第13話 陰陽師、殴り掛かる

「実のところ、ヴァロン卿の爵位剥奪、とまでは行かなかったんだ」


 式場から教室に向かう最中で、アルフが若干不服そうに言うのだった。

 

「ある程度は奴も動きづらくなっただろうが……その権力を使って僕たちに何かしてくる可能性がある」


「俺は分かるが、殿下であるお前も狙われるのか?」


「侯爵の権力は想定以上だ。油断はできない」


 臣下に暗殺された王は、歴史上でも珍しくない。

 それは前世でも現世でも同じことだ。

 

「だがヴァロン卿は他にも裏で何かやっている可能性がある。このまま放置しておくにはあまりに危険だね」


「チャンスじゃねえか。その裏でやっている事を突き留めたら、遂に失脚させる事が出来るんだろ?」


「確かにそうだな……」


「それにしても学生の身なのに、殿下ってのは忙しいな」


「僕が好き好んでやっている事さ」


「でも王家はいずれ出るんだろう?」


「王家は出るが、この国の為になる事をするつもりさ。僕はこの王国を愛しているからね」


 本心から言っているな。

 俺みたいに生まれた時からの義務感で世界を救おうとしていない。

 自分から使命感を持って、世界を救おうとしている。

 自由だな。

 

「ん?」


 歩いている最中に、俺は見つけた。

 クラスへ向かう道から外れる二人の姿。

 アレンと、ハノンだ。

 とても穏やかな雰囲気ではない。

 

「アルフとエニーは先に行ってくれ」


 それだけ二人に言うと、アレンとハノンの後ろ姿についていく。

 人通りのいない所まで行くと、突然アレンがハノンの押し飛ばした場面に遭遇した。

 ハノンが壁を背に尻餅をつき、上からアレンが言いたい放題に吠える。

 

「この役立たずめ。お前が有能なのは試験の時だけか?」


「……」


「俺は行ったはずだぞ。あのツルキを明日来させるな、入学を辞退させろ、とな」


「……ごめんなさい」


「お前の父親がどうなっても構わないって言うんだな」


「それは……!」


「お前の親父が、病気だか何だか知らねえが金が必要で、結果俺の親父に借金があって! って事はハノンの親父さんは俺らの裁量次第って事忘れたのか?」


「……はい、分かってます」


 ようやく繋がった。

 どうやらヴァロンとアレンに、ハノンのお父さんを人質に取られているようだ。

 ベタっちゃベタな脅し方だが、確かにハノンには効果覿面だ。

 

「それとも体でも売るか? グロリアス魔術学院の主席が風俗店に並んだら、それなりの金にはなるんじゃねーの?」


「嫌……っ、それだけは」


「じゃあ他に俺らにどんな奉仕が出来るんだよ、あぁ!? てめえのせいで俺はBクラス落ち確定だ!」


 髪を掴んで、頭を揺さぶって。

 しかも体を強要する。

 ……俺も意外と、我慢が出来ない奴だ。

 

「風俗店にてめぇを売る前に、俺で処女喪失とでも行こ――」


「おい」


 この時、俺はアレンの真横まで到達していた。

 戦慄するアレン。

 こんな奴に陰陽道は必要ない。一回素手で殴ってやらなければ気が済まない――。



「――手を出してはいけない、ツルキ君」


 だがその直前で、振り上げた右腕を後ろから掴まれていた。

 黒いコートを羽織った、俺の担任となるヒューガ先生だ。

 気付かなかった。そんなに激昂してたのか、俺。

 しかしそんな少しの驚きも、怒りが塗りつぶす。


「ヒューガ先生、離して下さい」


「それをしてしまったらいきなり停学だよ」


「つ、ツルキ……」


 目の前でアレンが慄いて、尻餅をつく。

 恐怖に駆られた顔で、とっくの昔に俺に対する戦意は折れているようだ。

 

