた。

 

 昨日の襲撃を思い出す。

 明らかに剣術も魔術も、凄まじいまでの反復練習の果てに染み付いた動きであるのは間違いなかった。


 何故ハノンがここまで強いのか?

 それは基本が出来ているから。アルフの言う通りだ。

 

「ハノン、悪いけど魔法陣教えてくれないか?」


「わ、私……?」


「そうなんだ。魔法陣が書けなくてさ。勿論授業の後でいいから」


 一瞬困惑しかけたハノンだったが、至極まっとうな疑問で返してきた。


「……でもさっきの陰陽道って言うのでいいじゃないの?」


「陰陽道は授業では基本使わない。俺は魔術学院に来たんだ。だったら極めるのは魔術がいい」


「……」


 いまいち解せないという顔だったが、最終的には何とか理解を示した様に頷いた。

 予め昨日、易占えきせんによる未来予知や浮遊を見せたせいで、ある程度耐性が出来ていたのだろう。


「だったら魔法陣よりも先に極めるべきは、やっぱり基本だよ。さっきの魔術は基本が出来ていなかった」


「基本……やはり型の様なものがあるんだな」


「そう。ちゃんと型をマスターしないと、魔法陣はかけないよ、だからね……」


 後でいいと言ったにもかかわらずハノンは地面に膝をつくと、地面に図示をしながら分かりやすく魔術の基本について説明してくれた。

 説明してくれたのは、どのような感覚に従って魔術を放つのが正しいのかについてだ。

 人の感覚なんて言葉や絵に表すには難しい筈だが、例えを織り交ぜながら俺の理解へストレートに道を示してくれる。

 

「えっ、そんな方法で魔術を放ってたの……!?」


 と驚いたのはハノンだった。

 どうやら、陰陽道と同じクセで魔術を放っていたのが一番よくなかったらしい。

 

「今の時間で説明できるのはこれくらい……」


 ハノンの説明が終わった。


「ありがとう。次俺の番が来たら試してみるよ」


「お礼には及ばないよ……だって私、昨日ツルキ君を――ん、ん?」


 そこでハノンの言葉が止まった。別に口を塞いだとかではない。

 勿論、俺の陰陽道だ。

 ハノンの言葉を、沈黙で上書きした。これくらいは媒介もいらない。


「あれ、なんで私、今言葉が……!」


「謝罪はさっきしてもらったからいいさ。もうそれについては言いっこなし。ここからは同じAクラスのクラスメイトだ」


 この先何かがある度に、負い目に付けこんでハノンに何かを強制させようとするならアレンと同じだ。

 そんなのは自由じゃねえ。そんなハノンは可愛くない。


「ツルキ君!」


 エレナ先生に呼ばれ、また俺の番が来た。

 頭の中でハノンから言われた事を反芻し、その通りに体内の魔力を循環させる。

 

「よし!」


 俺の目前にまた火の玉が出現した。

 正直、今まで出したことのある魔術よりも調子がいい気がする。

 そのまま放つと今度は、的に直撃して鎮火した。

 さっきまで的に届く気配もなかったのに、今度は的まで到達する事が出来た。

 

 この一歩はみんなにとっては小さな一歩だが、俺にとっては大きな一歩だ。

 

「確かに先程よりも威力が目に見えて上がったな」


「お、アルフもそう思うか?」


「君を褒めるべきなのか、教えたハノンを褒めるべきか分からないがな?」


 くそっ、一言多い。

 だがハノンが驚いた表情で俺の下まで駆けてくる。


「でも、いきなり私が教えたこと全部ちゃんと、やってるからすごいよ……!」


「やっぱり出来てた!?」


「うん。じゃあ今度はね……」


 頼んでもいないのに、ハノンがまた色々図示して俺に教えてくれる。

 何かハノン、楽しくなってないか?

 だけど初めて見たハノンの心からの笑顔が、俺にとってはどんな宝石よりも綺麗に見えて仕方なかった。

 笑った時の小さなえくぼとか、少し持ち上がった頬とか、夢中になっている青い瞳とか、ハノンの全てが俺の視線を見事に引っ張ってしまっていた。

 

「あの、聞いてる?」


「あっ、は、はい、聞いてます聞いてます」


 いかんいかん、ハノンが折角教えてくれてるのにこれでは申し訳が立たない。

 その後は何とかハノンの話に集中して、只管俺の脳内に叩き込むと3回目の手番が回ってきた。

 

 3回目は更に調子のいい火の玉が出現し、的にぶち当てることは出来た。

 全然他の生徒と比べれば赤子の様な出来だったが、俺にしてみれば数分前よりも見栄えが全然違う魔術になっていた。

 

「確かに先程から威力が上がり始めたわね」


「お、本当ですか。先生」


「勿論入学したのが信じられないくらいに低いけれどね」


 エレナ先生のストレートな言葉に、浮き始めた心を一気に沈められた。

 少なくともこの100倍の威力は出せる様にならないと、このクラスに肩を並べることは出来ない。

 

「後で色々フィードバックしてあげるけど、次は“風”属性の魔術を放ってみなさい」


「風? どうしてですか?」


「的から伝わってくる魔力のデータからすると、あなたが一番適しているのが風属性なのよ」


 だがエレナ先生も実は先程から、一つ一つアドバイスをくれるのだ。

 陰陽道と魔術の違いについては理解を示さないが、ひとまずは俺が頑張っていることは認めてくれたようだ。先程から一人一人に的確なコメントを出している辺りも含め、若いが良い先生だと思う。


 風属性が適していると聞いて、嬉しかった。

 何故なら陰陽道の五行にも、風という属性はないからだ。新しい。

 

「あぁ、でも今日は時間切れね。基礎で参考になる文献紹介するから、一回それに目を通して自習なさい」


「ありがとうございます」


 ハノンとアルフの下に戻ると、まずはハノンに礼を言う。

 

「ありがとう、ハノン。おかげで魔術のコツがつかめた気がする」


「そんな、私は大した事は言ってないよ……でも、これを反復的に何回もやった方がいいと思う」


 ハノンの言う通り、俺は圧倒的にこれまでの経験が少ない。授業の中で同じことをやっているだけじゃ駄目だ。

 エレナ先生が教えてくれた文献で、俺はひたすら自習をしようと決めた。

 

「さて、今日は入学初日と言う事もあって授業はここまでのはずだ……ハノン。君からヴァロン卿の話を僕たちに聞かせてくれ」


 本題を切り出すアルフに対し、ハノンは再び神妙な面持ちになって頷いた。

 辛い時間だろうが、ハノンから重圧になっているものを取り除くには避けては通れない時間だ。

 ハノンが心から笑顔になるには、ヴァロン卿から父親を解放しないといけないから。

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