第31話 ヒガンザクラと終わりの時
やけに静かな時間が流れていた。
爆風を受けてざわめいていた木々は落ち着きを取り戻し、景色を覆う塵芥は薄まりつつある。展望台から見える廃墟群の向こうには、黒く灼けた街並みと
破壊と、熱と、静寂。それはまるで、一切の『生』を許さぬと言わんばかりの光景だった。
二人は死んだ。
それを代償として、世界にも『死』が与えられる。
そして、人類は救われる。
カンナさんは、地球へ帰ってくる。
シオンはアイリスの腕の中で静かに目を閉じた。アイリスはその髪を手で
「次は、私の番のようです」
シオンは顔を上げた。目の前にある彼女の右腕には、すでに何の光も灯っていなかった。
「アイリス、君も……」
シオンは
「シオン、あなたに謝らないといけないことがあります」
ずっと遠くの方で地響きにも似た音が聞こえた。時間差で突風が山肌を撫で、表面の土が巻き上げられる。
「私は一度、あなたを殺そうとした」
熱を持った強風が二人の間を吹き抜けた。
「……亜宮由岐雄、私の父からの指示は、あなたに対しての殺害を後回しにするものだった。だけど私はその命令に背いてでも、あなたを殺す必要があると感じたんです。
複数のフォーチュンが、命に代えてでもあなたを守ろうとしていたからです。
とある病院の手術台で眠っているあなたを発見するまでに、百体以上は殺したかもしれません。なぜそれほどまでに一体のフォーチュンを守るのか私には分かりませんでした。けど、あれほどまでに必死に守ろうとするのは、何か理由がある。他の個体と同じようにあなたにも刃を向けましたが、父からは殺害の保留を言い渡された」
シオンは黙ってその話を聞いていた。
「ですが、地球に残った最後のフォーチュンを殺す時に、一緒にあなたも殺すことを決めたんです。
私たちが立ち寄ったあの図書館。あの場所でしばらく待機しようとリリィさんが命令したのは、元を辿れば私からの命令です。
閲覧室の下、地下九階の書庫に数十体のフォーチュンが籠城していました。自動書架と防火扉で私の侵入を阻んでいた。
だから『蜻蛉の天矛』を使うしかなかった。それが最後の一撃でした。そしてその爆撃に、あなたも巻き込もうとした」
アイリスの頬に水が一滴、当たって弾けた。
「起動させた瞬間、父からの最後の通信が届きました。『その個体を殺すな、お前が守れ』と。
それ以来、父の消息は途絶えました。死んだか、死んだように生きているかのどちらかでしょう。どっちにしろ、彼は狙われている身です。もう私に連絡など寄越さないでしょう」
アイリスの腕がシオンの身体から滑り落ちた。そのまま仰向けに横たわる上半身を、シオンは腕で支えた。
「……次は四肢の筋肉ですか。面倒なシステムですね、これは」
アイリスは半開きになった口から言葉を漏らした。
「もう、喋らないで……アイリス」
灯が、消える。
「シオン、あなたはもう行きなさい。そして、生きなさい。
この近くにもいずれ攻撃が来る。彼女が指定した場所とはいえ、絶対に安全とは限らない」
さあ、と言うようにアイリスは顔を向けた。ここで自分を置いていけ。彼女の意思は分かっていた。
シオンはきつく唇を噛むと、アイリスの両腕を肩に背負った。
「何を……」
「君も連れていく。一緒には生きられないけど、せめて一緒に行く」
しかし、シオンよりも長身で重いアイリスは、シオンの力ではまともに動かせない。それでも半ば意地で引きずろうとするシオンを、アイリスは後ろから優しく咎めた。
「もう、いいのですよ。私は十分に生きて、十分に罪を背負った。安らかな死に場所が与えられて、むしろ幸福です」
アイリスを降ろし、シオンは悔しさに顔を歪めた。その頬に二滴、三滴と水が跳ねる。
「ならば、これを持っていきなさい。私が生きていた証拠です」
ロックが外れる軽い音と共に、アイリスの胸部が膨らむように持ち上がった。シオンがドレスの胸元をはだけさせると、外側に飛び出していたのは箱状の機械。大昔のビデオテープ大の物体が、横向きに半差しされていた。
「私に搭載された『ワイズマン型』の本体。通常ではあり得ない識別番号が刻印されているので、人間がこれを見つければすぐに正体にたどり着くでしょう。これで、父の罪も晴らされる」
胸にゆっくりと伸ばされる手に、アイリスは最後の声をかけた。
「『遠くのあなたを想う』、
だって、あなたは
私がいnくなttも、……d丈夫w……世界h…tと、あなt……愛sる。
shion。あなtのzんせいに、幸あれ」
音が止んだ。
人類を救うため、業の海に身を投げ、世界を『殺した』彼女は死んだ。どんな時も笑顔で我が
彼女の旅立ちを祝福するように、無数の拍手の音が近づいてくる。それが雨だと気付いた時には、二人は雨音の
ぬるい雫が容赦なく全身に浴びせられる。シオンは泥に塗れた手でアイリスの身体から『ワイズマン型』を引き抜いた。
それを守るように、温かさを確かめるように、腕に抱く。甘い痺れを誘うように、微かに花の匂いがする。
僕は
誰もいなくなった世界で、もう強がらなくてもいい世界で、
たった一つの慟哭が、響き渡ることもなく消えた。
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