「アレン、今すぐハノンを解放しろ」


「解放? 何を言っているんだ、解放したらこいつの父親は病気で死ぬんだぞ!」


 逆に強気になって俺に迫るアレン。

 確かに人の命が掛った問題だ。ハノンもアレンに依存して然るべき状況だ。

 治療費を払ってくれるヴァロンと言う出資者がいなくなれば、ハノンの親父さんは死ぬかもしれない。


 ヒューガ先生が腕を離しても、もう殴りかかる事はしなかった。

 殴れば解決するような問題ではないし、直ぐに開放すれば済む問題でもない。

 それは分かった。

 

「けどな」


 しかしその問題と今ハノンが受けている仕打ちは、まったくの別問題だ。

 

「だからって、奴隷扱いしていい訳がないだろう。この子は昨日俺に立ち向かってきたとき、ずっと手が震えてたんだぞ! こんな事をしたくないって、体で示してたんだぞ!」


「ふ、ふん。そうか、やはり役立たずか」


「一番役立たずなのは、自分で向かってくる気概もないお前だよ。俺が憎いならお前で直接来いよ」


 何か言い返したげだったが、返す言葉もなかったのか苛立つ顔を見せてきただけだ。

 そんなアレンに冷たく追い打ちをかけたのは、ヒューガ先生だ。


「アレン君。君がBクラスに落第したのは、君の実力不足だ。誰かのせいにしている限り、前には進めないよ?」


 俺も人の事は言えないが、ヒューガ先生も真っすぐに痛い所突くな。


「それに先程の発言は私も看過できない。本当にうちの生徒を風俗店送りにしようものなら、私が全力で止める」


「ふん、たかが一教師に、一体何が……」


 アレンの言葉が詰まったのは分かる。

 反論も有無も言わさぬ絶対零度の眼を、この先生はしやがった。

 普通の人間に、この眼は出来ない。

 いきり立った蛇も、こんな睨まれ方をしたら静まり返るに決まっている。


「私はたとえ相手が王様だろうと関係ない。生徒の身命や尊厳を脅かす存在を私は許さない」


「くそっ……」


 多分このヒューガ先生、生徒の為なら何でも本当にする気だ。

 例え国王相手でも、兵士の群れへ突っ込んでしまいそうな気配がある。

 こんな雰囲気はのほほんと生きてきて、自然と身に付くものじゃない。

 

 だが直ぐに去ろうとするアレンを本当に心配している顔をする。

 物憂げな顔も、恐らく本心から生まれたものだろう。


「相談なら私にしなさい」


「き、貴様は別クラスの担任だろう」


「この学院に入学した時点でね、全員私の生徒なんだよ」


「……ふん」


 つくづく救えない奴だ。恐らくヒューガ先生は夜中だろうとアレンの話を親身に聞いただろう。

 

 俺はまだ授業も受けていないのに、ヒューガという教師の偉大さを思い知った。


「で、大丈夫か?」


 俺は座り込んだまま動かなかったハノンと同じ目線になった。

 ……間近で見ると、更に可愛いな。平然を装うので精一杯なんですが。

 だがハノンは直ぐに目を逸らす。

 何か言いたそうだが、喉から出てこないと言った形だ。


「さっき聞いた話、ハノンさんがツルキ君に襲いに来た、と聞いたが?」


「何の事ですか?」


 ヒューガの質問に、俺はすっとぼけた。


「この傷は、昨日俺がはしゃいでいて料理中に包丁が肩に当たっちゃって、それで出来た傷ですよ」


「……やれやれ。君は少し落ち着きを覚えるべきだな」


 どう見ても見抜かれている嘘だが、ヒューガ先生は小さくため息をつくと、小さく笑顔をこちらに見せた。

 

「後5分で私のクラス初のホームルームだ。遅れない様にな」


「了解しました、先生」


「後ろの二人もだぞ」


 踵を返すヒューガ先生。

 後ろの二人? といぶかしげな顔になっていると、本当に後ろの物陰から二人出てきた。

 アルフとエニーが、ヒューガとすれ違う形で苦笑いをしながらこちらに来る。

 

