第4話 困ったもんだぜ
「おそらく今頃、私の身体には、この獣人少女の記憶と意識が移っているはずだ。38がうまいこと誘導して、再設定してくれればいいのだが」
遠い異世界の森の中で。博士(inサマーシャの身体)は、木の根に小刀で彫った大量の計算式を前にして、ため息をついた。
始めは異相転換途中に別生物が巻き込まれたブランドル現象を疑ったが、獣人少女の衣類等に使い込まれた跡があることから、別個体への記憶転換ではないかという仮説を立てた。
頭痛と目眩と戦いながら計算し、可逆現象であろうことも、元に戻すための装置の設定もある程度判明したが、肝心の装置がここにはない。
「問題は私の技術や知識が、どの程度少女に引き出せるか、か。言語知識が共有できている以上、その他の知識もある程度は引き出せるはず……しかし記憶に関してはサッパリだからな。脳の記憶領域が違うのか。うーむ、生物科学は専門外だからなぁ」
再びため息をつくと、もふもふとした尻尾がばさっばさっと動いた。尻尾というのはこういう感じで動くものなのか、と思う。
獣耳と尻尾を持つ人間が存在するここは、間違いなく異世界――仮称:N-LAND世界だろう。
すでに世界中の研究者によって、パラレルワールドと言っても過言ではないほど似た世界であること、中世程度まで発達した文明があること、巨大爬虫類(恐竜あるいはドラゴンと呼べるもの)がいること等が判明している。
しかし、博士の専門分野は異次元間の転送技術であり、異世界のフィールドワーク的な調査にはそれほど興味がなかった。
とにかく早く戻って装置を調節したい。あともう少しで完成なのだ。
その時、下草を踏む音が聞こえ、博士(inサマーシャの身体)は無意識にふりかえった。
「おーい、サマーシャ、こんなところで何をやってるんだ」
近づいてくるのは、青灰色の髪と獣耳と尻尾を持つ少年だった。鳥の羽で飾られた衣装を身につけている。この獣人少女と同じ部族のものなのだろう。
「ふむ、この少女はサマーシャというのか」
「ん? なんか言ったか?」
きょとんとする少年に、博士(inサマーシャの身体)は少し考え、立ち上がって裾を払いながら言った。
「あー、突然だが、私は記憶喪失になった」
「はあっ!? どういうことだ!?」
「どういうことも何も、そのままの意味だ」
「お前、ふざけてるだろ」
「ふざけているように見えるなら結構。あまり大事にしたくないからな」
肩をすくめる博士(inサマーシャ身体)を、目をまんまるにして上から下まで見つめる少年。たっぷり十秒ほどしてから、眉根を寄せて言った。
「……本当に記憶喪失になったのか。喋り方も変だし」
「うむ。信じてもらえたようだな。あー、向こうがうまく行けば、数時間程度で戻れるはずなんだ。それまで適当に時間をつぶしたい」
「向こうってなんだよ。数時間後には戻るったって、もう祭の準備に行かなきゃだろ」
「そうなのか」
「大丈夫か? あぁ、まったく、よりによって初唄祭の日に記憶喪失になるなんてなぁ。どーすんだよ」
大きく首を振りながら天をあおぐ少年。その獣耳も尻尾も、てろんと垂れ下がっていた。
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