「すまない。僕とエニーも別ルートで来ていた」


「私もアレン様とハノンさんを見かけていたので……」


 殿下が聞き耳立てるとかありかよ。

 文句の一つも言いたいが、今はハノンだ。


「どうして……私はあなたを傷つけたのに」


「気にしないでおくれよ。どうせ一週間たったらカサブタだ」


 そんな事よりも、昨日ハノンと話したかった事を話そうと思った。

 早く罪悪感に満ちていて、若干俺に怯えているハノンの顔をほぐさないと。


「昨日できなかった話の続きをしようと思ってね、ほれ、自己紹介」


「…………」


「まあ、自己紹介したくなってからでいいさ。本当に昨日の事なら気にしていないから安心してくれ」


 あくまで涙を流さないのは、騎士の名家である一線を保ちたいからだろう。

 だがハノンが傷つけた俺の右肩に視線が引きずられている。次第に苦痛を浴びるような顔をして、目を伏せる。


「本当に……ごめんなさい! 昨日あなたに酷い事をした……!」


 その謝罪の気持ちも本当だろう。

 だってハノンは昨日、自分からアレンからの脅しを放棄して逃げ出す事が出来たんだから。


「仕方ねえさ。親父さんを人質に取られていたんだろ? 俺だって同じ状況なら、同じ行動を取ってたよ」


「嘘つけ。君なら逆にアレンとヴァロン卿を脅し返して、父君を取り返すだろう。僕は知ってるぞ」


「アルフ殿下、話の腰折らんでもらえます!? お戯れが過ぎますぞ!?」


「あ、アルフレッド殿下……!?」


 そこでハノンはようやく近づいてきた人物がアルフレッド殿下だと気付いた様だ。

 アルフに気付かないとは、相当追い詰められていると見える。


「君がアレンやヴァロン卿から受けている仕打ちについて伺わせてもらいたい。もし卑劣な手段で君が操り人形になっているのなら、僕は貴族の代表としてそれを正さなくてはならない」


「分かりました」


「ひとまず長い話になるだろうから、放課後話してもらうとしようか」


「そうだな。ヒューガ先生、意外と怖いってのも分かったし」


 ヒューガ先生のあの眼に睨まれると思うと、正直サボりは出来そうもない。

 あの絶対零度の眼が出来るって事はただ者じゃない。あれは間違いなく一度戦場に身を置いていた存在だ。

 だが一方で闇があるとも感じない。過去に百戦錬磨の闇を見てきたからこそ、教師として正しく立っているのだろう。

 なので俺達は一旦話はここまでにして、可及的速やかに教室へ向かうことにした。

 だがまだハノンが立ち上がれていないのを見ると、俺は彼女に手を指し伸ばす。

 

「うえっ……?」


「ほれ、大丈夫か?」


「……ありがとう」


 小さく呟くと、ハノンが恐る恐る俺の手を取る。

 うわ、柔らかい。皮膚、すべすべしてる。

 女の子の掌、細くて小さくて、温もりが暖かい。


「昨日ツルキ君が受けた傷と比べれば……」


「……」


「ど、どうしたの!? もしかして昨日の傷が……!?」


 ハノンに指摘されて、自覚した。

 今俺の心中が平静を外れて、全神経をありがたき掌に集中している事を。

 ハノンと手を繋いでるハノンと手を繋いでるハノンと手を繋いでる、俺、ハノンと手を繋いでる……。

 

「よ、よし、とりあえず行くぞ」


「ツルキさん、何か顔が赤いですよ?」


「ああ、さっきアレンに怒ったのがまだ続いているみたいでな」


 エニー、そこ突っ込まなくていいから。

 アルフも何か茶々入れたいのを我慢している様で、ひたすら吹きそうになっているのを誤魔化してやがる。


「――ハノン=ローレライ。得意なのは剣術……!」


 俺は振り返った。

 ハノンがやっと言えたという顔で、ほんの少しだけ晴れ晴れした顔になっていた。

 

「自己紹介……出来てなかったから」


「……ああ、よろしく」


 

 だがこの時、俺は自己紹介を強要したくせに、ハノンの自己紹介とは別の部分に思考が行っていた。

 

 畜生、右肩の痛みが意外と効いているのかな?

 ――ハノンの姿に、俺の最愛にして最高の式神だった“遊奈”の影が被ったなんて。

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